第32話 ブラゴールの暮らし2
プッカサーリの果汁を飲みながら歩き続け、ようやく、ユイラ人市場が見えてきた。市場の一画にユイラ人が集まっている。
ブラゴールにも数は少ないながら、ユイラから来た商人がいた。彼らの生活を守るのも大使の役目だ。
「今日はもめごとは起こっていないだろうか? アニエスが年内に店をたたんで帰国すると言っていたな」
ラマスタはフェイレーン湖のまわりの草原に現れた水泡のような都だ。ルーラ湖、ノマン川にかこまれた水の都ユライナに、どこか似ている。
文化水準はかなり低いものの、ユイラ人の市場へ来ると、少しだけ母国の街なみを思いだせた。と言っても、なつかしいユイラの香りがかすかにするだけだ。
風景はまったく異なる。
丸いドーム屋根の王宮や寺院。家々の戸口はアーチ型。アラベスクのモザイクや、カラフルな漆喰で建物は覆われている。
石畳を敷いた通りは宮殿に続く二本だけだ。大きな建物はその周辺にしかない。そのほかはみんな皮のテントである。
ユイラ人市場というのも、草原にできたテント村だ。短期間滞在して、ユイラに持ち帰る商品を買いつけると帰っていく彼らには、テントで充分なのだ。それでも、ユイラの香りを感じる。
ここへ来るのはユスタッシュにしても楽しみだった。母国にいると何かと束縛され、生きにくい彼だが、遠くから思うぶんには、やはりなつかしい。
「大使さまだ」
「大使さま。いらっしゃいませ」
「ユスタッシュさま。なかで冷たいキノロンはいかがですか?」
「ラ・マン侯爵さま。こんにちは」
異国の景色のなかで、草原の風に吹かれながら接するせいか、ユイラ人たちの反応はかなりくだけている。彼らはユイラへ帰れば、皇室おかかえの大商人である。当然、ユイラの大貴族ラ・マン侯爵の名は知っている。ユイラでは仰々しい態度をとる彼らも、ここでは気さくな友人のようだ。
ユスタッシュがブラゴールを好む理由の一つは、ここにもある。
「商売のぐあいはどうだ?」
「上々です」
「争いや困りごとは?」
「今のところございません。変わったことといえば、昨日、新しくコンフェルの隊が到着しました」
「コンフェルの店なら、私もユライナでよく行く」
これも大店だ。香水をあつかう店だ。とくに外国産のめずらしいものがたくさん、そろっている。
「大使さまあてのお文をあずかっているそうですよ」
「あとでよってみよう」
ユスタッシュは露店の一つ一つに声をかけていく。
周囲にはユイラ人以外の外国人の店もチラホラと見かけた。ユイラ人市場は治安がいいから、それにあやかって集まってくるのだ。
それらを目あてに生活用品を売る者も。家畜を売る者。果物売り。ブラゴールの特産品。フェイレーン湖でとれる魚。かと思えば、長槍や剣の店。砂漠狼の白い毛皮。木の実やブラゴール芋。とうもろこし。
市場はまるで迷路だ。テントの作るせまい道が複雑に交錯する。
交渉にはげむ人々の声。呼びこみ。家畜の鳴き声。豚や羊。人いきれ。さまざまな商品から出る匂い。それらを一掃する乾いた風。
テントの波に飲まれたような目まいを感じたとき、ふと見あげると、空がはるかにひろがっている。
ああ、生きている——と実感した。
おれは生きている。そして、この空の下、愛しいあの子も生きていると。
それだけで世界中が愛しい。
思いがけず、フォンナとの結婚が延期になった。でも五年たてば、きっとルビーには恋人ができているだろう。そして自分は彼女に「おめでとう」と言う。わずかな胸の痛みを隠して微笑む。
本心をいえば、一生忘れられそうにないが、いつかはそれも過去の美しい思い出になるのだろうか?
この空の青さを五年後、ユイラで思いだしたときには、きっと、この上なくなつかしい。そんなふうに、この想いも時の流れがセピア色に染めてくれるのか?
今はただ、あの子のもとに通じているものがある。それだけでいい。何もかもが断ち切られたわけではない。そのくらいの自由は残されているのだ。
ユスタッシュが感慨にふけっていたときだ。
「ラ・マン侯爵さま。おひさしゅうございます」
声をかけられ、ふりかえる。昨日ついたばかりだというコンフェルが立っていた。
「無事についたな。しばらく滞在するのだろう?」
「はい。ブラゴールは香料に関しては豊富でございますから。ときに、お手紙をあずかっております」
「ああ、そうらしいな」
「今、お持ちいたします」
コンフェルの店は定期的にブラゴールへ商売に出かける。それに、ユイラでは貴族の顧客が多いから、ユスタッシュの知りあいが手紙を託したのだろう。ブラゴールとの正式な国交はないに等しいので、私的な手紙は自ら人を雇って届けさせるか、こうして商人に頼むしかない。
「エルタルーサか。妙だな。彼の手紙にしては、やけにぶあつい。レバソン紙以外は手紙じゃないと豪語してたくせに、どうしたんだ?」
封を切ると、なかに、さらに一通の封筒が入っている。
それを見て、ユスタッシュはますます奇妙な気分になった。エルヴェからだ。ラ・マン侯爵家の文使い経由ではなく、わざわざエルタルーサに届けてくれるよう頼んだわけだ。
ユスタッシュの不安がいっきに高まった。
もしや、悪い知らせではないか?




