大好きだったけれど
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シルヴィアは、ランダルから贈られた花を花瓶に飾ると、自室のベッドの上に腰を下ろした。
今までのシルヴィアなら、ランダルから贈られた花を見て胸を弾ませていただろうけれど、今はむしろ、明るい花の色とは裏腹に、気分がずんと沈んでいる。彼女は再度、ベッドにくたりと身体を横たえた。
(どうしてランダル様は、私なんかのために、こんなに綺麗な花を……?)
義務感からなのだろうかと、シルヴィアは寂しく笑った。
セントモンド伯爵家のランダルと、レディット伯爵家のシルヴィアとの婚約が調ったのは、かれこれ八年前に遡る。二人の婚約は、貴族家の間ではありがちな、家同士の事情によるものだった。それも、シルヴィアの受けた加護が訳ありだったことを、彼女の父であるデクスターが憂いたことが大きい。
シルヴィアの暮らすデナリス王国では、国民は皆、何かしらの精霊の加護を受けている。精霊には様々なものがいると言われているけれど、民に加護を与える代表的な精霊は、火・水・風・土の四種類だ。稀に、先読みに優れた能力を授ける時の精霊などのように、珍しい精霊の加護が明らかになることもある。同じカテゴリーに属する精霊でも、上位から下位まで様々であり、加護を授ける精霊の力の強さによって、それを受ける者の魔法の力は大きく異なってくる。
誰がどのような精霊の加護を受けているのかは、二十歳を迎える年に、王国の神殿で行われる祝福の儀において神託を受けるまでは、完全にはわからない。けれど、加護を与えている精霊の種類と、その力の程度は、事前に概ね把握される。――デナリス王国では、子供が齢六つを数える年の初めに、先読みの能力者が各家を回り、その子供に加護を与えている精霊の判別を試みるのだ。そして、授かった力を伸ばすための教育を、魔法学校で受けることになる。
レディット伯爵家の家系では、比較的強い火の精霊の加護を受けることが多かった。けれど、六歳のシルヴィアの前で、先読みの能力者が掌大の水晶玉に手を翳した時に彼女が見たのは、彼女の瞳の色のような、薄黄色のふんわりとした淡い火が、柔らかなヴェールのように水晶玉の中を覆う様子だった。それを見て、デクスターは本人以上に肩を落としていた。
そんなシルヴィアに対して、ランダルが六歳の時には、先読みの能力者も目を瞠る程に鮮やかな橙色の炎が、勢いよく水晶玉の中で弾けたという。加護の強さは、一般的には貴族位とも概ね相関関係にあると言われるものの、ランダルの加護は、伯爵家にしては別格だと噂されていた。その話をいち早く聞きつけたデクスターは、傾きかけていたセントモンド伯爵家への資金援助と引き換えに、ランダルとシルヴィアの婚約を取り付けたのだった。必ずしも加護が遺伝に直結する訳ではないし、突然変異的な加護を授かる場合もあるものの、両親のいずれかが優れた加護の持ち主である場合、その子供には、強い精霊の加護を授かる場合が多かったからだ。
(もう、ランダル様には十分に支えていただいたわ。精霊の加護のために、これ以上、出来の悪い私が彼の人生を縛ってしまっては申し訳ないもの。お父様には謝らないといけないけれど……)
明日になったらランダルと今後の話をしようと、そう考えながらシルヴィアは瞳を閉じた。
***
翌朝、シルヴィアは両親と共に囲んでいた朝食の席で、父のデクスターに向かって口を開いた。
「お父様、お願いがあるのですが」
デクスターは、手にしたコーヒーカップを傾けながらシルヴィアを見つめた。
「何だい、シルヴィ? シルヴィが私にお願いだなんて、珍しいな」
シルヴィアは、覚悟を決めるように胸に息を吸い込んでから、一息に言った。
「私、ランダル様との婚約を解消させていただきたいのです」
「……!!?」
デクスターが勢いよく咽せた。ごほごほと咳き込みながらも、デクスターはどうにか言葉を続けた。
「晴天の霹靂とは、こういうことを言うのだな。……ランダル君と、何かあったのかい?」
「どうしたの、シルヴィ? 昨日だって、彼から素敵なお見舞いの花束をいただいたばかりだというのに」
マリアも心配そうに眉を下げていた。シルヴィアは、デクスターとマリアから視線を反らすと、少し俯いた。
「私、ランダル様には相応しくありません。いつも彼の足を引っ張っているばかりで……。彼には今までとてもお世話になりましたし、もう彼を私から解放して差し上げたいのです」
「ふむ……」
「お父様が、ランダル様の家に資金を援助してまで、せっかく私との婚約を調えてくださったというのに、申し訳ありません……」
腕組みをしたデクスターは、項垂れたシルヴィアを見てしばらく口を噤んでいたけれど、ようやく思案気に口を開いた。
「将来、精霊の加護が強い伴侶がいた方が、シルヴィにとって生きやすくなるだろうとは思うがな。その後に生まれる子供のことを考えても……」
デナリス王国では、加護の弱い者は、結婚相手を探すのに苦労することも少なくなかった。自分よりも優れた精霊の加護を持つ伴侶を得ようとする者が多く、一種の争奪戦の様相を呈するからだ。それに、生まれた子供の加護が弱ければ、また子供のために頭を悩ますことになるのは想像に難くない。シルヴィアは、父が、自分の婚約を調えるのに大分苦労したのであろうことを感じて、申し訳なく小さくなっていたけれど、デクスターはシルヴィアに優しく微笑んだ。
「だが、シルヴィの幸せが私たちの幸せだからな。もし本当に、彼との婚約をシルヴィが解消したいなら、それはそれで構わないよ。ただ、彼は本当にそれを望んでいるのかい? 私が見る限り、彼は君に惚れ込んでいるようだが」
シルヴィアは大きく首を横に振った。
「いえ、私を気遣ってくださっているのは確かですが、お父様にセントモンド伯爵家を助けられたことへの恩義から、私との婚約を仕方なく続けていらっしゃるだけだと思いますわ」
デクスターは、マリアと顔を見合わせてから、浮かない顔をしている娘を気遣わしげに眺めた。
「まあ、後悔のないようにしなさい。ランダル君のような青年は、貴重だとは思うがね。彼とも、きちんと話をするのだよ」
「……ありがとうございます」
シルヴィアが安堵の表情を浮かべて微笑んだ時、メイドの一人が慌てた様子でやって来た。
「ランダル様が、シルヴィア様を迎えにいらしています」
「……えっ?」
ランダルに、魔法学校からの帰り道を馬車で送ってもらうことはあっても、行きにまで迎えに来てもらうことはあまり多くはなかったから、シルヴィアはとても驚いていた。シルヴィアは、手にしていたカトラリーを置くと、一口だけ紅茶で喉を潤してから、鞄を取りに急いで自室へと向かった。
玄関先で待っていたランダルは、シルヴィアの顔を見るとにっこりと笑った。
「おはよう、シルヴィ。もう体調は良くなったかい?」
「ええ。……昨日は美しい花束まで贈ってくださって、ありがとうございました」
戸惑い気味に答えたシルヴィアの後ろで、彼女を見送りに来たデクスターとマリアも、二人の様子を見守っていた。ランダルは、爽やかな笑顔のままで、デクスターとマリアに軽く頭を下げた。
「おはようございます、デクスター様、マリア様。昨日顔色が悪かったシルヴィの具合が心配で、迎えに来てしまいました」
「おお、そうか。わざわざすまないね」
「とんでもない。僕の大切なシルヴィのためですから」
シルヴィアのことを心から大事にしているように聞こえるランダルの言葉に、デクスターとマリアは胸を撫で下ろしている様子だったけれど、シルヴィアはまだ混乱していた。
(ランダル様、一見私のことを心配してくださっているようだけれど……いや、本当に心配はしてくださっているのかもしれないけれど、仕方なく私と婚約してくださっているのなら、それを態度に表して下さった方が、私にとっても気が楽になるのに)
裏表がなく、感情がそのまま表情に表れてしまうシルヴィアには、彼女を蔑む言葉を友人に伝えながらも、彼女を愛する完璧な婚約者のように振る舞うランダルの気持ちが、よくわからなかった。
ランダルに手を引かれ、彼の家の馬車に乗り込んだシルヴィアは、ランダルの隣で、おずおずと彼の顔を見上げた。
「どうしたの、シルヴィ? まだ、気分が優れない?」
少し眉を下げたランダルに向かって首を横に振ってから、シルヴィアは思い切って口を開いた。
「私、ランダル様にいつも助けていただいたこと、本当に感謝しています。けれど、もう、私には構わないでくださって大丈夫ですから」
「……どういうこと?」
怪訝そうに顔を顰めたランダルに向かって、シルヴィアは続けた。
「私のように、魔法もままならない上に、ランダル様の隣に並べるような容姿も持ち合わせていない、取り立てて長所もなくつまらない者が、ランダル様のような素晴らしい方のお側にいては申し訳なく思うのです。これ以上、ランダル様にご迷惑をお掛けしたくはありません」
シルヴィアの気持ちを聞いたランダルが、彼女に言葉を返すまで、一瞬不自然な間が空いた。
「何を言っているんだい? ……僕が君を愛しく思っていることは、伝わっていると思っていたんだけどね。僕の気持ちが信じられないの?」
シルヴィアの顔を覗き込んだランダルの瞳に、苛立ちの色と、有無を言わせぬ迫力を感じて、シルヴィアはこくりと唾を飲み込んだ。
「誰かに何か言われた?」
「それは……」
あなたの言葉を聞きました、とは、シルヴィアには言うことができなかった。ランダルは、シルヴィアをじっと見つめながら続けた。
「君がもし何かを耳にしたのだとしても、きっと聞き間違いだよ。覚えておいて、シルヴィは僕の可愛い婚約者だよ。君は僕を信じて、僕の側にいてくれれば、それだけでいいんだから」
「……はい」
シルヴィアが、否定の許されない空気を感じて、俯きがちに小さく頷くと、途端にランダルの表情は柔らかくなった。
(私、ランダル様の婚約者として、このまま彼のことを好きでいてもいいのかしら? でも……)
シルヴィアは、彼女の肩を優しい手付きで抱くランダルの腕を感じながら、暗い靄が胸を覆うのを感じていた。