第21話 湖礼祭2
十一歳になったルビーは去年より少し背が伸びて、ちょっぴり大人びていた。でも、やはりまだまだ少女だ。妖精のようなふんいきは変わらない。今年流行りの短い丈のチャロ(ユイラの民族服)にマントを羽織る姿がイタズラな少年のようだ。
「助けてくれて、ありがとう。初めてお見かけするおかたですけど」
ルビーが言うので、ユスタッシュは苦笑した。まがりなりにも一日だけとはえ、婚約していたのだが、自分の記憶違いかとあやぶむ。
「お忘れですか? 令嬢」
ルビーはじっとユスタッシュを見つめたあと、急にたじろいだ。
「ご、ごめんなさい。どうしましょう。わたしったら。だって、まるで別人なんだもの」
一年間、ルビーの身長がほんの少し伸びるあいだに、ユスタッシュの日焼けした肌は、すっかりユイラ人特有の白さをとりもどしていた。血脈が透けてみえるほどに白い肌だ。
「しかたありません。あなたは今の私を見るのは初めてだから」
「ほんとにユイラ人だったのね。わたし、あなたのこと、海底国の人魚の王だと思っていたわ」
「あなたのご期待にそえなくて残念です」
「でも、瞳の色は同じね」
なつかしい再会。このまま別れるにはしのびない。誘ったのは、ユスタッシュのほうだ。
「小舟に乗りませんか? 舟底がガラス張りになった小さな舟があります」
「素敵」
ルビーは目を輝かせた。
しかし、ユスタッシュは自分の気持ちがわからない。なぜ、こんなことをしてしまったのだろう? 二人きりになれば、なおさら愛しくなるだけなのに。もうじき、望まぬ結婚をしなければならない身として、感心できる行動ではない。思い出などないほうがあきらめもつくというものだ。
今、ユスタッシュは少女と二人で小舟にゆられている。
暗い水面の底にチカチカと輝く金色の光。
流れていくたくさんの花々。
ゆれる小舟。
水上をすべるゆたかな楽の音。
これ以上ないほどにロマンチックなシチュエーションだ。
「あの花はどこへ行くの?」
だから、ルビーの口から出てくる言葉さえ、詩の一節のよう。しかし、ユスタッシュは詩人ではなかった。
「多くは岸に打ちよせられて焼かれます」
まじめに答えると、急にルビーは笑いだした。まじまじとユスタッシュを見つめている。ユスタッシュは自分が答えを外したと自覚した。
「……すみません」
気恥ずかしさで水中にもぐりたくなっていると、ルビーはますます楽しそうにクスクス笑う。
「お色が白くなったので、赤くなるのがすぐにわかるわ。前は顔色が見えなくて、何をお考えなのか理解不能だったのに」
「私はふつうの男ですよ」
「そうね」
「ですが、この花々はルエラに捧げられたものなので、きっと天上の神殿へ行くのでしょう」
今度の答えは正解だったようだ。ルビーは微笑んだ。気をよくして、ユスタッシュは続ける。何しろ、好きな人とこんなロマンチックな場面に遭遇したことがないので緊張する。
「岸に打ちよせられた花は、そこにこめられた願いも天上に届かなかったのか。焼かれて終わりでは、なんだか哀れではありませんか?」
「でも、焼かれて煙になって天に昇るのだから、願いはきっとルエラに届くわ」
「なるほど。そうは考えなかった」
二人で顔をあわせて笑う。
やはり、この少女といると時の流れが飛ぶように速い。フォンナといるときの牢獄のような心地とは雲泥の差だ。自分の心がどこにあるのか、バカバカしいほどに明快だった。
(愚かだな。こんなに楽しいと、あきらめられなくなるだろう?)
一刻も早く、本船へ帰るべきだと思ったが、なかなかその言葉が吐きだせない。
すると、ルビーが言った。
「あなたは優しい人ね。詩人ではないかもしれないけど、詩人の心を持っているわ」
優しい? このおれが?
ユスタッシュは笑いたくなった。さっきまでのあたたかな微笑や、楽しさの発露ではない。皮肉な嘲笑だ。だが、それをグッとのみこむ。
「私は優しくなどありませんよ」
「どうして?」
「残酷なこともしております」
「ほんとに残酷な人は、残酷なことを残酷だとは思わないわ」
ルビーは笑っているが、たとえばここで自分が男の力を行使しても、それでもまだ優しい人だなんて言えるだろうか?
(たとえば、今、おれが……)
ユスタッシュは少女の細い手足を見た。彼女の官能はまだ眠っている。
でも、彼女とふれあうなら、これが最初で最後のチャンスだろう。もうじき、自分は望まぬ結婚をする。そうなれば、二度と会うことも……。
(あなたが好きだ。やはり、これは恋だった)
数年待つ必要なんてなかった。たった一年で、その確信は得られた。このまま離れたくない。力つきるまで櫂をこぎ、はるか彼方まで、この人をさらっていけたなら……。
吸いこまれそうな瞳を見つめているうちに、思わず、ユスタッシュはルビーの両肩をつかんでひきよせ、くちづけていた。
ルビーはおどろいたのか、目をみひらいたまま抵抗しない。だが、息がつまったようすで、かすかに身じろいだ。
「苦しいわ。ユスタッシュ」
それで、ハッと目がさめる。
(こんな少女に、おれは何をしようとしているんだ)
あわてて、つきはなす。その態度はいささか乱暴だったかもしれない。
(おれはまた、あのときと同じあやまちを……)
自分がなさけなくて、かわいた笑い声を抑えられない。
「ユスタッシュ。どうしたの? なんだか変よ?」
ユスタッシュは愛しい少女を見つめた。彼女が欲しい。結婚したいのはルビーだけだ。でも——
(これは、罰なのだ)
おれはずっと父をだましていた。だから、今度は自分をだまして生きていかなければならない。好きな娘が美しく成長し、ほかの男の妻になるさまを、悔しさに歯がみしながら見届けなければならない運命なのだ。
それが、ルエラのくだした罰。
ユスタッシュはガラス張りの床にしゃがみこんだ。船底から水中の星くずがいびつにゆがんで見える。誰かの流しそこねた涙のように。
「ねえ、ユスタッシュ。どこか痛いの? 泣いているの?」
ルビーの手がひっそりとユスタッシュの肩にかかろうとする。ユスタッシュはその手をはらいのけた。ほんとはにぎりかえしたい、その手を。
「男にはお気をつけなさい。令嬢。あなたがあまりに無防備なので、ちょっと遊んでみただけです。これからは二人きりになろうという男の誘いには乗らないことですね」
ルビーは可愛い眉をしかめる。
「じゃあ、あなたは遊びでわたしにキスなさったの?」
「私は美しいだけの人形が欲しいわけではないのだ。あなたは初潮もまだでしょう?」
ルビーの細い指が思いきり、ユスタッシュの頬を打つ。だが、痛んだのは、ぶたれた頬ではなかった。ルビーの涙を見た心のほうだ。




