2.さらば財務部
「ゴードル部長、一応確認しますが、私は明日から魔法師団付きに異動ってことでいいんですよね?」
ルリエルは魔法師団の棟から戻ると、上司に異動の確認する為、ゴードル部長の部屋を訪れていた。
ゴードルはにこやかな笑顔をルリエルに向けた。
財務部長のゴードルは三十代の既婚者でありながら、その端麗な容姿でいつも女性から熱い視線を送られている。しかし、優しい顔で意外とばっさり来るゴードルは、なかなか喰えない人物だ。
「一ヶ月前に前任者が辞めてから、ギューグリッド殿がラグラン魔法師団長からどうしても魔法師団付きの文官が欲しいと言われてたんだけど、なかなか適任者がいなくてね。財務部で誰か出してくれってことになったんだけど、君が引き受けてくれてよかったよ」
ギューグリッドは宰相で、以前から文官を寄越すように頼まれていたらしい。
優しげな笑顔を浮かべるゴードルにルリエルはげんなりした。
引き受けるも何も、有無を言わさずだったじゃないか!
折角文官で王城に勤めることができたのに、魔法師団付きになってしまったら出世街道から外れたと同義だ。
魔法師団でいくら認められても、魔法師ではない以上、魔法師団の中ではその上はないからだ。
「財務部は良くも悪くも頭の固い連中が多いから、君にはあんまり居心地が良くなかっただろう。その点、魔法師団は実力主義だから女性である君ものびのび仕事ができると思うよ」
ルリエルはため息を吐きたいのを何とか堪える。
女性の文官の数は少ない。女性に文官への門戸が開かれたのはまだ数年前だ。
貴族令嬢が働くと言えば、侍女やメイドや家庭教師くらいで、結婚すると多くが家庭に入る。文官の試験はなかなか難しく、裕福な商家の子どもならともかく、平民の学習環境ではよほど優秀じゃないと受からない。
斯く言うルリエルも、かなりの努力をしてきた。
やっとのことで受かった文官の試験だったが、男ばかりの職場で、貧乏子爵令嬢であろうとも貴族令嬢であるルリエルの扱いに困ってるのは分かっていた。彼らの中では、女性はバリバリ仕事をして、出世することなど目指してないのだ。
と言うことは、私が魔法師団に異動になれば、みんな丸く収まるってことよね。
「分かりました。私のことを考えて下さった上での異動ということですね」
どちらにしても、もう決まったことだし、私はどこに行っても、出世はしないので、急な異動も仕方ないと諦念の思いで頷いた。
「あっ、一応言っておくけど、ソルジーン副団長から言われてすぐに決めた訳じゃないよ。元々、女性文官を配置することは内々に伝えてあったんだけど、今日、仕事が溜まりに溜まってるって泣きつかれたんだ」
「あー、成る程…」
書類に埋もれていたカーティスが脳裏に浮かんだ。
それで、今日から早速手伝うことになったのか。
一応、その場で決めた訳ではないらしい。
先に私に形ばかりでも打診してほしかったところだけど、後から何を言っても仕方ない。
「そう言えば、確か君も王立魔法学園の出身だったよね。多少なりとも話が合うんじゃないのかな」
微妙な顔をしているルリエルの気分を上げるように、ゴードルが話を振った。
「魔法師団に入れるほどの魔力がありませんでしたけどね」
ルリエルは苦笑を浮かべつつ、ゴードルが思いの外、部下のことをよく知っているなと少し驚いた。
この国の人の多くの人が魔力を持っているが、ちゃんと使い物になるくらいの魔力があるのは、百人に一人くらいしかいない。
魔法師になれるくらいとなると、更に数が少ない。
規定程度の魔力持ちは暴走させないために、王立の魔法学園で扱い方を学ぶことになっている。学費は無料なので、庶民でも通うことができる。
ルリエルも魔法学園に通っていたので、魔法を使えなくはないが、魔法師になれるほどの魔力を保有していなかった。
魔法師団に入れるくらいに魔力があったら、多分、文官ではなく、魔法師を目指していた。
文官より魔法師の方が専門職なだけに給料がいいし、魔法師としての能力が高ければ、女性でも重用してもらえる。
魔法師を諦めて文官になったのに、魔法師団に配属されるなんて、皮肉なもんだ。
「事務処理能力の高い君がいれば魔法師団長のところで滞っている書類もまわるようになるだろう。期待してるよ」
煽てるようなことを言って、結局、早く書類を処理させようとするゴードルに呆れるが、ゴードルが話を纏めたので、ルリエルは財務部長室を後にした。
「ルリエル、魔法師団に異動なんだって?えらく急な話だな」
異動の為、財務部の自分のデスクを片付けていると、一番年の近い先輩のマークが話しかけてきた。
マークはルリエルが財務部に入った時から色々と面倒を見てくれて、一番近しくしていた人物だ。
「もう聞いてるのね。明日には魔法師団に異動なんで、今日の内に片付けておこうかと思って」
置いてあった私物は袋に突っ込んでいく。
「ルリエルが魔法師団に行ったら、滞ってたあっちからの書類がスムーズになりそうだな」
マークがあっという間にに片付いたルリエルのデスクを見て、ケラケラと笑った。
「そうなるように頑張るわ」
ルリエルは一年間お世話になった財務部の面々に異動の挨拶とお礼を言って、さぁ帰宅しようとドアノブに手をかけた。
「相変わらず、帰り支度が早いな。いや、いつもよりは遅いのか」
振り返ると、マークが呆れたような顔で見ている。
「それが取り柄なんで」
ルリエルは澄ました顔で言うと、ドアを開いて颯爽と帰っていった。
「送別会ぐらいしようかと思ったのに、話も聞かずに帰って行ったな」
マークの呟きに財務部の面々は苦笑いして、閉じられたドアを見つめた。