第54話 英雄ユスタッシュの憂い
ユスタッシュがゴールの門をくぐると、待ちかねていた武術仲間が押しかけて、もみくちゃにした。ユスタッシュが馬をおりるのを待って、かわるがわる抱きしめる。
「素晴らしいじゃないか。ユスタッシュ」
「いつのまに、あんなに腕をあげたんだ。前はいい勝負だったのに、もうこっちに勝ちめがない」
「優勝は君に決まりだな」
「やはり、ブラゴール行きが関係してるのか?」
ユスタッシュは気心の知れた友人たちにかこまれ、満面の笑みを返す。
「むこうでは岩場や砂地で野生馬狩りをしていたからな。それが知らないうちに訓練になっていたんだろう。何、おれの腕より馬がよかったのさ。白竜号、よくやったぞ」
イグナ王がくれた馬のなかの一頭だ。その多くはライラクで売ってしまったが、白竜号と対の黒竜号の二頭だけは、ひじょうに優れた名馬だったため、手元に残したのだ。
「ブラゴール産か。よい馬だな」
「筋肉のつきかたが違う」
「それにしても、いかに名馬でも、乗り手が悪ければ真価は発揮できない。やはり、ユスタッシュの手綱さばきが素晴らしいのだ」
ほめそやされるユスタッシュをながめ、悪態をつく者がある。
「あんなの曲芸団の乗りかただ。貴族らしくない」
ハリオットだ。爪をかんでそっぽをむく。子どもっぽい仕草だが、こんなときこそ、彼は恐ろしい。
(ユスタッシュはあらゆる武術、馬術にたけてるというから、この数年、鍛錬に励んできたのに。あれじゃ、まったく歯が立たない)
威勢よく勝負をつきつけたものの、今のハリオットに勝ちめはなさそうだ。ただし、正攻法では。
(僕は絶対に負けない。ルビーをけがした男は必ず殺す)
ハリオットには断固とした決意がある。
ハリオットの視線を感じて、ユスタッシュはふりかえった。だが、むこうから視線をそらして去っていったので、ふたたび友人たちにむきなおる。
ユスタッシュたちは馬を馬場にあずけ、観客席へ入っていく。これで予選が終わるまで、競技者として出場することはない。
すると、すぐにエルタルーサとエルヴェが迎えにきた。
「ユスタッシュ。おめでとう」
「おめでとう? 何が?」
「優勝は君に決まりだろう?」
「まだわからない」
「いやいや、決まったようなものだよ」
派手にお祝いのキスをしてくれる。すでに英雄あつかいだ。が、そのとなりで、エルヴェは元気がない。微笑してはいるが、どことなく沈んで見える。このところ、ずっとだ。
「兄上。すごかったよ」
「ありがとう」
「来年は僕も出たいな」
「おまえも成人したら、いつでも出られる」
ユイラ人の男は声変わりすると成人が認められる。エルヴェはまだ少年のソプラノを保っている。
「きっと、もうじきだ」
「うん……」
エルヴェの肩をたたこうとしたが、少年はうつむいて、さけるようなそぶりをした。
一年前のあのときから、ユスタッシュは自分たち兄弟がしっくりいっていないことに気づいていた。一年前。ユスタッシュがセブリナを追放してから。
もちろん、エルヴェだってわかっているはずだ。母の犯した罪が本来なら死に値すると。
それをゆるし、皇都の屋敷をあたえ、ラ・マン侯爵家との縁を切るだけですませた。甘すぎる処置とすら言える。
しかし、優しかった母の名がラ・マン家のすべての書類から消され、二度と戻らない。エルヴェの母を名のることすらゆるされない。したがって、エルヴェが会いに行くのも人目を忍び、秘密にしなければならない。公にできないから、回数もかぎられていた。それも、いつもユスタッシュの騎士の監視つきだ。
この世から抹殺された人。生きてはいるけど、存在はないに等しいのだ。
エルヴェが悲しむのは当然だろう。
ユスタッシュは自分が母を亡くしたばかりのころを思いだす。
いつも、何をしていても、むりにはしゃいでも、耐えがたい空虚が胸を去らなかった。いつも自分を慈しんでくれていたものの不在。喪失感は日に日に増していき、ときには母の部屋へ忍びこみ、なつかしい匂いに包まれて泣いたものだ。
(ましてや、その別離が兄の手で行われたとなれば、恨まぬほうがおかしい)
エルヴェはたった十二で母と生き別れになったのだ。その原因である兄を見れば、はたしてどんな気分になるのだろう?
そう考えると、ユスタッシュはもう何も言えなくなる。そして、それがいっそう、二人のあいだを気まずくし、兄弟の距離をひろげてしまうのだと、痛いほど感じる。
ユスタッシュもそうだが、エルヴェも繊細で鋭敏な感受性の持ちぬしなのだ。似てないようで、よく似ている。
「さあさあ、ユスタッシュ。シャンテも待っている。早くすわって見物しよう」
エルタルーサが肩をくんでくるので、ユスタッシュは歩きだす。だが、もはやそのおもてに笑みは一片もなかった。




