第11話 ブローチのいわれ
ユイラの三大湖のうち、サイレス湖、ルーラ湖にまたがる形の皇都ユライナは独立した都市だが、位置的には第五ユレオ州にかこまれている。
ユスタッシュの領土は逆方向のペレノー州にある。ユライナの背骨、ルーラ湖からサイレスへ流れるノマン川の上方だ。ルーラ湖岸協定者の領主のなかでは、皇都に近いほうである。それでもやはりルーラ湖を船で渡ると数刻がかりだ。
「やはり、こっちのほうが落ちつくな」
さざなみ立つ湖を自身の船『北空の一星号』で渡りながら、ユスタッシュはつぶやく。甲板を吹きすぎる風が、ユスタッシュのダークブロンドをなぶる。
学生時代、ユライナに屋敷を持つ宮廷貴族からは田舎者あつかいされたが、ユスタッシュには華やかでも人目に縛られたユライナより、風光明媚な領地のほうが美しく感じられた。
「大使の大任を終えられたばかりです。ゆっくり休まれてはいかがですか?」
かたわらにひかえるリードが答える。
「このおれがひところに、のんびりしていられると思うか?」
「いいえ。旦那さま」
正直なリードの答えに、ユスタッシュは笑った。
北空の一星号ははるばるブラゴールまで航海した船だ。船長も乗組員もすべて、そのとき旅をともにしている。
気心の知れた者たちにかこまれ、快速船に身を委ねていると、このまま、見知らぬ遠い果てまで旅してみたくなる。
「しかし、しばらくはおとなしくしておらねばな。父上の容態が回復するまでは」
「すぐよくなられますとも」
その父はユスタッシュの帰りを待ちわびていた。湖岸に近いゆるやかな丘の上にラ・マン侯爵家の城はあり、入江に入ってくる船がすべて見える。
「ただいま帰りました」
ユスタッシュが父の寝室に入るやいなや、オルギッシュは大声をあげた。
「ユスタッシュ!」
今日は枕元にセブリナがいて、体を起こそうとする父をあわてて止める。
「あなた。ムリをしてはいけませんわ」
「大事ない。これしき。それより、ユスタッシュ。おまえというやつは——」
どうやら、昨夜の所業がすでに父に知れ渡っているらしい。案の定、
「たしかに、よい令嬢を見つけてこいとは言ったぞ。だがしかし、相手が十歳では結婚などできぬだろう」
ユスタッシュは思わず、室内をあちこち見まわした。同じ皇都ならともかく、領地にいる父の耳に、昨晩の一件が入るには早すぎる。告げ口した者がいるはずだ。
「誰が父上に伝えたのですか?」
「わたくしです」
ユスタッシュを追って、扉からフォンナが入ってくる。
「今朝早く、ベルモット邸をたずねたら、お兄さまはもうお発ちになったと言われたのよ。だから追ってきたのだけれど、ずいぶん遅かったじゃありませんか? 北空の一星号なら、わたしの三倍早く着くはずですわ」
フォンナは上目づかいに詰問してくる。蛇を思わせて、底意地悪い目つきだ。ユスタッシュは嘆息した。
「ベルモット邸を出たあと、リ・ドニイ家へよったのだ」
ベルモット邸はエルタルーサの実家、ラ・ベルモット侯爵が皇都に持つ屋敷だ。ユスタッシュが皇都におもむいたときには、よく泊まらせてもらっている。
父はユスタッシュとフォンナのやりとりには興味ないようで、話を続ける。
「ユスタッシュ。そなた本気か? 相手はまだ子どもだぞ。たしかに、八つの祝いの席で、わしもあの娘には会った。これは特別な美少女になると思ったが……しかし、やはり、まだ結婚相手には幼すぎる」
ユスタッシュは室内の三人の顔をじゅんぐりながめる。父はあきれているものの怒ってはいない。フォンナはあからさまな嫉妬の表情。セブリナは蒼白で、凍りつくような目でユスタッシュを見返す。
ユスタッシュはムリにセブリナの上から視線をもぎ離した。
「その話でしたら、さきほど断ってまいりました。そのためにドニイ家へよったのですよ。私としても、ルビー嬢は幼いと思いましたので」
「というと、何か? 年さえあえば嫁にしたいと?」
「それは令嬢の選ぶことです」
「レリエルヴィは受け入れたのであろう?」
「あれは私の立場を思いやっただけ。だが……」
「だが?」
期待するような父の反問に、ユスタッシュは苦笑した。この縁談じたいに父は反対ではないらしい。
「少なくとも、これまで会ったなかで、もっとも魅力的な貴婦人だと思いました」
「ふうむ」
父は考えつつ、つぶやく。
「皇室の血をひく娘か。幼いが利発であると聞く。相手としては悪くないかもしれんな。しかし、まだ子を望める年ではない。本人が子どもなのだから」
「父上。私はとうぶん、誰とも結婚する気はありません。あわてる年でもありませんし、数年たてば、令嬢も大人になります」
「弱気を言うな。クレメントならば、わしが説得してやるぞ」
「私は令嬢の意思を尊重したいのです」
貴族どうしの結婚はほとんど家柄の結合だ。本人たちの気持ちは二の次で、たいてい親の決めた相手と言いなりに婚姻する。
父が言うように、令嬢の父クレメントを丸めこめば、婚儀は成立させられなくはない。だが、ユスタッシュはルビーにそんな方法をもちいたくなかった。
「まあよい。ならば、しばらくようすを見るがよい。それに、あのブローチが案外、あの娘を呼びこんでくれるやも知れぬしな」
父はまんざら冗談でもないようすだ。
あれは代々、ラ・マン侯爵家の嫡子へ受けつがれてきた。嫡子が求婚者へあたえ、二人のあいだに嫡男が生まれると、母からその子へゆずられる。そして、その子が成人するとまた求婚者へ渡される。そうして千年以上ものあいだ、家宝として受け継がれてきたのだ。
これまでにも何度か困難な恋があり、いったんは人手に渡ったときがある。そのたびに花嫁をつれてラ・マン家へ戻ってきた。そういう、ある種いわくつきの品だ。
「もっとも有名な五十二代めの逸話もあるからな。五十二代ラ・マン家当主が若かりしころ、婚約者の娘が病死した。その後、娘の生家は没落したが——」
その話は何度も聞かされていたので、ユスタッシュは話の腰を折った。
「失われていたブローチが幾人もの手を渡ったあげく、ある商家の娘のものとなった。その娘が亡くなった婚約者に瓜二つであったので、生まれ変わりであるとして二人は結婚した、でしたね?」
「うむ。だから、今度も花嫁をつれて戻ってくるやもしれん」
それはどうだろうかとユスタッシュは思う。が、父が納得するなら、それでいい。




