悩んで損した気分
サロンの雰囲気が重たい。普段通りの顔をしているのは、ゲイツ様だけだよ。
そりゃ、ブロッサム公爵がローレンス王国に竜が飛来する危機を重く感じるのも理解できるし、グラント元提督がリヴァイアサンの増加に頭を痛めているのもね。
でも、今の所、竜は来ていないし、リヴァイアサンの被害をローレンス王国の商船は受けていないのだ。
勿論、そんな被害が出る前に予防措置を取らないといけないのは分かるけど、薮を突いて蛇を出したくないってのがゲイツ様の立場なのかな? それか、竜の討伐にも自信があるから、そんな風に余裕があるのか?
そんな事を黙って考えていたら、リリアナ伯母様が空気を変えようと思ったみたい。
「ペイシェンス、ハノンを弾いて下さい。この子は王立学園で音楽クラブに属しているのですよ」
「ええ」とお淑やかに返事して、ハノンを弾く。
「パーシバル様、一緒に弾きましょう」
二人で連弾したり、パーシバルが知っている曲を私が演奏して歌って貰う。
「私も、一緒に歌いましょう」
レオナールも空気を変えたいのか、パーシバルと歌う。
かなり、サロンの空気が軽くなったよ。
まぁ、グラント元提督もブロッサム公爵も大人だから、伯爵夫人の考えを理解して、後で話し合う事にしたみたい。ただ、ゲイツ様は我関せずなので、そこが問題なんだよね。
もしかして、ゲイツ様が私に付き添っているのをブロッサム公爵は利用しようとしたのかも? 私は、ノースコート伯爵夫妻が領地に戻られたから、領地の管理に利用させて貰っているんだけど、それを逆手に取られたのかも。
そろそろ、夕食のために着替える時間だ。各々、自分の部屋に上がるけど、私的にはパーシバルと二人で話したい。
「メアリー、パーシー様と話したいの」
こんな時は、侍女に協力して貰わないと、何もできない。
「少しの時間なら……でも、お着替えしないといけないのですよ」
釘を刺されたけど、下のサロンに呼び出してくれた。勿論、メアリーも同席するけど、やっと話せるよ。
「パーシー様、私のせいでゲイツ様がリヴァイアサンの討伐に参加させられる様になったら……」
これ、心配だったんだ。ゲイツ様には迷惑を掛けられたりもしているけど、親切にもして貰っている。
「ブロッサム公爵がペイシェンスがここに来るのを利用したのには腹が立ちますが、いずれは陛下の耳にも入る事です。その時、どう対処されるかは、陛下とゲイツ様の問題ですよ」
パーシバルは、私が気にする事はないと慰めてくれる。
「それより、学園に戻ったら、アルーシュ様に南の大陸の竜について質問しましょう」
だよね! あの赤い帆のジャンク船でローレンス王国まで来ているんだから、リヴァイアサンの情報も得ているかも?
「リヴァイアサンも心配だけど、竜がローレンス王国に来たら、とても怖いわ」
パーシバルも頷いている。
「確か、アルーシュ王子の指輪は竜の素材でできているとペイシェンスは言っていましたね」
あの指輪、目立つよね! 王立学園の学生は、魔力量も多いから、気になっている人も多い。
「そうなの……でも、今も竜を討伐しているかは、聞いていないわ。でも、アルーシュ様は、南の大陸には北の大陸よりも魔素が満ちていると話していたの。それを利用して、魔法を使うそうだわ」
ふむ、とパーシバルは考える。
「つまり、竜がいるから魔素が濃いのか? 魔素が濃いから竜がいるのか? どちらなのか興味深いですね」
「できれば、魔素が濃くて快適だから、竜がそこにずっと居てくれたら良いのにね」
プッとパーシバルが笑う。
「そんなのアルーシュ様が聞いたら、怒りそうですけどね。あちらは、魔素のせいで魔物も強く大きいみたいですから」
確かにね! 毎日がスタンピード状態なのは、遠慮したいよ。男女比がおかしくなる程の被害が出ているんだもん。
「本当に北の大陸に竜が襲撃する事があるのでしょうか?」
リヴァイアサンも問題だろうけど、万が一ロマノに竜が現れたら、大惨事だよ。弟達の事を思うと、震えちゃう。
「それは、ゲイツ様が考えられていると思いますよ。魔法省には、竜の繁殖期の資料もあるでしょうから」
これまでは、百年に一度の繁殖期でも北の大陸には竜は来なかったとゲイツ様は言っていた。
「でも……」
不安に怯える私をパーシバルが抱きしめてくれた。
「ペイシェンスを護りますよ!」
うん、竜に勝てるかどうかより、こうして護ると言ってくれただけで安心しちゃう。
「弟達に手を出したら、竜だって許しません!」
グラント元提督の話を聞いてから、ずっと胸の奥で怯えていたのが、スッと楽になったよ。
「ゲイツ様に攻撃魔法をもっと習いますわ」
パーシバルがケラケラと笑う。
「ペイシェンスを護るのは、とても大変そうです」
暗い気持ちで竜に怯える日々を送るより、前向きに対処したい。それに、いつもパーシバルが一緒に居てくれるなら、何でもできる気分になるよ。
ちょっとキスしていたら、メアリーが「そろそろお着替えしませんと!」と邪魔をする。
「お嬢様、本当に竜が来るのでしょうか?」
部屋で、髪の毛を整えながら、メアリーも不安そうだ。
「さぁ、ゲイツ様は今までは来た事ないと言われたわ。きっと来ないわよ!」
ふふん! キスしたら、楽天的な私になった。それに、来たら、来た時だよ!
今夜のドレスはお初だ。カルディナ帝国の綺麗な濃いピンクのドレスで、細いプリーツが全体に入っていて、一見、ストンと落ちたスタイルだけど、動くと華やかなんだよね。
それに、キラキラ光る半貴石のビーズをちりばめているから、かなり良い感じ。
「お嬢様、よくお似合いですわ」
メアリーに褒めて貰うと、自信がつく。ちょっと変わったデザインだからね。
下に降りたら、パーシバルがすぐに立ち上がって、椅子にエスコートしてくれる。
「ペイシェンス、とっても綺麗だよ」
ああ、こう褒めて貰うと新しいドレスを作って良かったと思えるね。
「ありがとう。パーシー様も素敵だわ。本当に、私は婚約できて幸せよ」
お茶の時にグラント元提督が言った言葉の返事だよ。見つめ合って、素早いキスをする。
ゲイツ様やグラント元提督などが降りて来たから、素知らぬ顔をしたけど、きっとバレているね。
「ペイシェンス様、とても綺麗ですね」
ゲイツ様も褒めてくれたし、グラント元提督もすっごく褒めてくれた。婚約者が横にいるのに、良いのかなってぐらいにね。
ブロッサム公爵とレオナールも降りてきて、ノースコート伯爵夫妻も降りてきたので、夕食の開始だ。
今夜もエバが腕を揮ってくれている。雨だったから、マッドクラブ狩りには行っていないけど、昨日の残りを上手く調理しているんだ。
それに、ノースコートも魚介類が取れるから、それをマッドクラブと組み合わせている。
前菜は、蟹の身をほぐしたのと雲丹のゼラチン寄せ。でも、このゼラチンが柚子ポン酢風味で、凄くあっさりしているんだ。
「ノースコート伯爵夫人、これもとても美味しいですね」
ブロッサム公爵が褒めると、嬉しそうに微笑む。
「これは、ペイシェンスの料理人が作ったのですわ」
ゲイツ様は無言で食べ終えて、悩んでいる。
「このくらいお代わりしても大丈夫だろうか?」
私の恐れと悩みを返して欲しい! ゲイツ様をブロッサム公爵とグラント元提督の願望に巻き込んだかもと思ったのに!
「この後は、スープとマッドクラブのカレー、お口直しのシャーベットの後はビッグホエールのステーキを用意しております」
ゲイツ様は考えてお代わりを止めた。
「マッドクラブのカレーはお代わりしましょう」
好きにしたら良いけど、ブロッサム公爵やグラント元提督が呆れているかもね。
私は、少しずつ食べる。ビッグホエールのステーキまでお腹いっぱいにならない様にね。
でも、ゲイツ様だけでなく、パーシバルもグラント元提督もレオナールもカレーのお代わりをしていたよ。
「ううむ、ビッグホエールのステーキは大好物なんだ」
ノースコート伯爵は悩んだ末にお代わりはしなかった。
「本当にペイシェンス様の料理人は凄腕ですな」
ブロッサム公爵は、お代わりはしなかったけど、カレーが気に入ったみたい。
「やはり、もう二人調理助手を引き受けて下さい。今いる二人を引き上げます」
「エバが良いなら良いですけど……ゲイツ様の所には調理助手は何人おられるのですか?」
嫌味を言ったのに、気にしない。
「さて、何人でしょう?」
相手にするのが馬鹿馬鹿しくなるよ。
「ペイシェンス様、私の家の調理助手も修業させて欲しいですな」
公爵家の調理助手なんか、エバも気を使うだろう。
「それは……」と断り難くて困っていたら、ゲイツ様が代わりにキッパリと断ってくれた。
「いくら公爵とはいえ、これまで知らなかったペイシェンス様に図々しい真似は駄目ですよ。私は、友人だから許されているのです」
ブロッサム公爵は「では、私も友人にして貰わないといけませんな」と笑う。
「まぁ、ペイシェンス! ブロッサム公爵とお友だちだなんて素晴らしいわ」
いや、それは遠慮しておきたいよ。
夕食後は、私とリリアナ伯母様は席を立った。男の人達が何を話していたのかは知らないけど、長い時間掛かっていたね。
私は教会についてリリアナ伯母様から色々と聞いていた。
「やはり、農村より漁師の方が信心深いのは、船の板一枚下は危険な海だからかもしれませんわ」
そのグレンジャーの教会が崩れ落ちそうなボロなんだよ。
「私の実家の名前が残っている教会があまりにも悲惨なのは悲しいですね」
だよね! 私も、エステナ聖皇国とは関わりたくないけど、領地の教会をあのままにはしておかない。
「孤児院への寄付は年間いくらぐらいなのか、伯父様に教えて欲しいです」
あれこれしなくてはいけない事が山積みで、来るか、来ないかわからない竜の事は忘れてしまった。




