心強い味方
本日は2話投稿しています。
シルヴィアは、ランダルの背中が見えなくなってから、急いで洗面所へと向かい、赤くなった両目を水で洗い流すと、アルバートとユーリの待つ教室へと戻った。
教室の扉を開くと、シルヴィアの耳にユーリの声が届いた。
「お帰りー、シルヴィ……って、どうしたの、その目?」
まだ隠し切れない赤さの残るシルヴィアの瞳に、驚いたように目を見開いたユーリに、シルヴィアはどうにか微笑んだ。
「その、目にごみが入ってしまいまして……。でも、もう大丈夫です。光魔法の練習があるというのに、お待たせしてしまってすみません」
シルヴィア自身でも、苦しい言い訳だとは自覚していたけれど、やはりと言うべきか、ユーリとアルバートは、心配そうに眉を下げてシルヴィアを見つめた。
「……本当に大丈夫かい? まだ初日でもあるし、さっき君は初めて光魔法を使ったばかりだ。あまり無理する必要はないんだよ」
「そうそう。それにさ、僕たちシルヴィの味方なんだから、何かあったらいつでも相談してね?」
シルヴィアを気遣う温かなアルバートとユーリの言葉に、シルヴィアの瞳はまた潤みそうになったけれど、シルヴィアはそれをぐっと堪えてにっこりと笑った。
「優しいお気遣いをありがとうございます。私は何ともありませんので、できることなら、続きを教えていただけたら嬉しく思います」
「わかった。では練習を再開しようか。……ただ、自分で考えているよりも、初めての魔法に取り組む時には消耗するものだ。特に、光魔法は魔力の消費も大きい。心身を含めた自分の状態と相談しながら、くれぐれも無理はし過ぎないようにな。君が努力家なことは、十分に知っているから」
アルバートが、ぽんと優しくシルヴィアの頭を撫でたので、シルヴィアの頬はふわりと染まった。彼が触れたところから、まるで励ますような温かさが伝わって来るようだった。
(こんなに素敵な教授とクラスメイトがいるなんて、私は何て恵まれているのかしら。早く、光魔法ももっと使えるようになりたいわ)
シルヴィアは、ランダルのことはもう考えずに、目の前に開かれた可能性に集中して、力を伸ばしていきたかった。シルヴィアは、アルバートの整った顔を見つめた。
「できれば、基本の光魔法を、もう一度練習してみてもよろしいですか? 先程は、アルバート様にはじめに手を貸していただいたので、今度は一人でできるかを試してみたいのです」
「ああ、もちろんだ。やってみてごらん。ただ、光魔法を発動する時に、もし違和感や眩暈を覚えることがあれば、すぐに中断するように。いいかい?」
「はい、わかりました」
ユーリも、目をきらきらとさせてシルヴィアを見上げた。
「シルヴィの光魔法、何だかすごくあったかい感じがするんだよね。僕も見ていようっと」
シルヴィアは、にっこりとユーリに頷いてから、アルバートに教わった通り、両掌を揃えて意識を集中させて、光を浮かべるように念じた。すると、初めての時よりもさらにスムーズに、強く輝く光がふわりとシルヴィアの掌に浮かび上がった。
アルバートは、シルヴィアが手に浮かべた輝く光の玉を見て、満足気に頷いた。
「文句の付けようがないな。君は、光魔法のセンスに相当に優れているようだね。まだ疲れを感じていないのなら、回復魔法も試してみようか」
シルヴィアの瞳が、アルバートの言葉に輝いた。
「本当ですか? 是非、試してみたいです」
「さっき、ユーリ王子は君の力で回復したようだし、君は潜在的な能力としては、もう十分に回復魔法が使える状況にあるのだろう。後は、それを自ら意識して使えるように、回復魔法として顕在化できるようになればいい」
アルバートが一歩シルヴィアに近付いて、彼女を見つめた。
「君が手の上に浮かべている光に、今度は癒しの力を重ねるようなイメージをして欲しい。その光に、より温かな力が加わるような感覚だ」
「癒しの力、ですか……」
少々困惑した様子のシルヴィアに、アルバートは、彼女の手の上に浮かんでいる光に、片手を重ねるように翳した。
「これは特に、攻撃魔法である火魔法とは異なる部分だから、はじめはイメージしづらい部分もあるかもしれないな。少しだけ、俺が力を込めるから、その感覚を覚えてもらえるだろうか」
翳されたアルバートの手から、シルヴィアの掌に温かな力が流れ込んで来た。
(ああ、これは……)
シルヴィアには、アルバートの掌から力を受けてすぐに、アルバートの意図する感覚がはっきりとわかった。それは、アルバートの側にいると感じられる、温かく癒されるような感覚そのものだった。アルバートが手を翳すと、シルヴィアの掌の上に浮かんでいた白く輝いていた光は、微かに淡い黄色味を帯びた光に変化していた。
「アルバート様、ありがとうございます。今のアルバート様の力で、理解できたような気がします」
シルヴィアは、アルバートに向かって微笑むと、彼から感じた力をイメージしながら、手の上に意識を集中させた。浮かぶ光の色が、次第に、シルヴィアの瞳の色に近い、陽の光のような黄色に変化していく。
「わあ、光の色が変わってきたね。もっと温かくなってきた……」
シルヴィアの手の上の光を、ユーリはうっとりと眺めていた。
「僕は回復魔法が苦手なんだけど、シルヴィは上手だね。綺麗だなあ」
アルバートもユーリの言葉に頷いた。
「さすがだね、シルヴィア。完璧だよ。……では、早速使ってみようか。そこの花瓶に活けられている、萎れかけた花が見えるかい?」
「はい、あの薄桃色の花でしょうか」
シルヴィアの視線の先には、元気なく下を向いている、花弁を閉じかけた一輪の薄桃色の花が映っていた。アルバートは、シルヴィアに向かって続けた。
「その花に、君が手に浮かべた光を翳してみてごらん?」
「わかりました」
頷いたシルヴィアが、手の上の光を花瓶の花に翳すと、光は花に吸い込まれるようにして、すうっと消えていった。シルヴィアは、目の前の花に現れた変化に目を瞠った。
(うわあっ……!)
シルヴィアの目の前で、薄桃色の花はみるみるうちに、それまで垂れていた首を上げると、閉じかかっていた花弁をふわりと開いた。萎びかけていた重なり合う花弁は、ぴんと美しい張りを取り戻し、シルヴィアに嬉しそうに笑い掛けているように見えた。
その様子を見ていたユーリが、顔いっぱいに嬉しそうな笑みを浮かべた。
「シルヴィ、やったね! シルヴィの初の回復魔法、成功だね。おめでとう!!」
「ありがとうございます、ユーリ様」
ぴょんと飛び跳ねたユーリが上げた手と、シルヴィアは元気よくハイタッチを交わしてから、微笑むアルバートに視線を移した。
「これが君の力だよ、シルヴィア。とても初日とは思えないな。素晴らしい可能性を秘めているね、君は」
「アルバート様の教え方がとてもわかりやすいので、これもすべて、アルバート様のお蔭です」
嬉しそうな笑みを浮かべているアルバートに、シルヴィアもにっこりと笑みを返した。まだ、ほんの小さい回復魔法が使えたに過ぎなかったけれど、自分の成功を一緒に喜んでくれる仲間がいるというのは何と心強いことなのだろうと、シルヴィアの心の中は、温かな思いに満たされていた。
***
シルヴィアの元を離れたランダルは、完全に青ざめて、自らの髪をぐしゃりと掻き乱していた。
(ああ、やってしまった……)
ランダルは、自分でも、悪手を打ってしまったことはわかっていた。シルヴィアが最後に自分を見上げた顔が、酷く傷付いて、そして彼に対する拒絶を示すものであったことに、ランダル自身も打ちのめされていた。
シルヴィアが側にいなくなってから、ランダルは心身共に絶不調だった。どうにも、彼女が隣にいないと調子が出ないのだ。ランダルは、自分が側にいなくなれば、シルヴィアが困るだろうと考えていたけれど、むしろ、打撃を受けていたのは彼の方だった。愛するシルヴィアの姿を校内では常に探してしまい、集中力にも欠いた上に、彼の元に戻って来ない彼女に苛立ちばかりが募った。ランダルは、火魔法の授業でも、普段はしないようなミスを連発し、教授からも心配されるほどの有様だったのだ。
シルヴィアの受けていた加護が、稀少中の稀少である光の精霊の加護だったと知って、想像していた中でも最悪の事態に、ランダルは、今まで胸の奥に溜まりに溜まっていた苛立ちを、あろうことか衝動的にシルヴィアにぶつけてしまっていた。それまでは、ランダルは、繊細なところのあるシルヴィアには、怒りを直接向けて怯えさせることはしないようにと、その点はできるだけ自制するようにしていた。けれど、今回は、募っていた焦燥に加えて動揺も手伝って、シルヴィア本人に向かって思わず感情を爆発させてしまったことを、彼は激しく後悔していた。
青い顔をして涙を流すシルヴィアを見て、ランダルがようやく我に返った時にも、つまらないプライドが邪魔をして、彼はシルヴィアに謝ることすらできなかった。
(どうしたらいいんだ。……律儀なシルヴィのことだから、しばらくは、僕たちの名目上の婚約はそのままにされるかもしれないが。でも、どうにかして挽回しないと、彼女から形式的な婚約まで解消されてしまうのは、これでは時間の問題だ)
取り返しのつかないことをしてしまった自分を呪いながら、ランダルは必死に、シルヴィアの心を取り戻す方法を考えていた。
そして、当時自分のことで手一杯だったランダルは、あの中庭での二人の様子を陰から見ていた人物がいたことには、まったく気付いてはいなかった。