第42話 マハドの憂鬱
証人を生きたまま二人も捕まえたので、船内は活気づいていた。昨夜は警戒のため禁じられていた酒が解禁となり、騎士たちは酔いかげんである。
夕食の席。元気がないマハドにユスタッシュは声をかける。
「どうした? マハド。船酔いか?」
「な、なんでもないよ」
「なんでもないって顔じゃないぞ」
マハドは首をふるが、どう見てもようすが変だ。
「壊血病ではあるまいな。おまえがリンナールを飲まないから。リンナールは栄養豊富なんだぞ」
「ユイラのお茶は苦くて口にあわないよ」
「おまえがしぼんでると、私もさみしい。早く元気になってくれ」
ユスタッシュの言葉は、まるで恋する少女にむけられたもののようだ。マハドの心はいっそう深く沈む。
「大丈夫だよ。ほら、飯だって、こんなに食うよ?」
急いでパンにかじりつくと、ユスタッシュは微笑した。が、彼がとなりの船長と話しだすと、マハドのおもてはまた暗くなる。
(ユスターハン。おいらには教えてくれなかった)
今日のたいへんな捕物も、ユスタッシュが命を狙われていたことも、マハドはあとになってから知った。おまえに心配かけたくなかったんだとユスタッシュは言うが、船内で知らなかったのはマハド一人だった。
(なんだい。おいらだけ、のけもんにして)
何も知らずにはしゃいでいた自分がバカみたいだ。何より、信用されていなかったのだと思うと悔しい。
やっぱり、ユスタッシュは、自分を好きな人の身代わりにしてるだけなのか……。
涙がこぼれそうになって、マハドはリンナールをぐっとあおる。が、あまりの苦さに舌を出した。あたりをキョロキョロ見まわすと、まだ八分め以上残ったリンナールを、となりの太った料理長のカップにすばやくうつした。料理長は酔っぱらっているので気づかない。
マハドは立ちあがった。
「おいら、もう寝るよ」
ユスタッシュにひきとめられる前に走って逃げだす。だが、自分の部屋に戻っても、なかなか寝られなかった。
船内はどこもかしこもお祭りさわぎで、遅くまでにぎわっていた。甲板から戦勝を祝う歌が聞こえてくる。自室のまわりだけが静まりかえり、疎外感は高まるばかりだ。
(おいらの父ちゃん、母ちゃんはなんで死んだんだろう)
今まで、さみしいなんて思わなかった。生きることに必死だったから。
その日のパンがあるだけで満足していればよかった。何日も食べるものがなくて、ひもじい思いをすることも多かった。いつも市場の食べものをかすめとる方法だけを必死で考えていた。
いつから一人なのか、なんで親が死んだのか、それさえおぼえていない。父親の顔も母親の顔も記憶のかなたでぼんやりしている。おぼえているのは、抱きしめてくれたあたたかな腕だけだ。うんと小さなときに。
(父ちゃん。母ちゃん)
マハドが枕に顔をうずめていると、部屋の外に足音がした。扉が二、三度たたかれる。
「マハド。眠ったのか?」
ユスタッシュの声だ。マハドが黙っていると、ためらいがちに扉がひらいた。ユスタッシュが室内にすべりこんでくる。暗い室内にユスタッシュが手に持つロウソクの明かりだけがぼんやりとゆらめく。ユスタッシュは燭台を置いて、マハドの布団をなおす。
マハドは寝たふりをしてうつ伏せていた。が、くすりと笑って、ユスタッシュが言った。
「息をしないと死んでしまうぞ?」
ぷはっと枕から顔を離して、マハドは急いで息を吸った。
「なんでわかったんだ」
「わかるさ。そんなに肩をしゃちこばらせて」
ユスタッシュの手がマハドの髪をなでる。
「泣いていたんだな?」
「……」
「故郷がなつかしくなったのか? やはり、ブラゴールに残ったほうがよかったか?」
「そうじゃないよ」
マハドは起きあがり、シーツの端で鼻をかもうとした。あわてて、ユスタッシュが刺繍入りのハンカチをさしだしてくる。
「鼻をかむなら、これにしなさい」
「だって、汚れちまうよ。こんなに高そうな」
「すてるからいい」
「すてるんなら、おいらがもらう。あとで洗って使うから」
ちんと鼻をかんで、マハドはハンカチをポケットに入れた。ユスタッシュはなんとも言えない表情だ。
「……苦労してきたんだな」
「え? なんで?」
「いや、いい」
「どうせ、おいらは貧乏人だよ」
ユスタッシュのおもてに悲哀の表情が浮かぶ。
「そのかわり、思うままに行動できる自由がある」
マハドはユスタッシュを見つめ、口をとがらせた。
「好きな女がいるなら、結婚すればいいじゃないか」
「それができるなら、とっくにしてる」
「なんで、できないんだい?」
「いろいろ事情があって。それに、私が好きでも相手が好いてくれるとはかぎらない」
「弱気なこと言ってるぜ」
乱暴なマハドの言葉に、ユスタッシュが笑う。
「それにしても、なぜ、おまえがルビーを知ってるんだ? 私は話していないはずだ」
「ルビーっていうのかい? その女、おいらに似てる? おいら、その女に似てるから、身代わりなんだって」
なにげなく言ったつもりだが、マハドの頬にポロリと涙がすべった。
「あんたが好きなのはその女で、おいらじゃないって」
「誰がそんなことを?」
「リードのやつが」
ユスタッシュは苦い顔をする。
「あいつもおまえと似たような境遇だから、よけいに厳しいのかもしれないな。リードはスタンフィールド卿の次男だったが、両親が亡くなり、腹違いの兄とおりあいがあわなくて家をとびだしたんだ。路頭に迷っていたので父がつれ帰った。あいつには私がほんとの兄のように思えるのだろう」
「どっちでもいいよ」
そっぽをむくマハドの体は急にふわりとユフラムの香りに包みこまれる。ユスタッシュが両腕でマハドを抱きしめている。
「私はおまえが好きだよ。たしかに、おまえのよく動く大きな黒い目はあの子に似ているが、それだけでつれてくるわけがない。おまえの明るさが私を助けてくれるからだ」
マハドは小さな子どもみたいにあつかわれて恥ずかしかった。が、自分からは離れられない。何かの磁力みたいなものにひきとめられる。けっきょく、そのまま、ユスタッシュの胸に顔をうずめた。
それから、どのくらいたったのか。いつのまにか、マハドは眠っていた。真夜中に目がさめると、ベッドのとなりにユスタッシュが眠っている。
(ずっとそばについててくれたんだ)
へへへと笑って、もう一度よりそって寝ようとしたときだ。足音を忍ばせて、誰かが廊下を近づいてくる。
マハドはよこになったまま薄目をあけた。そういえば、船内がやけに静かだ。さっきまで、あんなににぎやかだったのに。
(みんな寝てしまったのかな?)
なんとなく、おかしい。空気の感じがいつもと違う。
マハドが息をひそめていると、扉がひらいた。室内のロウソクの火は消えていた。が、廊下からランプの明かりがさしこむ。その光にキラリと銀色のきらめき。抜き身の剣をさげた男が、部屋に侵入してくる。




