ハープシャーとグレンジャー
次の日の朝、窓から見える湖の美しさに見惚れてしまった。
「夏とは違う美しさだわ」
緑に囲まれて煌めく湖も美しかったけど、雪化粧した木々と湖の白の風景は、とても静謐で魂が浄化される気がした。
「お嬢様、今日は忙しいのでしょう?」
メアリーに急かされて、服に着替える。
今日は、ハープシャーとグレンジャーを視察するのだ。
「お姉様、おはようございます」
弟達はもう朝食の場にいた。
「おはようございます」
パーシバルやモラン伯爵に挨拶する。伯爵夫人は、朝食は自分の部屋で食べるみたい。
「おはようございます」
ゲイツ様もやってきたので、素早く朝食を済ませる。
「ハープシャーの館に管理人を呼んでいるから、そこで合流しなさい」
食後のお茶を飲みながら、モラン伯爵に今日の段取りを訊く。
「ザッとした収入と支出の資料もある。今は、収入はほぼ国に納入されているが、ハープシャー、グレンジャーの納めるべき税金などについても相談してみなさい」
うっ、それって来年の秋には納めないといけないの?
「モラン伯爵、いつ領地を決めなければいけないのでしょう?」
ゲイツ様が呆れている。
「普通、貴族が陞爵されたら、速やかに領地を決めます。そうしないと収入を得られませんからね」
そうだよね。
「ペイシェンス様、グレンジャー家は法衣貴族だから知らないのは仕方ありません。でも、なるべく早く決めて、最低限の管理はしなくてはいけませんよ」
モラン伯爵の言うとおりみたい。
「ハープシャーとグレンジャーの視察をして、なんとかなりそうなら、そうします」
見てみないと決められないよ。
「お姉様、私達も馬で行きたいです」
ヘンリーは大丈夫かな?
「馬の方が機動力はありますが、雪が降りだしたら寒いですよ」
ゲイツ様の提案で、馬車を一台出すことになった。そして、馬も人数分!
メアリーは馬車で移動する。私もハープシャーまでは馬車にしよう。実は身体の節々が悲鳴をあげているのだ。
一回は馬車に乗ったけど、ほぼ馬の王で移動したからね。
馬車でメアリーとハープシャーに移動しているけど、ホカホカクッションが温かくて気持ちいい。
馬車が一緒なので、川沿いを離れて、道を行く。
「かなりの下り坂ですね」
そうなんだよね。ここの峠に砂防ダムを作ろうと考えていたんだ。
少し迂回したけど、ハープシャーに着いた。
途中の丘陵地帯は葡萄畑みたいだった。雪に埋もれているから、よくわからないけどさ。
今は冬だけど、春から秋までは陽がよく当たりそうだ。
「ハープシャーは、よく開けていますね」
えっ、そうなの?
「東は森が多くて、あまり耕作地に向いていないのです」
メアリーは、母親の実家のケープコット伯爵領からきたのだ。
「そういえば、魔物の小物を狩って食べると言っていたわね」
メアリーが懐かしそうに笑う。
「ええ、そうしないと肉は手に入りませんでしたから」
これ、難しい問題なんだよね。森を残すと魔物が出てくる。大きな魔物は怖いけど、小物は大切なタンパク源になるのだ。
王都にいると気が付かないけど、田舎では重要だ。
「ここら辺には森はないわ。魔物は出ないのかしら?」
そこら辺は、管理をしている官僚に訊くしかない。
「森でなくても湿地や農地にも魔物は出ますよ」
えっ、それは知らなかった……いや、巨大毒蛙とか湿地に出るんだよね。
「農地にも?」
メアリーが嫌そうに眉を顰める。
「ええ、作物を荒らすモグラは見つけ次第殺さないと、あっという間に増えます」
こう言った小物の魔物は図鑑にも載っていなかった。
普通のモグラとは違うのかな?
「田舎には野鼠も多いですよ。あれも、1匹見つけたら10匹はいますから、即殺さないと!」
うっ、なんだか田舎暮らしが嫌になりそうだ。
「でも、森がないと薪とかはどうするのかしら?」
この異世界では、料理も暖房も薪なのだ。王宮や金持ちの貴族は炭を使っているけどさ。
「あちら辺には森もありそうですわ」
丘陵の上部分は森みたい。今は、雪化粧している。
「丘陵から平らになった場所には、十数箇所ほどの村があるとは聞いたけど……小さいのね」
今までも王都からノースコート伯爵領とかの旅はしたけど、こんなに小さかったかな?
ノースコートの港町も小さいとは思ったけど、ここは集落に過ぎないよ。
ハープシャーの館の近くは、流石に数軒って感じではなく、町になっていた。
街の周りには石垣で囲ってあるけど……崩れそう。要修理だね!
「ここが領都になるのかしら?」
領都とは言い難い小さな町だけど、一応、商店が数軒と、冒険者ギルドっぽい建物、そして領主館らしき建物はある。
馬車は領主館に向かっている。周りを先の尖った鉄柵で囲まれていて、門の横には門番小屋もあるけど……要修理だ。
馬車は開けてある門を通り抜け、雪が積もっている庭を通り、領主館の前に止まる。
領主館、古びている。ここを返納したのは13年前? 14年だったっけ?
「手入れが必要ですね」
馬車から降りる前から、不安材料だ。
「ペイシェンス、こちらがこの地方の管理をしているグレアム・カルディ様です」
先行していた馬のメンバーが先に挨拶していたみたい。
パーシバルにエスコートして貰って馬車から降りる。
「ペイシェンス・グレンジャー女子爵様ですね」
「カルディ様、今日はありがとうございます」
「ここでは寒いでしょう」
カルディに案内されて領主館に入る。
大きさは、やはり王都の貴族の館より大きい。土地がいっぱいあるからね。
でも、古びている。グレンジャー家どころじゃないよ。人が住まない家って良くないのかな?
応接室、めちゃでかい! なので、多分、朝から火をつけていた暖炉だろうけど、寒い。
「カルディ様は、視察の時は館に泊まられるのですか?」
ここって住めるのかな? 疑問に思っちゃった。
「問題が起これば、そこに数日滞在します。宿屋があれば、そこに泊まります」
つまり、館は放置されているのだ。
「ただ、裁判は領主館でしますから、数人は雇って維持……まぁ、手入れは行き届いてはいませんが、浮浪者が入り込んだりしない程度には使用人は置いてあります」
つまり、雑草に埋もれない程度の管理ってことなんだ。
「カルディ様、ハープシャーとグレンジャーはどうなのでしょう?」
凄く大雑把な聞き方だけど、まだ具体的な質問はわからない。
「ローレンス王国の西南部になりますし、気候には恵まれています。王都からも1日で来られますし、管理次第では良い土地ですよ」
そうなの?
横で聞いていたゲイツ様が、カラカラ笑う。
「まぁ、北部よりはマシってだけですね。途中の葡萄畑も手入れ不足ですし、川の管理もできていません。カルディ、去年も洪水があったのでは?」
えっ、洪水? カルディは、ハンカチで汗を拭いている。
「領主がいないと土地は荒れます。川がどんどんと土砂に埋まり、大雨が降れば水が溢れてしまうのです」
ふう、先ずは川を浚渫しなくちゃいけないみたい。
「本来なら、それも管理人の仕事でしょうが……カルディは、何件受け持っているのですか?」
王宮魔法師のゲイツ様に質問され「20件ほど」と答える。
「ふむ、多過ぎますね! それでは見回るだけで、対処はできないでしょう。何件程度なら、管理できますか?」
カルディは、パッと顔を輝かす。
「5件程度なら、なんとか……それでも大規模な治水は無理ですが、洪水を起こさない程度の管理はできるようになります」
20件では、見て回るだけだよね。
「今度、陛下に話してみます。収入も増える話ですからね」
だよね!
資料を見せて貰ったけど、ハープシャーの方がまだマシだと思った。
「グレンジャーは、領主不在が長いので……」
汗を拭くカルディのせいじゃないよ。
ライナ川の運ぶ土砂で川は何度も氾濫を起こしている。
三角州って、前世では大都市が多かった気がするけど、ここでは駄目なの? やはり治水ができていない。
使用人のお婆さんとメアリーがお茶を出してくれた。うん、薄い! グレンジャー家に転生した頃を思い出す味だよ。
全員が白湯の方がマシだと思ったと思う。
メアリーが申し訳なさそうだ。
「宿屋はあるのですが……あまり清潔とはいえません。ここの館は、まだ雨漏りはしていませんから、私はここに宿泊しています」
ふぅ、問題山積みだね。
「ワインはどうなのかしら?」
またカルディがハンカチで汗を拭く。
「葡萄の木を植え替える時期なのですが……」
古い葡萄の木といっても、やはりある程度の時期が来たら、植え替えなきゃいけないんだね。
「それは、責任者はいないのですか?」
ハープシャー子爵が葡萄畑を管理していた訳じゃないはず。専門家がいたと思うけど?
「数年前に亡くなって、後は……」
つまり放置というか、専門家はいなくて農民がやっているのだ。だから、評判が落ちたんだね。
「グレンジャーは、もっと酷い状態なのですね」
推して知るべしだよ。
「でも、海がありますから、冒険者ギルドは機能しています」
ここのは? ああ、開店休業状態なんだね。
「さぁ、マッドクラブを討伐しましょう」
ゲイツ様だけが元気だよ。私は、ここで良いのか迷い中!