愛されている
どこまでも、果てしなく思いは馳せる。
想いだけじゃ、想像やら、間違った考えも出て自分を苦しめたり、人をも傷つけてしまうことがあるが、きっと思いは、
支えている。人を息子を、そして、忘れないことで、私もかなりの存在を支えられていると思う。
想うこと、忘れないこと、忘れられないこと。
そして、毎日顔を合わす人、存在が確認で来る人、それはとても、奇跡的で、いつまでも一緒にいるということは、不可能でも、それなりの役割を果たしているということ。
私たちのこの世界は、だれが作って、どういう思いで、うまくいっているこの世界をどう創造して、今の私たちは、生かされているのでしょうか?
そりゃ間違いもある世界ではあるけれども、完璧な世界は、一人一人の凹凸もある中で、無事に眠りにつけるのであれば、それはそれで,完璧な一日であったといえるのではないでしょうか?
問いかけになってしまいましたが、今のこの世界は、動物界、自然界、人間界と、様々な世界の中で、私たちは生きているだけで、使命があり、そんな大したことではなく、生きて楽しい気持でいたり、そして、こうやって、想いを馳せることで、愛という名の生き物は、世の中を作り上げている。
繋がりあっていることを私たちは、生きている使命と呼んでいいのではないでしょうか。
とても大きな使命と呼ばれるものに私たちは、憧れを抱きますが、そうではなく、大きいなり小さいなり、もう産まれたときから、私たちは、親を思い、人に思われるといった、仕事的な使命を持っているのですよ。
仕事的?いいえ、違いましたかね。端的に済ますとこういった言葉が思いつく。
私たちは目に見えるものしか信じないといった、人間界のルール的な感じはあります。
でも、常識を取っ払うことで、誰もが憧れる人や変わり者でしょうが、とことん愛される人になっていくのではないでしょうか。
そう…みんな愛されたいと思っている中で…
きっとすでにいっぱいの体いっぱいの愛情をもらっているのではないだろうかと思う。
それを裏切らないように、決して縁を切らないように大切にして生きていくのが、大人の世界であるのではないだろうかとも思う。
今は、親と子は、私たちは離れ離れを経験していますが、きっと、少しの間だけで、そういうこういった、私としては悲惨な経験も…
いつかは一緒にいれることがいいこととしていけばいいなと思います。