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夜会での出会い

誤字報告をありがとうございます、修正しております。

 輝くばかりのシャンデリアが照らし出す華やかな夜会の会場で、シルヴィアは壁際にそっと一人で立っていた。シルヴィアの瞳が、ランダルを追って不安気に揺れる。


 ランダルは、シルヴィアとのファーストダンスを終えた後、今日の夜会の主催者であるフォーセル侯爵家の令嬢、マデリーンの腕を取り、にこやかな笑みをその顔に浮かべていた。彫りの深い美貌のマデリーンは、巻き毛を揺らしながら、大きな瞳をうっとりと細めてランダルを見上げており、その豊満な身体をランダルに押し付けんばかりだった。楽しげな二人の様子を見つめて、シルヴィアのグラスを握る手には、思わずぎゅっと力が籠った。


「まあ、美男美女でお似合いのお二人ね、ランダル様とマデリーン様」

「ランダル様の隣に立つのは、シルヴィア様よりも、マデリーン様の方が余程絵になるわ」

「あれほど分不相応なのに、ランダル様をまだ縛り付けているなんて。あの方、身の程知らずもいいところね」


 無遠慮な視線がちらちらと自分に飛んでいることにも、シルヴィアは当然気付いていた。わざと聞こえるように皮肉を言っているのは、マデリーンの取り巻きの友人たちだ。もう幾度も壁の花を経験し、似たようなことを最近言われ慣れているシルヴィアは、努めて聞こえないふりをした。


 ランダルがマデリーンに向ける笑顔が、やけに甘いように見えることに戸惑いつつも、シルヴィアは、彼の言葉を思い出して、ただ静かに夜会の時間をやり過ごしていた。


 ついランダルたちを目で追っていたシルヴィアが、ランダルに艶っぽくしなだれかかったマデリーンの姿に、いたたまれなくなって二人から目を逸らした時、ぱしゃっと軽い水音が響いた。


 何事かとシルヴィアが驚いて視線を上げると、くすくすと笑う数人の令嬢と目が合った。一人の令嬢が手にしたワイングラスが空になり、今しがたまでグラスを満たしていた赤ワインが、シルヴィアのドレスと床に飛び散っていた。


「あら、ごめんあそばせ。こんなところに突っ立っていらっしゃるから、ぶつかってしまったわ」

「地味なドレスが、少しは華やかに染まったんじゃないかしら」


 悪意の籠った令嬢たちの薄笑いに、シルヴィアはぐっと言葉を飲み込むと、一人明るい会場を離れ、闇に沈む中庭へと出て行った。ぽたぽたとドレスから赤ワインを滴らせながら、急いで前へと進める足が、微かに震える。


 淡い星明りに照らされた中庭に着くと、シルヴィアはガラスの扉越しに夜会の会場を眺めた。その視線は、相変わらず無意識にランダルを追っていた。


 ランダルは、シルヴィアに起こったことにはまったく気付いていない様子で、マデリーンとの距離も、より一層近くなっているように感じられた。中庭に面したガラス扉の脇にかかるカーテンの影へと、一歩寄ったランダルに向かって、マデリーンは両腕を伸ばすと、背伸びをしてその顔を近付け、二人の顔が一瞬重なった。


(あっ……)


 ワインにまみれたドレスの冷たさよりも、シルヴィアの心の方がずっと冷えていた。ランダルは、マデリーンの行動に驚いた様子は見せつつも、満更ではない表情で、彼女に含みのある笑みを浮かべていた。突然の眩暈を感じたシルヴィアがふらりとよろけた時、背後から彼女の肩を支えた温かな手があった。


「そんなに青い顔をして、大丈夫かい?」


 シルヴィアが後ろを振り返ると、そこには、今までに見たこともないほど美しい、一人の青年が立っていた。

 すらりとした長身の彼には、驚くほど整った目鼻立ちに加えて、圧倒的なオーラが感じられた。シルヴィアの薄黄色の瞳とはまた趣の異なる、滑らかな濃紺の前髪の間から覗く、彼の輝きの強い金色の瞳を見つめて、シルヴィアは息を飲んだ。


(吸い込まれそうなほど、綺麗な瞳だわ……)


 シルヴィアは、はっと我に返ると、慌てて彼に頭を下げた。


「失礼いたしました、お礼も申し上げないままに。手を貸してくださって、ありがとうございます」


 青年は優しい微笑みを浮かべてから、ハンカチをシルヴィアに差し出して来た。シルヴィアは、いかにも上質なシルクのハンカチを目の前にして、戸惑いながら俯いた。ドレスに掛かったのは赤ワインだから、拭いたらハンカチが染みになってしまうだろう。


「私のことは、どうぞお気になさらずに。きっと、お借りするハンカチを汚してしまいますから。けれど、温かいお心遣いに感謝いたします」

「いや、構わないよ。だが……そうだな」


 青年は、シルヴィアの目の前でぱちりと軽く指を鳴らした。シルヴィアの周りを、ふわりと光が舞う。


「……!」


 シルヴィアのドレスにできていた、くっきりとした赤紫色の染みが、明るい光に照らされて次第に消えていった。


(こんな魔法、初めて見たわ……)


 目を瞬いたシルヴィアが、ワインが溢れていたはずのドレスの裾を見下ろすと、すっかり元通り綺麗になっていた。これほど精緻に魔法を操れるものなのかと、感嘆の溜息がほうっとシルヴィアの口から漏れる。


「これで問題ないな」


 こともなげにそう言ってから、青年は一歩シルヴィアに近付くと、手にしていたハンカチで、シルヴィアの濡れた目元をそっと拭った。シルヴィアはその時、自分が泣いていたことにようやく気が付いた。


「俺はアルバートと言う。君の名前は?」

「私はシルヴィアと申します」


(もしかしてこの方は、あの高名な、光魔法を操るというクレイス公爵家のアルバート様……!)


 目の前の麗しい青年を、シルヴィアは思わずまじまじと見つめた。彼は、幻とも言われる、稀少な光の精霊の加護の持ち主として知られる、クレイス公爵家嫡男のアルバートその人のようだった。聡明で強い魔力の持ち主、しかも息を飲むほど美しいという風の噂は聞いたことがあったけれど、実際にシルヴィアが彼を目にするのは初めてのことだった。


「ありがとうございました、アルバート様。お見苦しい所をお見せしてしまい、申し訳ありません」

「いや、そんなことはない。……ところで、一つ君に尋ねても?」

「はい、何でしょうか?」


 突然のアルバートからの質問に、シルヴィアが小首を傾げると、彼はシルヴィアの瞳をじっと見つめた。


「君は、魔法学校には通っているかい?」

「はい、今は二年生です。火魔法のクラスに所属しています」

「つまり、君は昨年、魔法学校で火魔法を修めた上で、二年に進級したと?」

「ええ、そうですが……」

「……信じられないな」


 なぜか目を瞠って、ぽつりとそう呟いたアルバートを見て、シルヴィアははっと思い当たった。


(ああ、そうか……! 特別優れた魔法の力を持つ方は、目の前にいる相手の魔力も、わかることがあると聞いたことがあるわ。私の魔法の力があまりにも貧弱だから、進級できただけでも驚きだと、きっとそういうことなのね)


 シルヴィアは、恥ずかしさから頬にかあっと血が上るのを感じながら、小さな声で答えた。


「あの、私はとても魔法が苦手なのですが、落第だけはしないようにと必死に頑張りましたので、何とか進級だけは……」

「いや、そういう意味ではないのだが。よく頑張ったんだな、君は。いくら努力をしたとしても、なかなかできることではないよ」


 アルバートは、シルヴィアを見つめながら、なぜか楽しそうにくすくすと笑っていた。


「面白いことを教えてもらったよ、ありがとう、シルヴィア。……さて、君はこれからどうする?」

「そろそろ、この夜会の場からお暇しようと思っていたところです」


 シルヴィアには、これ以上、この夜会に残っている意味は感じられなかった。むしろ、早々にこの場を離れたかった。


「それなら、俺に君を家まで送らせてくれないか?」

「でも……」


 婚約者がいるので、という言葉が喉元まで出掛かったけれど、シルヴィアはそれを飲み込んだ。ランダルはマデリーンと楽しく過ごしていることだろうし、あんな場面を見た後で、帰り道の馬車の中で彼と一緒に過ごしたくもなかった。


「ご迷惑ではありませんか?」

「そんなことはないよ。むしろ、俺が君ともう少し一緒にいたいと思っているのだから」


 泣いていた自分への労りだろうとは思いながらも、シルヴィアはアルバートのそんな気遣いを嬉しく感じた。


「では、お言葉に甘えて。お優しいお言葉をいただいて光栄です、アルバート様」

「いや。では行こうか」


 優美な動きでシルヴィアの腕を取ったアルバートは、中庭から夜会の会場へと足を踏み入れた。腕を組むアルバートとシルヴィアの姿に、会場がにわかにざわめいた。


 急ぎ足でアルバートのところにやって来たフォーセル侯爵家当主の様子からするに、アルバートは今夜の来賓の中でも、最も身分が高いのだろうとシルヴィアには思われた。


「今夜はこれで失礼する。彼女を送って行く」


 アルバートは、それだけ彼に向かって言うと、シルヴィアの腕を取ったまま、夜会の会場を後にした。シルヴィアの視界の端に、驚いた様子のマデリーンの顔と、焦ったようなランダルの表情が映ったけれど、すぐに目を背けた。


 乗り心地の良い立派な馬車に揺られて、意外にも話しやすく、なぜか懐かしいような温かさを感じるアルバートとの会話を楽しみながら、シルヴィアは心が軽くなってくるのを感じると、ようやくあることを決心した。


(もう、きっぱりとランダル様との婚約を解消しよう)


 馬車がレディット伯爵家の前に停まると、アルバートは手を貸してシルヴィアを馬車から降ろしてから、挨拶代わりのキスを彼女の手の甲に落とした。


「また、近いうちに。おやすみ、シルヴィア」


 アルバートの言葉を社交辞令と捉えつつも、シルヴィアはにっこりと笑った。


「アルバート様のお蔭で、今夜は楽しい時間を過ごさせていただきました。ありがとうございます」


 どこかからシルヴィアを見ていた精霊が、傷付いたシルヴィアを励ますために魔法を掛けてくれたのではないかと思うほど、アルバートと出会ってからは、不思議な温かさに満たされたひとときを過ごした夜だった。


 家の玄関の扉を潜ると、シルヴィアはその足で父の元に赴いて、ランダルとの婚約をすぐに解消したい旨を告げたのだった。

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