第10話 ユスタッシュの本心
ルビーの部屋を出るとすぐクレメントが追いかけてきた。以前はユスタッシュのほうが低かった肩の位置も、今ではすっかりぬいている。そこにすぎた三年の月日を感じた。
「ユスタッシュ。正直に言ってくれたまえ。婚約解消しても、君はいいのか?」
「ほんとはあなたの娘さんが欲しいのだと言ったら、困るだろう?」
「えっ? そうなのか? やっぱり、君はルビーを?」
「たとえばの話だとも。令嬢より、父親の君のほうが年が近いのに」
「いや、私はそんなこと言ってるんじゃない。君の意思を聞かせてくれ」
「どっちにしろ、令嬢はまだ若すぎる」
「そうなんだよ」
クレメントはいささかホッとした顔になる。
「昨日まで子どもだと思ってたのに、初めての夜会でプロポーズされたっていうから、もうあせって」
ユスタッシュはクレメントを安心させるように言った。
「事情あってのなりゆきだ。さっきのやりとりで内情はわかっただろう?」
「うんうん。やっぱり、うちの娘は優しいなぁ」
クレメントはすっかり安堵して、ユスタッシュの手をにぎると、もとの方角へ戻っていく。
(ほんとのことか)
自分でもわからない。少なくとも、いわれのあるブローチをあの少女になら渡してもいいと思った。それは少なくとも、彼女を妃にしてもいいという気持ちがあったからだろう。もちろん、今すぐというわけではなく、あと数年後、令嬢が一人前の女に成長してからという前提ではあったが。きっと五年後であれば、宮殿中を魅了する華麗な花になっている。
その姿を想像していたユスタッシュは苦笑した。
(そういえば、おれはヒルダ皇女に会っていながら、さっきから令嬢のことばかり。まったく皇女を思いだしもしなかった)
幼い憧れはすぎさったのだ。なつかしくはあったが、それ以上ではなかった。
(今ならば、なぜ、あの人に惹かれたのかわかる。母上に似ていたからだ。幼き日に死に別れた母。優しく美しく、やわらかな腕で慈しんでくれた)
笑ったときのふんいきが似ているのだ。以前はそんなことも気づかなかったが。
だが、母娘でもヒルダ皇女とあの令嬢はまるで似ていない。顔形もだが、性格が異なるのだろう。だから、ヒルダ皇女への淡い憧れがそのまま令嬢にむけられているわけではなかった。それは自分でもわかるのだ。
これは淡い憧れではない。母への慕情でもない。もっと強い衝動的な情熱が胸の奥でチクチクする。
ほんの一晩だけでも許嫁として自分のもとに縛っていたという事実を思うと、喜びが胸に満ちる。今からでも遅くはない。ひきかえして、約束の反故をなしにしてほしいと叫びたくなる。
嘘みたいだが、自分は本気で少女に惹かれているのだ。彼女の数年後を自分に従属させていたいのだと願うていどには。
(バカ言うな。あの子はまだ十歳だ。五年待ってみよう。もし五年たって、まだこの気持ちに変化がなければ、それは恋だ。そのとき、ふたたび、あの子がおれを受け入れてくれたなら……)
今はまだ早すぎる。そう考慮し、自制するだけの理性は残っていた。
ユスタッシュが従兄弟の館から立ち去るために廊下を歩いていると、ふいに背後から声をかけられた。
「やあ、さっそく新郎づらしてやってきたというわけですか? しかし、あの約束は不成立ですよ」
ふりかえると、ハリオットが立っている。
「君も来ていたのか」
ハリオットの目にはありありと憎悪がこもっていた。正直、三年前までのハリオットに関しては、あまり強い印象がない。数ある従兄弟のなかの一人にすぎなかった。年齢が八つも離れているので、ほとんど交流もなかったが、まさか、こんなに生意気だったとはと、なんだかおかしくさえある。
ハリオットは子どもっぽく口をとがらせながら強気で文句を言う。
「ルビーは男が身につけたものを贈るのは求婚の意味があると知らなかったんだ。あんな約束は無効ですよ」
「その話なら、たったいま断られてきたとも」
とたんにハリオットの目が輝く。
「それはそうさ。あなたとルビーといくつ違うと思うんだ。十歳の少女にプロポーズするなんて、変人のあなたらしいけどね」
わかりやすくルビーに首ったけだ。ユスタッシュを嫌うのは愛しい少女に横やり入れてきたからだろうが、それだけでもない気がする。心からの憎しみが抑えられていない。
(恨まれるような行動をしただろうか? 見当もつかないな)
ユスタッシュは知らなかったが、そのわけはハリオットの父クルエル公爵にあった。ユスタッシュにとっては伯父にあたる。ユスタッシュの死んだ実母ユミオンの兄だ。
クルエル公爵には姉もいたが、離れて育ったため、ユミオンと二人兄妹のように仲がよかった。若くして逝った妹をたいそう憐れみ、妹似のユスタッシュをわが子のように可愛がった。自身に長く男の子が生まれなかったせいもあり、その愛情は過剰なほどだった。ゆえに、今でもハリオットとユスタッシュをひきくらべて見る。
何かにつけ、「ユスタッシュはもっと優秀だった」と言われ続けて、ハリオットはユスタッシュの名前を聞くのもウンザリするほど嫌っているのだ。
そのユスタッシュにずっと好きだった少女をとられそうになって、ハリオットの劣等感は完全に憎悪にすりかわった。
「あなたにだけはルビーをゆずりませんからね!」
叫んで、少年は廊下の奥へ走っていった。
(そんなこと、おれに言われてもな。選ぶのはあの子なんだし)
あの子は誰を選ぶのだろうと考えたとき、ユスタッシュの胸ににぶい痛みがひろがった。




