第12話 弟、エルヴェ
「ともかく、そなたが若い娘に関心があるとわかっただけでも安堵した。じつはひそかに案じておったのだ。成人してもいっこうに婦女子に興味なさげなので、わが息子は体に欠陥があるのか、はたまた男色家であろうかと」
「……父上」
オルギッシュは豪快に笑った。しごく機嫌がいい。
「そなたが帰還した祝いに宴をひらこう。むろん、レリエルヴィも招いてな。男は待っているだけではいかん。強気で行くのだ」
ユスタッシュは嬉しげな父を見ていられなかった。父は大貴族の御曹司として何不自由なく育ち、今まで来ているので、人を疑うことを知らない。息子のユスタッシュを心から信じて溺愛している。
(私はあなたに愛される資格はないのですよ? 父上)
ユスタッシュも立場は父と同じであるが、心はすでに六十すぎの父より老いていると思う。愛する人を裏切ったという思いが、少年時代からずっと、ユスタッシュの心を重く閉ざしている。
「そのような催し、父上のお体にさわります」
「何を言う。そなたの顔を見たせいか、ずいぶん、かげんがよいのだ。この月のそなたの誕生祝いもせなんだし、そのぐらいせねば、ほかへの示しがつかん」
風の月はユスタッシュの誕生月でもあった。すでにユイラへの旅の途上で一人さみしくすましていたが。
嬉しくてしかたないようすの父に、ユスタッシュは何も言えず、一礼し退出する。が、父が呼びとめた。
「エルヴェが会いたがっていたぞ。たまには相手をしてやってくれぬか」
ユスタッシュはうなずいた。
今度こそ退室すると、部屋のなかからフォンナの声が聞こえてくる。
「叔父さま。約束が違うじゃありませんの!」
「まあまあ、よいではないか。わしはそなたが嫁でもかまわんが、こればかりは息子しだいだ。しかし、そなたが見事、ユスタッシュの心を射止めるぶんには賛成するぞ」
「そういうことなら、わかりましたわ。わたくしにも覚悟があります」
なんとも豪快なナイショ話だ。廊下のユスタッシュにまで丸聞こえである。扉の外で待っていたリードをつれて、早々にその場を逃げだした。
「旦那さまはフォンナさまが苦手でいらっしゃいますね」
リードはクスクス笑う。
「昔から、よい思い出がないからな」
「あの家宝のブローチがご継嗣から婚約者に贈られると聞いて、ユミオンさまの宝石箱から盗みだされたり」
「あのときはおれの手に押しつけて、『さあ、渡せ』というから、そのまま母上にお返ししたのだったな。そのあと一日、泣きわめかれて往生した」
「あるいは、旦那さまがご本にばかり気をとられているので、そのご本をとりあげ、スカートのなかへ隠してしまわれたり」
「そんなこともあったな」
「あれは旦那さまが十三のときでしたでしょうか?」
なにげないリードの言葉に、ユスタッシュは胸をつきさされた。
(そうだ。十三だった)
思えば、あれは多感な年だった。父が再婚し、それに先立ち、ひそかな憧れの皇女も嫁いでいた。
ユスタッシュが子どもでいられた最後の年だ。
「旦那さま。もうお休みになられますか?」
リードの声が物思いをさます。
昼までルビーの目ざめを待ち、それから数刻かけて城に帰ったので、とっくに日は暮れていた。晩食は船内ですませている。
「いや、エルヴェに会っておこうか」
苦いものをかみしめるように、ユスタッシュは言った。
ほんとは会いたくない。だが、会わなければならないだろう。エルヴェを嫌いなわけではない。病弱で年の離れた弟は可愛い。むこうも兄上、兄上と慕ってくれている。
「九つだったかな?」
「さようでございますね」
では、ルビーの一つ下だ。それはそうだろう。そうならなければおかしい。あのことがあったのは、ヒルダ皇女が従兄弟と結婚したあとだった……。
ユスタッシュが会いに行くと、エルヴェは夏風邪をひいていた。あいかわらず病がちだ。
(一つの城に病人が二人か)
だからこそ、父の期待がユスタッシュ一人に過剰にかかるのだ。ラ・マン侯爵家を盛りたてていかなければならない重責は、ユスタッシュも自覚していた。
「ぐあいはどうだ?」
ユスタッシュを見ると、エルヴェはベッドの上でとびおきた。
「兄上! ぼく、すっかりいいんです。だいたい、そんなに悪くないのに母上が病人あつかいして——それより、こちらにいらしてください。兄上。昨日はお急ぎで、帰られたと思ったら、すぐに出かけられたと聞いて、すごくガッカリしたんですよ」
会えば、やはり弟は可愛い。すっかりいいと言いつつ、エルヴェの頬は熱で赤らんでいる。年より小柄で、三年前からさほど体格も変わっていなかった。
「まだ熱があるんじゃないか? よこになっていなさい」
「平気ですよ。ぼく、兄上とお話がしたくて。早く、こっちへ来てくださいよ。ねえ、ブラゴールは楽しかった?」
ユスタッシュはエルヴェの枕元に腰をおろし、すがりついてくる弟のダークブロンドをなでた。その髪色はユスタッシュが父から受け継いだものだ。つまり、エルヴェもまた父からもらったのかもしれない。ユイラ人は黒髪黒い瞳が多いが、エルヴェの瞳も黒かった。それはセブリナの目の色である。
(いっそ、もっとハッキリした証があれば……瞳が青いとか。私の瞳の色は母上から継いだものだ)
いや、そんなことになっていれば、父がどれほど悲しみ、苦しんだだろう。愛する息子に裏切られたと知れば、父の嘆きはどれほどだろうか? 苦しむのは自分だけでいいのだ。
(あのとき、おれはまだ十三だった)
慕っていた女性のとつぜんの結婚。二つしか違わない父の後妻。過敏な思春期の少年少女。
すべての条件が整いすぎていた。
あの夏の日。あずまやで……。




