第44話 帰ってきたユスタッシュ
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ユライナのラ・ベルモット邸は宮殿へ馬車で十五ミールとほど近い。しかも貴族屋敷の端なので、反対側は皇帝領の森や果樹園で、景色もよかった。
エルタルーサが宮殿から帰ると、小サロンで妹のシャンテとルビーがお茶を飲んでいた。このごろ、よく見る光景だ。年はだいぶ離れているが、ルビーとシャンテはたいそう気があうらしい。
「ご機嫌よう。令嬢」
「機嫌よくもないのだけれど、ご機嫌よう」
ルビーはため息をつきつつ答える。
ルビーは十三歳になっていた。体つきも女らしくなり、女児というよりは少女だ。ため息をつくと、大人びた翳りすらかいまみえた。
「妹よ。ルビー嬢をうちに独占していると、そのうち男どもが怒って暴動を起こすぞ? ほどほどにしておきなさい」
「すでに恨まれておりますわ。おかげでわたしはユイラじゅうの殿方に嫌われて、結婚なんてできそうにないわね」
ベルモット家は長子のエルタルーサをのぞいて、兄妹は女ばかり。そのせいか、結婚も放任主義である。シャンテはとくに男勝りだし、もしもルビーがシャンテの影響を受けたらと、エルタルーサは危ぶんだ。
「ごめんなさいね。お姉さまを悪者にしてしまって」
吐息をつくようすが、薄い花びらを唇からヒラヒラ吐きだしているような可憐さだ。
「気にしないで。わたしが結婚しないのは、わたしより強い男がいないからよ。ユイラの男はなんでこうも頼りないのかしら」
「わたしも早くお姉さまみたいに強くなりたい」
エルタルーサはゾッとする。
「恐ろしい。花のごとき美少女が、シャンテのように、自分より強い男としか結婚しないなんて言いだしたら、どうなるか」
シャンテはかなりの剣術家だ。大会では貴公子にまじって首位を争う腕前だ。ルビーは近ごろ、シャンテを師匠とあおいで剣を習っている。
シャンテは大口をあけて兄を笑った。
「責任はもてないわ。だって、ルビーは自宅にいると求婚者がたずねてくるので、うちへ逃げてきているのだもの。ねえ、ルビー?」
「ええ。どうして、殿方って、みんな同じことしか言わないのかしら? 飽き飽きしちゃう」
ルビーの口調にはあきらかに男性蔑視の傾向がある。エルタルーサはふたたびゾッとした。
「それより、兄さま。陛下のご病状はいかがでしたの?」
シャンテに問われ、エルタルーサの表情はひきしまる。
「はかばかしくなかった」
「一昨年、エニティさまがご逝去されたばかりなのに……」
エルタルーサはシッと人差し指を口にあてた。それについてはよくないウワサがあるからだ。
まだ二十代の健康な皇太子が、とつぜん亡くなった。幼名はエニティ。諡名はイルティ。清き光の意味である。
暗殺されたのではないか……そんなウワサがささやかれる。
ルビーにとって亡き皇太子は従兄弟だ。不安げに二人の年上の友達を見つめる。
「エニティさまは優しくて聡明な、とてもよいかただったわ」
「うむ。宮中でも多くの者に慕われていた」
シャンテが眉をひそめる。
「エニティさまがそうなら、もしや、陛下も……?」
「めったなことは言うな。英君の誉れ高い陛下にかぎって、そのような……」
エルタルーサの言葉は中途で消えた。表がさわがしくなり、バタバタと走ってくる足音がある。扉の前でシャンテの侍女の声がした。
「エルタルーサさまにお手紙ですわ」
エルタルーサが扉をあけると、侍女は一通の封筒を渡す。
「表口に怪しげな男が参り、若さまにこれを渡してほしいと」
「どんな客だ?」
「フードを頭からかぶっていらして、顔は見えません」
「もう帰ったか?」
「下でお待ちでございます」
封を切ってなかを見たエルタルーサは叫んだ。
「その客を今すぐ、ここへ通せ」
「かしこまりました」
侍女が出ていき、シャンテは首をかしげる。
「どうしたのよ。お兄さま」
「しばらく、かくまってほしいと——なぜ今、彼が……」
エルタルーサにはシャンテの声が聞こえていないかのようだ。
やがて、フードをかぶった背の高い男が室内に入ってきた。
さっきまでため息ばかりついていたルビーの目が彼に釘づけになる。まさかと思いつつ、なんとなく、ある人の面影を感じたのだ。体格や香り。すべてが、なつかしい。
注視するルビーの前で、彼はフードをとりはらう。その下から現れたのは、火に焼けた肌の凛々しい顔立ち——
「エル。ひさしぶり」
「信じられない。ほんとに、ユスタッシュか?」
「おいおい。従兄弟の顔をもう忘れたのか?」
エルタルーサとユスタッシュが抱きあって笑う。日焼けした肌のなかで白い歯がくっきりと浮き立つ。
ルビーが初めて会ったときのユスタッシュだ。海底国の人魚の王……。
(ユスタッシュだわ。ユスタッシュ……)
彼のせいで男嫌いになったはずなのに、なぜか、涙がこぼれそうになる。
(まあ、何? わたし。まさか、喜んでるの? そんなわけないわね。でも、なんだか……)
彼が生きていたと思うだけで、胸が熱くなる。
ユスタッシュはまだルビーに気づいていない。しきりとエルタルーサと話している。
「ユスタッシュ。いったい、どうしたんだ? ブラゴール大使の任期はまださきだろう?」
「たったいま、ユライナについた。二、三日、この屋敷にかくまってくれ」
「それはいいが、なんでだ?」
「波止場であてもなく私を待っていたというヘルディードに会ったよ。聞けば、しあさってがおれの一年祭だというじゃないか。そのとき乗りこめば言いわけもできない」
「一年祭? ここにいる君が死人だとでも? とにかく、なかへ入りたまえ。幽霊でなければね」
室内に入ってきたユスタッシュの目がルビーの上で止まる。二人は時が止まったかのように、しばし見つめあった。
ユスタッシュの頬にもかすかな笑みが浮かんだ気がしたのは、ルビーの思い違いだったのだろうか?
次の瞬間には、ユスタッシュは視線をはずした。
「エル。君の部屋へ行こう。ナイショの話がある」
「ここではできない話なんだね?」
「誰にも聞かれては困る」
ユスタッシュはエルタルーサと退室する。
ルビーはあわててあとを追った。
「待って。あやまらないの? あなたはわたしにあやまらなければならないわ。だって、そうでしょ? わたし、もう一人前よ」
廊下へ出たところで、ユスタッシュはふりかえった。青い瞳が物悲しいような色を帯びる。
「そんなことを公言しているあいだは、まだ子どもですよ」
そのまま去っていった。
ルビーは怒りでふるえた。
だが、なんだろう?
腹立たしいのに、嬉しい。
近ごろの憂鬱がいっぺんにふきとんだ。




