第46話 セブリナの後悔
エルニルーク城の客間のなかでも、瑠璃の間は賓客をもてなすための最上級の部屋だ。
その贅をきわめた部屋で、兄のレニードが小間使いのセリエと果物を食べている。真っ赤に熟れたカラナの実を口移しで食べさせあっているのだ。
「おっと、いけねえ。汁がこぼれた」
「侯爵さまがちゃんとくわえてないからよぉ」
「よしよし。次はちゃんと食べさせてくれ」
などとやっているのが、セブリナの癇にさわってしょうがない。兄のこぼした果汁が豪華な絨毯にシミを作るが、いったい、あの絨毯一つにどれほどの価値があるのかわかっているのだろうか?
「兄さん。聞いてるの? それに、セリエ。兄は侯爵ではありません。侯爵はエルヴェです」
セリエは鼻で笑っている。小間使いといったところで、先日、急に兄がつれてきた女だ。どうせ、場末の娼婦か酒場の酌婦だろう。
以前は女中頭のニコルが召使いたちを指導し、ピカピカに磨かれていたこの城も、兄がつれてきたいかがわしい女たちのせいで、今ではくすんで見える。仕事のできる召使いは、みんな兄が追いだしてしまった。
「うるさいなぁ。さっきから、なんだ。文句言うだけなら出てってくれ」
「だから、次の星祭についてよ。いくらなんでも、湖礼祭の次に星祭までとりやめなんてしたら、親戚じゅうに怪しまれるわ。だから、神殿におさめる人形を何体にするか、聞いてるんじゃないの」
「そんなの、おれは知らんよ。てきとうでいい。てきとうで」
「湖岸協定者のあいだで、ことこまかく決まってるのよ」
「去年はどうしたんだ。去年と同じでいいだろう」
「去年はヘルディードが手配してくれたわ」
レニードは黙りこんだのち、セブリナを無視した。セリエに抱きついていく。
「そろそろ別の果物を食べようぜ」
「あらん、侯爵さまぁ」
セブリナは怒りを必死で抑えた。ここで冷静さを失えば話にならない。近ごろのラ・マン侯爵家の政務はすべてが滞っていた。盛んに出ていくのは、レニードの遊興費ばかりだ。それも額がどんどんあがっていく。
「兄さんはこのごろ、皇都でもラ・マン侯爵を名のっているらしいわね。何度も言うけど、侯爵はエルヴェよ。兄さんじゃないわ」
「いいじゃないか。エルヴェは子どもなんだし、わかりゃしないよ」
「皇都の屋敷を妾宅にして大さわぎしてるとか。親戚じゅうが文句を言ってるのよ? 怪しまれてもいいの?」
「どうせ、明日がすんだら、親戚にはどうにもできなくなるんだ。この城も領地も、ありあまる金も宝石も、みんな、おれのものだ」
セブリナは背筋が冷たくなった。
もしや、兄は必要がなくなったら、自分もエルヴェも殺すつもりなんじゃないか——ふと、そう思ったのだ。
「兄さん……まさか……」
「はあ? なんだよ? まだいたのか。さっさと出ていけよ」
まさか、わたしを殺すのとは怖くて聞けなかった。
セブリナは恐れをなして退室する。
(兄さんは初めから、ラ・マンの財産がめあてだったんじゃないかしら? このごろ、エルヴェにも前ほど優しくなくなった。仮にも侯爵なのに、あからさまにバカにした態度をとる。もしかしたら、多くの果樹園や牧場の権利をエルヴェの名義にするとき、後見役として兄さんを共有者にしたせいかもしれない。エルヴェに何かあったら、それらは兄さんのものになる)
あのころ、セブリナは何もかもどうでもいいような気持ちで、すべて兄に任せてしまった。でも、それが間違いだったのだ。
(わたしはとんでもないことをしてしまったのかもしれない。わが子を守るつもりで、じつは危険な道へ追いやってしまったのかも?)
不安にかられ、エルヴェの部屋へ行ってみた。外から扉をたたくが、エルヴェの返事はない。このごろ、エルヴェは内鍵をかけて、外へ出ようとしないのだ。無言で責められているようで、ここでも胸を痛める。
自室へ帰っても寝つけない。
明日の一年祭が明けたら、レニードはユスタッシュの部屋をひらくだろう。そこを好きに使うに違いない。
以前は、ユスタッシュが静かに本を読んでいた部屋。あるいはエランたちと手ぎわよく仕事をこなしていた。
その前にはオルギッシュの部屋だった。窓から見えるルーラ湖をながめ、次に造る船はおまえの名前にしようなどと言っていた。
すぎた日が夢のように思いだされて、セブリナは涙を流した。
(わたしはいつのまにか、自分で思っている以上に、オルギッシュの妻だったのだ。自分は夫の愛を当然のものと甘えていながら、その上で自身の想いが犠牲になっていると信じ酔っていた。ユスタッシュがわたしを重荷に思うはずだわ。自分だけ逃げ道を作っておいて、彼一人を追いつめて。なんて身勝手で一人よがりなんだろう)
あるいは、自分の生んだ子どもより夫に愛される前妻の息子に嫉妬していたのかもしれない。そんなものは恋と言えない。
(ユスタッシュ。ごめんなさい。わたしが悪かったわ。あなたがわたしを殺そうとしてもしかたなかったわね)
泣いていると、城内がさわがしくなってきた。
なんだか変だ。ふつうじゃない。泥棒でも入りこんだのだろうか? いや、大勢が争っている?
セブリナが立ちあがったとき、寝室の扉がひらいた。
男のシルエットが戸口に立つ。
「義母上。ただいま帰りました」
ひどく静かな、その声は……。
「ユスタッシュ? あなたなの?」
セブリナは涙とともに安堵の吐息をもらした。
これでいい。迷子になっていた道から、ようやく、あるべきところへ戻ってきたのだ。




