第66話 ユスタッシュをとりまく人々
その日の中天。
クルエル公爵が屋敷に帰ってきた。寝台にふせったままのフォンナを、長女のアンリエットがゆり起こす。
「お父さまがお帰りよ」
「ほっといて。お姉さま」
「お熱もないし、どこも悪くないでしょう?」
「ちょっと気分がすぐれないだけ。お願いだから一人にして」
アンリエットは少しのあいだ、フォンナを見つめた。やがて、静かな声でたずねる。
「ユスタッシュを追いつめて、心苦しいの?」
フォンナはこわばった。
「な、なんのこと?」
「屋敷じゅうのウワサよ。あなたの馬車を襲わせたのが、ユスタッシュだって。その仕返しなんでしょう?」
泣きふしていたフォンナが、カッとして起きあがる。
「だから何? どうせ、わたしはお兄さまに嫌われてるわ! お兄さまなんて、どうなっても知らないんだから!」
アンリエットはあきれはてる。
「あなたはユスタッシュがどんな人かも理解しないで、それでほんとに恋してると言えるの?」
「なんですって?」
「ユスタッシュがそんな卑怯者かどうかくらい、わたしにだってわかります」
フォンナは唇をかんだ。
「お姉さまに何がわかるというのよ? お姉さまなんて、誰も好きになったことないくせに!」
いつもはつつましく、おだやかなアンリエットだ。フォンナは姉が乱暴なふるまいにおよぶなんて思いもしなかったのだろう。いきなり、ぴしゃんと頬をはたかれて、目をしばたたかせる。
「な……お姉さま……?」
「自分だけが苦しいような言いかたはよしなさい。あなたが本気でユスタッシュを愛してるというなら、彼を苦しめることが望みなの? それがあなたの愛なのね?」
言うだけ言って、アンリエットはフォンナの前から去った。自室へ帰った彼女は、胸元のペンダントをひらく。ロケットのなかには鳶色の髪の毛がキレイに編みこまれている。
アンリエットがぼんやりとそれをながめていると、何やら父の部屋のほうがさわがしくなった。アンリエットは外に出て、そこまで行ってみる。見れば、ルビーだ。
「公爵さまはただいま、おとりこみでございます」と、制止する召使いをふりきり、父の部屋へ入っていった。
アンリエットはそっとあとを追う。
「叔父さま」
ルビーが入ると、公爵はとりこみ中どころか、怠惰に物思いにふけっていた。だが、ルビーを見て急にとりつくろったすまし顔になる。
「おやおや、あいかわらず元気のいい。召使いがとめただろうに」
「叔父さまがユスタッシュを投獄なさったのですってね」
「それは陛下だ」
「でも、叔父さまが訴えたのでしょ?」
「事情があったのだ」
ルビーは公爵をにらんだ。
「おためごかしは充分ですわ。でも、わたし、言い争いに来たんじゃありません」
「ほう? というと?」
だが、そのときだ。外から廊下をかけてくる足音がして、ハリオットが入ってくる。入口に立つ姉に少しおどろいていたが、そのまま素通りした。
「父上。ルビーが来ているそうですね」
「次から次へとさわがしいものだ。ハリオット。あとにしなさい。大事な話の最中だ」
が、ルビーがひきとめる。
「わたしはかまいません。話というのも、ちょうどハリーのことですから」
ハリオットが息をのんだのは、絶交になった原因を暴露されると考えたからだ。だからこそ、あわてて父のもとへやってきた。
「話してみなさい。レリエルヴィ」と、公爵がうながす。
あわてたハリオットが、
「待ってください。さきにルビーと二人で話をさせてください」
言うのもかまわず、ルビーは口をひらく。
「叔父さま。わたし、ハリオットと結婚しようと思います」
ハリオットは信じられない心地でルビーを見なおす。その瞬間は有頂天だ。じきに地獄の底まで失墜するのだが。
ルビーの言葉には続きがあった。
「そのかわり、ユスタッシュが一刻も早く牢屋から出られるよう、陛下に進言なさってください」
ハリオットの表情が凍りつく。口元の喜びが消えるヒマさえなく、氷の槍で胸をつらぬかれた目になった。
ルビーはそれにもかまわず続ける。
「お願いです。叔父さま。今すぐ、ユスタッシュを助けてください」
ルビーが公爵の前にひざまずくと、オニールはまぶしそうに少女を見つめた。
「……けなげなものだな」
「だって、それが叔父さまの望みなのでしょ?」
「そなたらしくない。誰かから入れ知恵されたかな? しかし、今すぐというわけにはいかない。まだ支度が整ってはいないのだ」
「ル・ギラン男爵の企てをあばく証拠品なら、エルタルーサ兄さまがエルニルーク城へとりに行っていますわ」
「なるほど。あの男のさしがねか。ならば、納得だ。素早い判断に行動力。彼らしい」
「でも、決心したのは、わたしです」
オニールは嘆息した。
「ルビー。そなたはそれで後悔しないのか?」
「するわ。もちろん。でも、今、ユスタッシュがどんなムゴイめにあっているかと思うと、わたし……耐えられない」
オニールは無言でいたが、内心は感嘆していた。少女のひたむきさに。
これほどまでに好きあっている者たちを両側から手をひっぱって、ムリヤリひき離す。自分のしているのは、それだ。良心がいたまないわけではない。
(だが、しかし……)
今さら長年の夢をすてられない。こうなれば、意地の張りあいだ。誰の想いがもっとも強いのか。神にそれを試されている気分にすらなる。
「とにかく、ベルモット卿が帰りしだいだな。今はどうにもならぬ」
なおも食いさがろうとするルビーの手を、ハリオットがつかんで部屋からつれだした。
「……ルビー。君はユスタッシュを愛しているのかい?」
詰問するハリオットの手を、ルビーはふりはらった。
「そうよ」
「だから、ユスタッシュを助けるために、僕と結婚しようというのか?」
ルビーはまっすぐにハリオットを見つめる。しかし、その瞳のなかに、少し前まであった親密さはまったくなくなっていた。信頼を失ったのは己自身のせいだ。
しかし、だからといって、これはあまりにもヒドイとハリオットは思う。
ルビーはハリオットを見つめながら、ちゅうちょなく答える。
「ええ。そうよ。だからなんなの? あなただって、そのほうが嬉しいんでしょ?」
「バカにするな。僕は純粋に君を好きなんだ。君は僕のその気持ちを利用しようとしている。誰が恋敵の命乞いの代償として、おこぼれの結婚を恵んでもらいたいと思う?」
そして、つい、激昂のあまり、ハリオットは口をすべらせてしまった。
「ユスタッシュのやつ、あのとき死んでればよかったんだ」
怪訝な顔つきのルビーがハッとした。
「あのとき? まさか、フォクサーヌが倒れた毒……あなたが……?」
ハリオットはあきらかに青ざめた。つかのま、言葉を失ったように黙りこむ。
「そうなのね? ハリオット。あなたがユスタッシュを殺そうとした。だから、叔父さまはあなたをかばっているのね?」
だが、ルビーが問いつめると、ハリオットのおもてには、ひらきなおった笑みが浮かぶ。
「だとしたら? 今それを訴えたところで、陛下は信じてくださらないよ」
「卑怯者!」
叫ぶと、ハリオットがすばやくルビーの肩を押さえつけ、唇をふさいでくる。
「それでもいいんだ。君は僕と結婚すると言った。じゃあ、してもらおうじゃないか。もうユスタッシュなんかには渡さない」
言いつつも、ハリオットの双眸からは涙がこぼれおちる。ハリオットだって、ほんとに欲しいのはルビーの心だ。でももう、それは永久に手に入らないと、彼は悟った。これはすでに敗者の恋なのだと。
ハリオットの涙を見て、ルビーは一瞬、ひるんだ。でも、この瞬間に苦しんでいるユスタッシュを思い、心をかきたてる。
「いいわ。結婚するわ。でも、わたし、あなたが指一本でもふれたら、死ぬから!」
泣きながら去っていくルビーを、ハリオットは見つめる。
二人のようすを、物陰からアンリエットがうかがっていた。




