王宮魔法師について
お茶を飲んでから、本題に入る。
「あのう、これは拙いでしょうか?」
私が差し出したステンレスボトルを、三人が不思議そうに眺める。
「これは? 水筒なのか?」
カエサルが受け取って、蓋を回して開ける。
「蓋がコップになるのか? 中の栓を回したら、注げるのだな」
コップに柚子茶を注ぐ。
「良い香りだ。それに温かい! ペイシェンス、これは保温瓶なのだな」
「ええ、それは朝に入れた柚子茶です。一晩ぐらいは温かいですわ。少し冷めますけど」
カエサルと公爵が真剣な顔で、柚子茶を飲む。
「美味しい! この香りは知らない果樹の香りだ」
ああ、そちらもあったね。
「これはカルディナ街で買った柚子の皮をハチミツに漬けた物をお湯で割った柚子茶ですわ。旅行中は、お茶は控えた方がよろしいから」
誤魔化したけど、意味は通じたと思うよ。
「一口、頂けるかしら?」
公爵夫人がカエサルからコップを受け取って、新しく注ぎなおした柚茶を一口飲む。
「美味しいわ! 馬車の中で喉が渇いた時、温かいものを飲めるのは嬉しいですわね」
うん、それは良いんだよ。
「この水筒の保温性は、魔石を使わずに可能なのだな」
そう、カエサルは気づいたね。
「そうか……この構造で保温できるのだ」
中の柚茶を捨てて調べようとするから、新しいステンレスボトルを渡す。
「ペイシェンス、これを相談したかったのか?」
公爵が質問する。
「ええ、使い方次第の製品ですから。それと、この合金は錆びにくいのです」
目がキラリと光る。
「これは、台所用品に最適なのです。ボール、ナイフ、フォーク、スプーン、オタマ……後、これは見本で鉄製なのですが、肉を薄く切るスライサーと細かくするミンサーですわ」
台所用品は、いまいち理解していない公爵だけど、ナイフとフォークとスプーンは、手に取って眺める。
「錆びにくい鉄ですわ」
カエサルも考えている。
「これは画期的な合金だな! ステンレスか!」
使い方は色々とある。
「この水筒を軍用するのを警戒しているのだな」
公爵も気づいたみたい。
「ええ、だから慎重にしたいと考えています」
カエサルが大きな溜息をついた。
「ペイシェンス、この水筒の作り方は、とても複雑だ。今の錬金術では、なかなか大量生産はできないだろう」
そうなの?
「ステンレスの二重構造にして、魔法陣で真空にするだけですわ」
カエサルが頭を抱えている。
「その真空にする魔法陣は、どこで知ったのだ?」
「ゲイツ様の魔法陣の専門書に載っていましたわ」
全員に呆れられた。
「それは、先代の王宮魔法師マグヌス様が書かれた秘術の魔法陣の本ではないのか?」
そうなの?
「ゲイツ様に読んで覚えるようにと言われたのですけど? えっ、秘術だったのですか?」
カエサルの目が輝く。
「ペイシェンス! 覚えろと言われたのか? もしかして、暗記術を教えてもらったのか?」
そうだけど? マジでやばいのかも?
「ゲイツ様に暗記術を習いましたけど……やはり、これっていけないのかしら? ロマノ大学で教えているそうですけど?」
三人に苦笑された。
「ペイシェンスは、次期の王宮魔法師になるのか?」
えっ、カエサル違うよ!
「それは有り得ませんわ。ゲイツ様とは年齢も然程変わりませんもの。だから後継者にはならないと断りました」
三人に呆れられた。
「ゲイツ様に後継者になって欲しいと言われたのに、断ったのか?」
カエサルに厳しく訊かれた。
「だって、無理ですもの。陰謀策略とか……それは、ゲイツ様とサリンジャー様が任せてくれと言われましたけど……やはり、ちょっと……えっ、断っては駄目なのですか?」
しどろもどろで返答をする。
「ペイシェンスをわざわざゲイツ様は直接指導されている。それは、やはり王宮魔法師になって欲しいからではないか?」
それ、止めたいのだけど……。
「私は、ゲイツ様に指導して頂ける有り難さは理解していますが、できれば指導はもう良いのではないかと考えています。だって、陛下が言われたのは、防衛魔法を習え! でしたの。それに、次は攻撃魔法を実践で練習しろでしたでしょう? 冬の討伐で、練習はいたしましたわ」
もう止めても良いんじゃないかな? のニュアンスを伝えようとした。
「陛下がゲイツ様にペイシェンスの指導をするようにと命じられたのか。なら、ペイシェンスは習わなくてはいけない」
あっ、そういえばカエサルが父親は陛下の言葉を厳密に受け取ると言っていたね。
それは、元王族の公爵家としての義務と矜持なのだろう。
「王宮魔法師は、向いていないと思うのです」
これは本心だよ!
「私がペイシェンスなら、喜んで王宮魔法師になるのだが……才能の差は歴然としている。この水筒をいとも簡単に作ってしまう技術力を持つ者は、ゲイツ様しかいないだろう」
これ、拙かったのか。
「なら、これは身内だけで使いますわ」
商品にはならないね。
「いや、いずれは大量に作れるようにしたい! 私も頑張るぞ」
カエサルは、錬金術が大好きだからね。
「そうですね! 私も大量に作れるようにしたいですわ。チョコレートを滑らかにする魔法陣も考えてみます!」
カエサルは、そちらは優先していなかったが、公爵夫人は手を叩いて喜ぶ。
「嬉しいわ! 本当にチョコレートを欲しがる方が多くて困っているのよ」
公爵は、チョコレートよりも麦芽糖の方が嬉しいみたいだけどね。
「領地はいつまでに決めたら良いのでしょう?」
公爵も早めが良いと言う。
「官吏が管理している土地は、どうしても手入れが不十分になる。税金を納めるのがギリギリだし、新たな治水工事や街道の整備もされない。そこに住む領民たちの教育も放置されている。次男以下や女の子は外に働きに出るしかない状態だろう」
あっ、私の都合ばかり考えていたよ。一年後ぐらいでも良いのかと思っていたけど、住んでいる人もいるんだ。
「特にグレンジャーは長期に亘って領主がいない状態だから、領主館も荒れているかもしれない。ハープシャーは、前の流行病で跡取りが亡くなり断絶したのだ。王家に返納されて13年になるのかな? ライナ川の中腹で、ワインが特産品だったと思うが、このところは聞かないな」
ふぅ、どちらも停滞している感じだ。
「止めた方が良いのでしょうか?」
これ、重要だ!
「いや、ペイシェンスのようなアイデア豊富な領主に治めて欲しい。ロマノにも一日で行ける距離だし、モラン伯爵領と地続きなのは便利だ。嫌な家と地続きだと厄介だからな」
うっ、それはそうだね。
「グレンジャー家は法衣貴族だったから、領地の管理人はいないのだな。モラン伯爵家でも探しているだろうが、私も心がけておこう」
それは助かるよ!
「お願いします。家政婦も騎士も必要なのです」
カエサルに爆笑された。
「騎士の前に家政婦が来るのがペイシェンスらしいな」
それは、理由があるのだ。
「騎士関係は、自分の領地の騎士の次男以下を推薦して下さると伯母様方が言われたのです。でも、家政婦はグレンジャー家と新居と二人必要なのですもの」
公爵夫人が驚く。
「グレンジャー家に家政婦はいないのですか? では、この前、カエサルが招待された打ち上げパーティはどなたが指揮されたのでしょう?」
それは、私かな?
「私が料理人にメニューとレシピを与えて、侍女に掃除やバラを飾るように指示しましたわ。招待状を書いたのも私です」
クラクラすると、大袈裟に公爵夫人が頭を指で押さえた。
「まだペイシェンス様は12歳なのに、家政婦がわりと、女主人の役割をしているのね。これはいけないわ! 新居の方は5年後で良いけど、少なくとも1人は即必要ですわ」
それは嬉しいけど、見つかるものなの?
「領地の家政婦の見習いを行かせますわ。こちらの家政婦、ミッチャム夫人の娘を領地で教育していましたの。カエサルが結婚する時に良いかと思って、でも、そちらが緊急ですわね」
えっ、カエサルの新居用の家政婦を貰って良いの?
「ありがたいですが、公爵家の家政婦になる方を子爵家に譲って貰って良いのでしょうか?」
公爵夫人の笑顔が怖い。
「家政婦がいないまま、社交界デビューしたり、結婚の準備をペイシェンス様が一人でされていると思ったら、胸がズキズキします。だから、タラ・ミッチャムをお譲りしますわ」
もう一人必要なのだけど……伯母様方に探して貰おう。
「タラは、本当に優秀な家政婦見習いですから、新居に連れて行くと良いですわ。それと、忠告しておきますが、領地にも家政婦は必要ですからね」
あと二人必要なんだね。
「領地の家政婦は、現地で雇っても良いと思う。そこで下女や下男を雇うのだから、家族を知っている者が良い」
公爵のアドバイスを貰ったよ。
執事はモラン伯爵家に任せられるから良かったよ。
タラ・ミッチャム夫人は、新年からグレンジャー家に来ることになった。俸給は執事と要相談だけど、私が支払っても良い。
公爵夫人によると有能だから、結婚しても手放さない方が良いそうだから。
夫人と呼ぶけど独身みたい。家政婦は夫人と呼ぶのが慣例なんだって。
ペイシェンスの記憶の中の家政婦は、小太りの中年だった。私が幼い頃だったから、子守しか覚えていないよ。
これで少なくとも一人の家政婦は確保できた。管理人、騎士は保留だね。