1.異動!?
ティールストン子爵家は控え目に言っても、貧乏だ。貴族と言っても名ばかりで、平民よりちょっとはマシくらいだ。裕福な商家なら、余裕でティールストン子爵家よりいい生活を送っているから、平民より裕福かというと違うかもしれない。
代々受け継いできた比較的大きな屋敷はあるものの、古いし、改装するにもお金がかかるので、見えない部分は放置されてる。
領地は広くない上に、ここ何年かの天候不順により不作続きだ。
ティールストン子爵は領民を困窮させられないからと、税金を上げることはしなかった。だから、ここ数年でティールストン子爵家は貧しくなる一方だ。
ティールストン子爵家の長女ルリエルが働きに出ると言った時
「すまない、お前には苦労をかけるな」
と言って、父親である子爵からすんなりと送り出された。
政略結婚をして援助してもらう手もあったが、ルリエルは王宮の文官の試験に合格したので、働くことにしたのだ。
ルリエルにはかわいがっている妹と弟がいるので、彼らの為にも稼がねばならない。
はーっ
お父様の志しは立派だけど、貧乏脱却の為に何か手を打ってくれるといいのに…
任されている書類整理をしながら、考え事をしていると
「ルリエル、これを魔法師団長のラグラン様に届けてくれ」
上司からお使いを頼まれた。
王宮に勤め始めてから一年、未だ、雑用係だ。
もしかしたら、ずっとこのままかもしれない。
財務部から魔法師団の棟へは遠いので、新人のルリエルがいつもお使いを頼まれる。おかげで、部屋の前にいる魔法師たちとは顔見知りだ。
なのでさっさと取り次いでくれる。
「財務部より書類をお届けに上がりました」
「お疲れさま。毎回毎回財務部からは遠いからたいへんだな」
扉を開けて副団長のキール・ソルジーンが笑顔で招き入れてくれた。
「息抜きの散歩だと思えば、大丈夫ですよ」
書類を渡そうと団長のカーティス・ラグランの方に目を移すと、書類に埋もれて、黒髪がチラリと見えた。
「これはまた、溜めましたね」
ついつい呆れた声が出てしまう。
「そうなんだ。だから、新しい書類は持って来ないでくれ」
カーティスが書類の山から顔を覗かせて、金色の瞳を気まずそうに伏せた。
カーティスはラグラン伯爵の次男だが、当代一の魔法師だと言われるほどの使い手で、王都のはずれに現れた飛竜を単独で倒し、その実力で魔法師団長の地位に上り詰めた。
まだ二十代半ばの若さで大出世だ。なのに髪はボサボサ、顔はげっそりしている。
元は整った顔立ちをしているのだから、もっと身の回りに気を使ったらモテるだろうにと、ルリエルは他人事ながら思っていた。
魔法師団は皆魔法が大好きで、所謂、魔法馬鹿と言われる人の集まりだ。だから、魔法以外のことに興味がない人が多い。
カーティスはその典型だ。事務仕事が嫌いらしく、いつも書類を溜め込んでいる。
「そんなこと言われても困ります。もう少し、書類を分類してやりやすくしたらどうですか?こんなに山になっていてはどれが急ぎの書類か分からなくなってしまいますよ」
呆れるばかりだが、書類は受け取ってもらわねばならない。
「その分類は誰がやるんだ。俺には無理だ」
カーティスは「子どもか!」と突っ込みたくなるようなことを言う。
確かに今すでにこんなに書類を溜め込んでいるカーティスにはそんなに余裕がなさそうだ。
それならばと副団長を見るとぶんぶんと首を横に振っていた。
二人してルリエルを見つめてくる。
「私は財務部の人間ですよ。ダメです。そんなに手伝って欲しければ、上司に交渉して下さい」
まぁ、無理だろうけどと肩をすくめた。
すると、何を思ったのか、カーティスとキールは顔を見合わせて、お互い頷き合うとキールが急いで部屋を出て行った。
まさか、本当に上司に交渉しに行ったのかと、ルリエルは顔を引き攣らせた。
「とにかく、書類は受け取ってください」
余計なことを言われる前に、さっさと退散しようとルリエルはカーティスに書類を差し出した。
「まぁまぁ、そう慌てないで、丁度休憩しようと思ってたところだし、一緒にどう?」
カーティスは差し出された書類を無視して、ソファの方に歩み寄り、ルリエルの返事を待たずに二客のカップをテーブルに用意し、自らお茶を淹れ出した。
「ラグラン団長、私は仕事中なので、こんなところでのんびりお茶を飲んで休憩するわけにはいかないんですよ」
「まあ、そんなこと言わないで、休憩もちゃんと取らないとかえって効率悪いよ」
尤もそうなことを言って、しっかりと茶菓子まで用意されて、渋々カーティスの前のソファに腰を下ろした。
暫くすると、キールがニコニコしながら戻ってきた。
「ティールストンさん、ちゃんと上司の許可取りはしてきましたよ」
マジかー
上司にあっさり売られて、ルリエルは遠い目になった。
「でも、書類には機密事項もあるでしょうし、財務部の私が触れるのはよくないんじゃ」
それでも、この大量の書類から何とか逃げられないかと言いかけると
「大丈夫ですよ。どうせ明日には財務部から魔法師団に配置替えになりますから」
キールはニコニコと驚きの急展開を暴露した。
ルリエルの思考が一瞬停止した。
まさかの配置替え!
そこまでするか!
どうやら、逃げられないよう既に外堀が埋められたようだ。
がっくりと肩を落とした。
しかし、こういう時のルリエルは切り替えが早い。
財務部でも、雑用しかやらせてもらってないのだ。給料が同じだけもらえるなら、どこで働いたって変わらない。
「分かりました。仕事ですからね。やりますよ」
残っていたお茶をぐいっと飲み干すと、立ち上がった。
「どこか、机をお借りできますか」
「じゃあ、あそこの机を使ってください。前任者が使ってた席なんで、今日からはティールストンさんが使ってください」
キールは嬉しそうに、カーティスの席の近くに配置された机を指差した。
「では、溜まった書類を分類できるように箱をいくつか用意してもらえますか?」
キールが箱を持って来ると、ルリエルは一心不乱に書類を分類し始めた。
「こっちの箱に入れた物は今日が締め切りなので、ここから手をつけてください」
手を動かしながら、カーティスに説明する。
凄い勢いで仕事し始めたルリエルに呆気にとられていたカーティスは慌てて、その箱から書類を取った。
「処理が終わったら、書類の返却場所別に分けて、空き箱に入れてください」
カーティスの方を見ずに、いくつか並んだ空き箱を指さす。
「分かった」
ルリエルの勢いにのまれて、カーティスはそれ以降、黙って書類を捌いていった。
「副団長はこちらの箱をお願いします」
山を崩しながら、キールにも箱を指さす。
「了解」
呆然と見ていたキールもようやく動き出した。
仕事の終了時間まで、三人で黙々と仕事し続け、机の上にあった本日処理分をなんとか終えることができた。
「君、凄いな。こんなに早く事務処理が終わったの初めてだよ」
カーティスはずっと集中してしていたせいか、気だるそうにしている。
「私が凄い訳じゃないですよ」
感心したように言われて、ルリエルは苦笑いを浮かべた。
一年ずっと書類整理を始め、雑用ばかりこなしてきたからに過ぎない。
ルリエルは上司にあっさりと数分で手放されたことに少なからず、ショックを受けていたのだ。
「少なくとも、魔法師団の中では凄いよ。今日は助かった。明日もよろしく頼む。えっと、ティールストンさん?」
いきなりの配置替えに対してはまだ複雑な気持ちだが、カーティスに自分のことを評価してもらえたようで嬉しい。
「ルリエル・ティールストンです。ティールストンは呼びにくいでしょうから、ルリエルでいいですよ。財務部でもそうだったんで。明日からもよろしくお願いします」
よく顔を出していたとはいえ、思えば、ちゃんと自己紹介もしてなかった。
「あぁ、団長のカーティス・ラグランだ。あっちが副団長のキール・ソルジーン。いきなりの異動で申し訳ないけど、これからよろしく」
「よろしくお願いします。では、財務部に顔を出したら、そのまま今日は上がらせていただきます」
ルリエルは二人に退出の挨拶をすると、財務部に置いたままになっている荷物を引き取りに向かった。