特別な能力
シルヴィアがアルバートとユーリと一緒に病院に着くと、すぐに病院の入口から迎えに出て来た人影があった。白衣を纏った、白髪混じりの壮年の医師だった。彼は、馬車を降りたアルバートに急いで駆け寄って来た。
「アルバート様、早速お越しくださりありがとうございます。負傷者のところにご案内します」
「ああ、ありがとう。それから、この二人は俺の光魔法の教え子だ。今日は回復魔法による治療の様子を側で見学してもらうが、構わないか?」
「ええ、それはもちろんです。さ、皆様こちらへ」
彼について三人が病院の中に入り、入口に程近い階段を上がると、数多くのベッドが並んでいる大きな部屋があった。並ぶベッドの半分程は、横たわる負傷者で埋まっている。部屋の中に漂う薬品の匂いが、シルヴィアの鼻をつんとついた。
(こんなにたくさんの怪我人が出てしまったなんて……)
シルヴィアは、時々呻き声の上がるベッドを眺めて、辛い思いにきゅっと唇を噛んだ。
医師が、ベッド上の負傷者たちを見つめてから、アルバートを振り返った。
「アルバート様に手紙でお伝えした通り、国境付近の森で魔物が出ました。……ケルベロスの群れです。隣国へと向かっていた町人の馬車が襲われ、救援に向かった隊も、その討伐にはかなり苦戦したそうです。幸い死者は出ていませんが、ご覧の通り、多くの怪我人が出ています」
アルバートは、医師の言葉に頷くと、その袖を捲りながら尋ねた。
「最も怪我の重い者のところから、順に案内してもらっても?」
「承知いたしました」
医師がはじめに向かった先には、身体中を包帯で巻かれ、苦しそうに喘いでいる男性の姿があった。横に控えていた看護師が彼の身体に巻かれた包帯を解くと、ケルベロスの牙の痕と思われる深い傷が、男性の身体中の至るところに残っていた。
男性の元に歩み寄ったアルバートが、彼に向かって手を翳すと、すぐに翳された手から温かな強い光が輝き、男性の身体へと吸い込まれていった。
(……!)
たった一瞬のことだったけれど、アルバートの放った、温かい力の込められた光が、目の前の負傷者の深い傷を、まるで潤すように、みるみるうちに癒していく様子は、シルヴィアの目を捉えて離さなかった。アルバートの手から放たれた光が消えると、男性はその両目を開き、ゆっくりと上半身を起こした。つい先程までは苦しそうだった呼吸もすっかり整った彼は、両手を握ったり閉じたりを数回繰り返してから、感動の面持ちでアルバートを見つめた。
「ありがとうございます、光魔法使い様。もう身体中の痛みが取れて、嘘のように身体が軽くなりました。……信じられません」
アルバートは彼に向かって微笑みを浮かべると、医師の案内に沿ってまた別の負傷者のところへと向かい、次々とその傷を癒やしていった。シルヴィアは、その様子を見て息を飲んでいた。
(アルバート様、素晴らしいわ。これほどの怪我人たちを、あっという間に癒やしてしまうなんて。それに、こんなに強い回復魔法を使いながらも、呼吸一つ乱してはいらっしゃらないわ)
こんな状況で不謹慎かもしれないとは思いつつも、シルヴィアの瞳には、神々しいアルバートの姿が、まるで天から降りて来た美しい大天使のように見えて、彼に見惚れてほうっと小さく溜息を吐いた。シルヴィアの胸の奥までもが、じんわりと温かくなり、揺さぶられるようだった。偉大な師に対する尊敬の念と、彼がいれば大丈夫だという安心感、そして彼の側にいられることへの感動にも似た感謝を覚えながら、シルヴィアがちらりと隣を向くと、そこではユーリが、やはり目を輝かせてアルバートを見つめていた。ユーリは、シルヴィアの耳元に囁き掛けた。
「ねえ、凄いよね、アル……アルバート先生。彼は、攻撃魔法と回復魔法、どちらにも強い適性がある光の精霊の加護持ちだとは聞いていたんだけど、想像以上だね」
「本当ですね。酷い怪我人も、顔色一つ変えることなく癒やしていらっしゃいますもの。……さすがとしか言いようがありませんね」
その時、シルヴィアは、微かなすすり泣きが背後から聞こえてくることに気付いた。
「痛い、腕が痛いよう……」
はっとしてシルヴィアが後ろを振り向くと、まだ年端もいかない幼い女の子が、腕に包帯を巻かれてぼろぼろと涙を零していた。彼女の母親と思われる女性も、女の子を励ますように背中に手を回しながら、彼女と一緒に、辛そうに顔を歪めて泣いていた。
居ても立っても居られなくなったシルヴィアは、女の子の元にそっと近付いた。彼女の細く白い腕は、包帯の巻かれた右腕だけが不自然に短くなっていた。
(……!)
青ざめたシルヴィアを見て、シルヴィアについてやって来ていたユーリが、悲しそうに眉を下げると、小さな声で呟いた。
「この子、右手がなくなってる。……だから、ほかの負傷者が優先されて、アルバート先生も、まだこの子のところには呼ばれていないんだろうね」
シルヴィアは、ユーリの言葉に首を傾げた。
「だから、というのは、どういう意味なのですか?」
「回復魔法では、傷は癒せても、なくなった身体の一部分を再生することまでは、普通はできないんだ。アルバート先生が今すぐにこの子に回復魔法を掛けたとしても、腕の傷を塞いで痛みを取ることはできても、残念だけど、その手を元に戻すことまではできないっていうことだよ。……って、シルヴィ?」
シルヴィアは、女の子の泣き顔に、胸を抉られるような痛みを覚えながら、吸い寄せられるように彼女の元に近付くと、ベッドの脇に屈んで、涙の伝う彼女の顔を見つめた。
「……痛いよね。怖かったね、辛かったよね」
優しいシルヴィアの口調に、こくりと頷いた女の子の横で、彼女の背を撫でていた女性が、しゃくり上げながら口を開いた。
「私が、この子の側についていたというのに。娘を、あの犬の頭を持つ魔物から庇おうとしたのですが、間に合わなくて。娘は、右手ごと魔物に食いちぎられてしまったのです。……私がこの子と代わってあげられたのなら、どんなに良かったか……」
泣き崩れる母親と、痛々しい女の子の姿を見ていたシルヴィアの胸に、強い願いがはっきりと浮かんだ。
(この子の手を、どうにかして治してあげられたなら。もしも私に、そんな力があったなら……)
祈るような思いでそう願ったシルヴィアを、ユーリが驚いて見つめた。
「シルヴィ……?」
ユーリの視線の先で、シルヴィアの身体全体が、ふんわりとした温かな黄色の光を纏い始めた。シルヴィアがそっと伸ばした手が、包帯が巻かれたままの女の子の腕に触れると、シルヴィアから放たれる光が一層その輝きを増して、女の子の右腕に巻かれていた包帯がはらりと落ちた。
「……!?」
女の子が、声にならない声を上げて、母親と顔を見合わせた。彼女の包帯の解けた右腕の先には、五本の指のある小さな手が、元のままの姿で現れていた。
彼女は、すっかり元通りになった白い右の掌を顔の前に翳すと、呆けたようにぽつりと呟いた。
「もう、痛く、ない……」
横にいた母親が、わっと泣きながら娘に抱き着いた。一層止まらぬ涙を流しながらも、彼女は、大きな笑みを浮かべて、シルヴィアを見つめて頭を下げた。
「本当に、本当にありがとうございます。娘の手を治していただいて……」
ユーリは呆然として、シルヴィアのことを眺めていた。ちょうど、ほかの怪我人の治療を終えて、シルヴィアを視界に捉えていたアルバートも、彼女が再生させた、欠損していたはずの女の子の手に、驚きに目を瞠っていた。
(……まさか、失われた身体の再生までもができるとは。この力を授ける精霊は、光の精霊の中でも、たった一人しかいないはずだ)
シルヴィアが、まだ自分の目の前で起きたことが信じられずにぼんやりとしていると、女の子がシルヴィアに向かって、顔中でくしゃりと嬉しそうに笑った。
「どうもありがとう、お姉ちゃん」
「……どういたしまして」
女の子が浮かべた顔いっぱいの笑みに、シルヴィアは心の中を温かく照らされるような心地がしていた。けれど、女の子に微笑みを返してから立ち上がろうとしたシルヴィアは、眩暈を感じて大きくふらついた。
「シルヴィア!?」
アルバートは、すぐさまシルヴィアの元へと駆け寄ると、ぐらりと傾いた彼女の身体を、両腕でしっかりと抱き留めた。
(……アルバート、様……?)
シルヴィアは、温かくて力強い腕に抱き上げられるのを感じながら、どこかふわふわとした感覚の中で、そのまま意識を手放した。




