第31話 ブラゴールの暮らし1
白の月に入っても、ブラゴールは暑い。風はカラカラに乾いてホコリっぽく、陽光はギラつく刃のようだ。
ブラゴールの首都、ラマスタ。
芋の子を洗うように、人ごみでごったがえす市場を、ユスタッシュはリードとブラゴール人の少年マハドだけをつれて視察していた。
「あっ、プッカサーリだ。買ってきてやろうか? ユスターハン」
「買ってきてやろうかではなく、おまえが飲みたいのだろう? マハド」
「違うよ。おいらはあんたのために言ってやってるんだ。いらないならいいよ」
「おれは欲しい。おれのぶんだけ買ってこいと言ったら?」
ユスタッシュが言うと、ブラゴール人の少年は幼い子どものように口をとがらせる。
「そんなだから、ユイラ人は嫌われるんだぜ。旦那」
「そんなだから、ブラゴール人は嘘つきだって言われるんだ。いいとも。三つ買ってきなさい」
ユスタッシュが金を渡すと、マハドは嬉々としてフルーツ屋へ突進していった。まったく、信じられないほど元気だ。
白の月の二十日すぎ。ブラゴールの暦では十月なかばだ。ユスタッシュがユイラを発って、ほぼ一年になる。ユスタッシュの肌はまた小麦色になっていた。
リードが頭をかかえる。
「あいつのおしゃべりを聞くと頭痛がします。こともあろうに、侯爵閣下をあんた呼ばわり。旦那さまが甘やかしすぎるからですよ」
「そう言うな。リスのようで可愛いじゃないか」
「旦那さまがそんなだから、マハドが図に乗るのです。きつく言ってやればよろしいのですよ」
「侯爵はいばらなくても侯爵だから、呼びかたなんてどうでもいいだろう——と、マハドは言っていた。おれもそのとおりだと思う」
リードはムッツリ黙りこむ。少年のころから第一の従者と自負してきたリードにとって、主人に対するマハドのなれなれしさが気にくわないのだ。
ユスタッシュはそれに気づいているので、笑ってリードの肩をたたく。
「おまえもおれを『あんた』と呼べばいい」
「とんでもない!」
悲鳴をあげつつ、リードも嬉しげだ。ユイラではなかなか聞けない、ユスタッシュの生き生きとした笑い声が、この国では聞けるからだ。
「旦那さまはブラゴールでは別人のようですね」
「おれにはこういう粗野な国があっているのだ」
ユスタッシュたちの会話はすべてブラゴール語だ。ユイラ語で話すと密談をかわしているようで、現地のブラゴール人に嫌われるからだ。
「旦那。人にプッカサーリ三つも持たせといて、何のんびり話してんだよ? ほら、早く受けとれよ!」
マハドが大きなプカの実をかかえて走ってくる。言葉は荒いが、これでキレイな顔立ちの美少年だ。ブラゴール人らしい肉厚の唇が、大口をあけて笑ったり、への字にまがったり、見ていて飽きない。
「だけど、ユスターハン。あんたが帰ってきてくれてよかった。あんたのあとに来た大使なんか、おいらに女みたいなことさせるんだぜ」
「女みたいなって?」
「酌だよ。酌。おれに酒をつげって言うんだ。そんなマネできるかって」
「だって、おまえは馬丁だろう? なぜ、大使が酒を飲む場にいるんだ?」
マハドは大使館の馬丁だが、便利なので道案内に使っているのだ。
「そりゃ、酒が飲めりゃなんでもいいよ。誘われたら飲むだろ? だけど、いくら子どもだからって、女じゃあるまいし、酌なんかしないからな」
二度めのブラゴールでなれた気がしていたが、やはり、ここは外国だ。ユイラとは違う。ユイラでは友達どうしで酒をつぎあうのはあたりまえの習慣だ。それは毒殺の文化がはびこる過去があったせいかもしれない。あなたの酒なら飲めるという信頼の行為なのだ。しかし、男色を嫌うブラゴール人にとっては女々しい挙動にほかならない。
「ただのお国柄の違いだ。ユイラでは友情の証なんだ。おまえと友達になりたかったんだろう」
「なんだ。それならそうと言えばいいのに」
「次の大使に誘われたら、酒をついでやればいいさ」
マハドのおもてがくもる。
「おれ、ずっとあんたが大使ならいいなぁ。ユスターハンがユイラに帰るとき、ついてこっかなぁ」
いつも明るいマハドだが、子どものころに両親を亡くしている。今は天涯孤独だ。彼の内面の悲しみが、ほのかにかいまみえた。
「なぜ? ブラゴールはおまえの祖国だろう?」
「どうせ、おいらは親なしっ子だからね。いい仕事なんてないよ。今はあんたがいるからいいけど、大使館で働いてるってだけで、街のやつらから白い目で見られるし」
ユイラでは貧富の差があまりない。いや、富める者はユスタッシュのように、一生かかっても使いきれない贅沢を持てあましている。それはブラゴールも同じだが、ユイラでは極端に貧しい者が少ない。まじめに働いてさえいれば、それなりの生活ができるのに対し、ブラゴールの貧者は食うや食わずだ。砂漠の多い国土のせいで農地も少なく、仕事にあぶれる民も相当数いる。ユイラではほとんどいない餓死者がこの国ではめずらしくない。
マハドだって残していけば、そういう暮らしに一直線かもしれないのだ。
「おれが帰るとき、おまえの気持ちが変わっていなければ、つれ帰ってもいい。おれの身のまわりの世話をしてくれ。しかし、おれの家は古い血筋だから、おまえのことをとやかく言う者も多いだろう。それでもいいか?」
「大使館よりマシな食い物をくれるんだろう?」
「もちろん。鳥のスープと羊の肉。白身魚のパイに食後にはレマンのゼリーをつけてやろう」
「ほんとかい?」
マハドの目がキラキラ輝く。口からはヨダレがたれそうだ。
「朝はミルク。昼にはザマ酒。夜にはヴィナ酒だ」
「うんうん。もう絶対、あんたと行く。おいら、悪口言われるのはなれてるしね」
「今からユイラ語の勉強をしなくてはな。かたことでも話せなければ不便だろう」
喜ぶマハドを、おもしろくなさそうにリードが見ている。
ユスタッシュは親切心で言ったのだが、この決断が、のちにあんな結果を生むとは思ってもいなかった。




