第34話 波のエルヴェ
ラ・マン侯爵家の一室。
エルヴェは自室で一人、机にむかっていた。だが、いきなり扉がひらき、心臓がちぢみあがる。あわてて、ペンを走らせていた紙を本で隠した。
「やあ、エルヴェ。何をしてるんだ?」
レニードの声だ。エルヴェはドキドキするのを抑えて、なるべくふつうに見えるように答えた。
「う、うん。勉強してたんだよ。ぼく、神聖語が遅れてるから」
「喪中だっていうのに感心だな。やっと、おまえにも侯爵としての自覚ができたのか」
「う、うん……」
水の年、風の月の初めだ。ユスタッシュの葬式があってから、およそ四ヶ月がすぎている。
エルヴェはセブリナが病気をわずらっているという理由で、学校を休学していた。むろん、セブリナの病気は喪中と公表できないための言いわけだ。こう言っておけば、エルヴェは学校を休めるし、セブリナは人前に顔を出さなくてすむ。
エルヴェにはナイショにされているが、たぶん、そのあいだにラ・マン侯爵家のさまざまな権利書をエルヴェ名義に書きかえるのだろう。
「だけど、エルヴェ。ムリはするな。おまえが大人になるまでは、おれや母上が力になってやるからな」
「うん」
エルヴェはうつむく。それをどう思ったのか、レニードはエルヴェの肩に手をかけてきた。
「近ごろ、食事も食べないで部屋にこもって、母上が心配していたぞ。父上に続いて兄上まで急に亡くなったんだから、悲しいのはわかるが、おまえの人生はこれからだ。おまえには、おれや母上がいるんだからな」
「わかってるよ。ありがとう」
笑っているレニードに、エルヴェはとつぜん別の質問をなげてみた。
「ねえ、どうして、ヘルディードはいなくなったの?」
レニードは何くわぬ顔で答える。
「遠くに嫁いだ妹が重病だというんで、しばらくヒマをとったんだ」
「ヘルディードに妹がいるなんて聞いてなかったけど」
「あいつは自分のことは語らないんだ。いい召使いはそういうもんだよ」
「ふうん」
ぼくは小さいころ、ヘルディードの兄弟の名前は全員、聞いたのに、という言葉をエルヴェはのみこむ。
「エランもいなくなっちゃったし、女中頭のニコルも代わって、なんだか心細いな」
エランはラ・マン侯爵家の領地のはずれにある戦国時代の砦を改修する指揮のため、先々月にエルニルーク城を出ていった。ニコルにいたっては、いついなくなったのかもわからない。
「セ・クールの砦なんて、今さらなおしたって使わないのに。あそこは亡霊が出るっていうよ」
「そんなものは迷信さ」
「だって、エランが亡霊に襲われてケガしたって……怖いね。亡霊は剣を持ってたって」
つぶやくエルヴェの頬を涙がすべりおちた。エルヴェはそれをぬぐおうともしない。
「エランに何かあったら、亡霊でもゆるさないよ」
つぶやいて、エルヴェは神聖語の本をひらいた。
「伯父上。ぼく、発音がヘタで恥ずかしいから、一人で勉強したいんだ」
「そうか」
レニードは肩をすくめて出ていく。
残されたエルヴェは、レニードが出ていったあと、戸口まで行って、たしかに彼が去ったことを確認した。そして、ふたたび机にすわると、さきほど隠した紙片をとりだす。
それは手紙だ。
遠いブラゴールにいる兄へつづる、涙で文字のにじんだ手紙だった。




