第67話 そのころのユスタッシュ
少し前。
近衛隊に捕らえられたユスタッシュだ。
皇帝の前で申しひらきでもさせられるかと思えば、それさえもなく、牢屋へ連行された。宮殿の裏手にある獄舎の塔だ。
「私は陛下に目通りさせてはいただけないのか? そもそも、私の罪とはなんなのだ?」
先導する近衛隊長にたずねるが、沈黙が返ってくる。隊長に聞く耳はない。そして、サリウス帝もまた話しあいなど求めていないのだと、ユスタッシュは知った。
(やはり、恨まれてしまったのだな)
サリウス帝にとって、ユスタッシュの罪などなんでもいいのだ。ただ、気に入らない相手だから罰したい。それだけだ。
ひさしぶりの馬術大会で友人たちと競えることか嬉しくて、つい目立ちすぎてしまった。もっと抑えていなければならなかったのだ。
だが、それももう遅すぎる。
その名にふさわしからぬ白亜の塔が、澄んだ青空にそそりたつ。これがユイラの暗い歴史にその名をとどろかせる、おぞましい場所だとは思えない優雅さだ。
獄舎の塔の門扉がひらかれ、ユスタッシュはそこで近衛隊から牢番へひき渡された。
牢番はたった一人だ。この男だけなら逃げだせる。が、塔の外にはまだ近衛隊がいて、ユスタッシュを見つめていた。隊長に肩を押され、塔のなかへ入れられる。外から無情に鉄の扉が閉ざされた。さらには閂のかけられる音が響く。これでもう逃げだせない。
ひひひと笑いながら、牢番がユスタッシュを流し見る。
「わたくしを殺そうなどと思われますな。あなたさまの世話をする者がいなくなり、餓死するだけですぞ」
たしかにそうだ。しかも、ユスタッシュは剣をとりあげられ、両手をうしろ手に縛られている。牢番はムチを持っているから、よほど好機を見計らわなければ、むやみに逃げだそうとしても、いいようにムチを浴びるだけである。
「ささ、行きなされ。わたくしは猛毒の針も持っておりますれば、言うことを聞かねば、チクッとひと思いにやってしまいまする。まあ、そのほうが、あなたさまはお喜びでしょうがね。投獄中に罪人がウッカリ死ぬことは、よくあるもので。陛下も何も言われませぬよ」
言葉つきだけは丁寧なのがシャクだ。が、ここは言われたとおりにするしかなかった。
「さあさあ。では、高貴のおかたには、ちとキツイですぞ。侯爵さまには最上階まで行ってもらわねばなりませぬからな」
獄舎の塔の最上階。
その場所については、ウワサがある。何やら、古代に造られた処刑場だというのだ。これまでに大勢の罪人がそこで帰らぬ者となり、今でもその魂は救われず、塔内をさまよっているのだとか。
「とても恐ろしい場所だそうだな。大の男でも泣きわめいて命乞いするとか」
「ヒヒヒ」
ダメだ。処刑人なんて、やはり、どこかおかしいのだろう。話にならない。見ためはむしろ、ほっそりして、そこそこ整っているのだが、目つきがとてつもなく薄気味悪い。
両側を壁と牢屋にはさまれた細いらせん階段を、ただひたすらあがっていく。これじたいが拷問かと思うほど長い。
牢屋はどれも無人だ。獄舎の塔は貴族の罪人専用なので、投獄される者はほとんどいないのだ。
「さあ、どうぞ。侯爵さま。こちらへ」
ようやく、最上階にたどりついた。牢番が扉をあけ、手招きする。
不快だが、ユスタッシュは自らそこへふみこんだ。
泣きわめいても、ユスタッシュを痛めつけたい皇帝を喜ばせるだけだ。たとえ、ここで死ぬとしても、毅然とした態度を失うまいと決意していた。
「ヒヒヒ。美しいばかりか、潔い侯爵さまですなぁ。まあ、そんなところが嫌われたのでしょうがね」
背後でバタンと扉が閉まる。もちろん、それに続いて鍵の音も。
ヒヒヒと笑いながら、牢番が去っていった。
ユスタッシュは首をかしげる。処刑場というから、てっきりあの牢番が何かすると思っていたのに、これは予想外だ。
なかは思っていたより広い。最上階全体が一室になっている。円形の部屋。その丸い部屋の床いちめんに砂が厚く敷きつめられている。部屋の中央に一つだけ椅子が置かれていた。
そして、処刑場というから暗いふんいきを想像していたのに、思いがけず、室内は明るい。陽光がさんさんとあふれていた。そのせいか、温暖なユイラにしては、かなり暑い。まるで温室のなかだ。
そのときだ。
とつぜん、足がチクリと痛んだ。針で刺されたような、するどい痛み。
ユスタッシュは足元を見おろして、ゾッとした。
この部屋の処刑の仕組みがわかったのだ。
(砂虫だ!)
それはブラゴールの砂漠で、イヤというほど見た生き物だ。ひと刺しでラクダや馬でさえも倒す猛毒を持つ。
室内に敷きつめられた砂。その下に、おびただしい数の砂虫がいる……。
ユスタッシュはあわてて、中央の小さな椅子まで走った。ガサガサと砂をかきわけて砂虫が追ってくる。どうにか群がってくる前に椅子へあがれた。
しかし——
(砂虫に刺された。ラクダが死ぬんだぞ。今ので、もうダメかもしれない……)
でも、それなら、案外ラクに死ねる。砂虫の毒は即効性だ。さほど苦しまなくてすんだことだけはラッキーだった。
幼いエルヴェを一人にしてしまうと思った。が、さすがにユスタッシュがいなくなれば、セブリナを城へ呼びもどすだろう。むしろ、昨今のギクシャクした兄弟関係が続くより、エルヴェは喜ぶに違いない。
(そうか。おれが死んでも、悲しむ者がいないのか)
なんだか、バカバカしい。
息をつめて生きづらい思いを我慢する必要なんてなかったのだ。
するりと涙がすべりおちた。
「ルビー……」
ただもう一度だけ、あの人に会いたかった。それだけが心残りだ。




