第73話 やすらぎの日々
それから数日、ルビーはつきっきりでユスタッシュの看病をした。回復は順調だ。
いったい、どんな体になって帰ってくるかと案じていたが、どこも失われてはいなかった。もう少し救出が遅ければ死んでいたというから、ほんとに奇跡だ。
「ねえ、ユスタッシュ。あなたがすっかり元気になったら、エルニルークのお城へ行きましょう。またガラスの小舟に乗りたいわ」
「いいですね。もうじき、星祭だ」
「お人形と花を流すのね。わたしも見たいわ」
「あなたがおっしゃるなら、特別に」
「わたし、あなたにもらったブローチをつけるわね。おぼえてる? 初めて会ったとき、あなたがくださったブローチよ」
「むろん、おぼえています」
「あのときのあなたは人魚の王だったわ」
「あなたは小さな妖精だった」
今その瞬間が幸せすぎて、二人は言いだせないでいた。あなたを愛していますというひとことを。言わなくても、たがいの気持ちは手にとるようにわかっていた。だから、そばにいるだけでよかったのだ。
「ユスタッシュ。もう歩ける?」
「歩けます」
「庭を散歩しない?」
「少しずつならしたほうがいいでしょうね」
「わたしが肩を貸してあげる」
「あなたがつぶれてしまいそうだな。あなたは私の半分も体重がないでしょう?」
「それは、わたしの胸がまだ小さいという意味?」
「妖精のように可愛らしいという意味ですよ」
「それなら、ゆるすわ」
二人で笑いあうようすは、誰が見ても仲むつまじい恋人同士だ。
「やけるじゃないか。ユスタッシュ」
エルタルーサにからかわれても、ユスタッシュ自身、まんざらじゃない気分だ。
「どうだ? このまま結婚してしまっては? フォンナ姫の泣きごとなんて、ほっとけよ」
「それもそうだが」
「好きな娘を泣かせるのと、好きでない娘を泣かせるのでは、どちらがより罪深いと思う?」
「……それはもちろん、好きな娘を泣かせるほうだろう」
「そう。君のしてることだ」
ユスタッシュは黙りこんだ。思いおこしてみれば、たしかにそうだ。これまで自分はわざと嫌われるようにしむけて、ルビーを遠ざけてきた。でも、それは、ルビーに愛されていると知らなかったからだ。
今、ルビーの視線、笑顔、すべてに自分への愛を感じる。たしかに愛されている。同情などではなく。
こうなってもまだ、ルビーを遠ざける意味があるのだろうか?
「そうだな。私はひどいことをしてきたのかもしれないな」
「そうとわかれば、君はルビーと二人、領地にこもって、もうユライナへは来るな。フォクサーヌを毒で殺そうとしたのも、フォンナを襲ったのも、ル・ギラン男爵だということで落着はした。ヤツは死刑だろうな。が、陛下が妬んでいらっしゃるのは君だ。君は砂虫の毒のせいで目が見えなくなったと、ウワサを立てておくから。そうすれば、陛下は満足しておられるだろう」
「ありがとう」
一度は死にかけて、さすがのユスタッシュも素直になっていた。もう自分はルビーを手離せない。離れて暮らすなんて考えられない。このやすらぎを失いたくない。
灼熱の砂漠で一昼夜飲まず食わずだったのだから、体力はまだ完全に戻らない。だが、元気になれば、すぐに城へ帰り、ルビーと結婚しよう。
ユスタッシュはそう思った。
「二人で何を話してるの?」
ユスタッシュの上着をとりに行っていたルビーが帰ってくる。やっぱり、妖精のように可愛らしい。背中に蝶の羽が見えないのが不思議なくらいだ。
ユスタッシュが見とれていると、エルタルーサがニヤニヤ笑う。
「おてんば姫がやけにしおらしいと話してたのだよ」
「ヒドイわ。ユスタッシュがそんな悪口、言うはずないもの。ねえ、ユスタッシュ?」
「そうとも。誤解されることを言わないでくれたまえ。エル」
二人が声をそろえるので、エルタルーサは苦笑いする。
「わかった。わかった。ジャマ者は消えるとも」
肩をすくめて去っていく。
「イヤだわ。ジャマ者だなんて」
「ヤツはひがんでいるのですよ」
冬咲きの花が華麗に咲きほこる庭。
ユイラは年中、花盛り。
「あんなところに温室があるわ」
「私がブラゴールから持ち帰った、めずらしい花もありますよ」
「ぜひ見たいわ」
温室への近道をして、石畳の散歩道から庭木のあいだへ入る。ルビーの衣服のすそが冬薔薇のとげにひっかかってしまった。
「待って。私がとってあげますよ」
ユスタッシュはルビーの前にひざまずく。冬なので、温暖なユイラとはいえ、ルビーは丈長のチャロと絹のくつしたをまとっている。めくれた衣の下から、くつしたと素肌の境がちらりと見えて、ユスタッシュの頬を赤くする。
「とれました」
「ありがとう。でも、ユスタッシュ。お顔が赤いわ」
「なんでもありません」
「またお熱がぶりかえしてきたの?」
ユスタッシュのひたいにあてようと、ルビーが手を伸ばしてくる。ユスタッシュはかるくつきはなした。病後とはいえ二十代の男だ。理性を保つには、それなりの努力を要する。
「ほんとに、なんでもないのです」
だが、少し力が強すぎた。ルビーは「きゃっ」と可愛い声をあげてころんでしまった。ユスタッシュはあわててひき起こそうとする。
「大丈夫ですか?」
すると、ユスタッシュの手をにぎったルビーが、ニコリと笑って、その手を強くひっぱってきた。体力の落ちているユスタッシュは、そのまま、ルビーの上に倒れこむ。
ふふふと、ルビーが笑った。
「お返しよ」
「ルビー……」
少女のやわらかさを全身で感じた。以前、一度だけ、くちづけたことがある。二人で小舟に乗った湖礼祭……。
気づくと、ユスタッシュはルビーの唇に唇でふれていた。以前はふれあうだけの一瞬のキス。でも今は、大人の女性にするように、深く、唇をあわせる。
「ユスタッシュ……」
ルビーの両腕がユスタッシュの首にまわる。頬は桜色に染まり、甘い吐息をつきながら、かたく目を閉ざしている。ルビーはふるえ、ユスタッシュを抱く肢体にも折れそうな幼さが残っている。
これは彼の宝物だ。大切に育てるべき温室の花。まだ、つむのは早い。
ユスタッシュはルビーを抱きしめたまま起きあがる。
「失礼」
「……」
しかし、ルビーの答えは熱っぽい視線だ。瞳がうるんでいる。
ユスタッシュは笑った。
「続きは結婚式のあとで」
「約束よ」
手をつないで歩きだす二人を、木陰からエルヴェが見つめていた。




