所有権は?
基地キャンプに8本脚のスレイプニルと着いたら、先に捕まえられていたスレイプニル達と同じ馬房に誘導された。
「素晴らしいスレイプニルですよ!」
デーン王国の騎士が、うっとりとした顔で8本脚を見ている。
「この馬房で、大人しくしているのよ」
さぁ、これで良いわね! と出て行こうとしたら、マントのフードを噛んで離さない。
「何か欲しい物があるの?」
「ブルルル、ブルルル!」
何だか我儘なスレイプニルだわね!
「お水と餌が欲しいみたいですわ」
デーン王国の騎士達は、我儘を聞くのも嬉しいみたいで、いそいそと面倒を見ている。
「ほら、お水と大麦だよ! お湯でふやかしているから、空きっ腹でも大丈夫だ。たんとお食べ」
特に、白髪の騎士は、丁寧に8本脚に接している気がする。
「バレオス、本当に8本脚のスレイプニルがいたのだ!」
白髪の騎士は、バレオスというみたいだね。オーディン王子の勇者も愛おしそうに世話をやいている。
「ええ、生きているうちに見られて幸せです」
それは良かったね! では「ご機嫌よう!」とパーシバルと去ろうとしたけど、あの馬鹿スレイプニルにマントを噛まれた。
「ペイシェンス様、きっと8本脚は一緒にいたいのだ。勇者も初めは一緒にいたがったから、馬房で寝たのだ」
ええええ、それは遠慮したい。
「ここで寝るなんて嫌だわ」
パーシバルは、私とオーディン王子の間で困っている。
「令嬢が寝る場所ではありませんよ。でも、8本脚が不安になると、群れのスレイプニルも不安になりそうだし……」
えーっ、私よりスレイプニルの方が大事に聞こえるけど?
それに、冷えたからトイレに行きたい。雪の上に座ったのが拙かった。
「ブヒヒン!」
『行ってこい!』と聞こえたから、良いよね?
「ちょっと……」と私が馬房から出ていくのを誰も止めなかった。
察したのかも? ちょっと恥ずかしいけど、漏らすよりマシだよ。
「お嬢様!」
ああ、メアリー、トイレが先だよ。
はぁ、ホッとしたら、ドッと疲れた。前から体力は限界だったし、魔力もほとんど残っていないみたい。
「大丈夫でしたか? あんな恐ろしげな魔物に乗って帰られたから、心配していました。でも、パーシバル様が一緒だから、少しホッとしましたわ」
ああ、このままテントで暖かいお茶を飲んで、眠りたい。
「お茶を淹れましょう!」
メアリーは、本当に良い侍女だけど、リチャード王子やゲイツ様達が基地キャンプにスレイプニルを群れごと連れて帰ってきた。
嫌な予感しかしない。
「ペイシェンス様、8本脚が暴れている! すぐに来てくれ!」
オーディン王子が走って呼びに来た。お茶が飲みたいのに!
「メアリー、お茶とシュトーレンを持って来て!」
オーディン王子にドナドナされる私を、メアリーが心配そうに見ている。付いてくるより、お茶を持ってきてね!
そこにはパーシバルもいたけど、あの8本脚は何が不満なのか、馬房の柵を蹴り壊していた。
「大人しくしなさい!」
叱ると跳ね上げていた後脚4本を地につける。
「やはり、ここにペイシェンス様がいないと不満みたいです」
いや、いや、ここでは寝ないよ! 私がオーディン王子に抗議しようとした時、リチャード王子やモーガン大使や騎士団の人達が、群れのスレイプニルを馬房に入れに来た。
「おお、暴れているじゃないか? 馬房の柵を蹴り壊すだなんて、元気だな!」
モーガン大使は、暴れているのすら愛しそうに話す。
「ペイシェンス様がなかなか帰って来ないから、不満に思ったのだ」
ゲッ、トイレにも行けないの? オマルとか絶対に嫌だからね!
「ブヒヒン!」
『そのくらいは良い』と言っている気がする。
「なら、暴れないでよ!」と言い聞かせたら「ブヒヒヒ……」と謝っているよ。
「ペイシェンス様、何と言っているのですか?」
ゲイツ様、こんなプライベートなことは口にできません! 少し精神防衛を下げて、伝える。
「ふむ、兎に角、この8本脚は、ペイシェンス様と一緒にいたいみたいですね」
あっ、デーン王国側の人達が微妙な顔をしている。伝説の8本脚のスレイプニルだものね! 自国に連れて帰りたいのだろう。
私が「どうぞ、お連れ下さい」と言おうとしたら、ゲイツ様に手でサッと口を押さえられた。
国同士の交渉は、リチャード王子やゲイツ様や騎士団長に任せると考えたら、すぐに手を退けてくれたけどね。
ゲイツ様は手を退けてくれたけど、8本脚は少し機嫌を悪くしたのか、私のマントを咥えて離さない。
「あのう、お嬢様……」
メアリーはお茶をトレイで運んできたものの、恐ろしげなスレイプニルにマントを咥えられている私を見て驚いている。
「ペイシェンス様が座る椅子とテーブルを用意しろ!」
オーディン王子の命令で、デーン王国の騎士が慌てて、お偉いさんのテントから椅子と机を運んできた。
「さぁ、どうぞ」と言われても……マントを咥えられたままだと座れないよ。
「ちょっとお茶を飲みたいから、離して!」
マントを引っ張ると、意外と素直に離してくれた。
「私だけお茶を飲むのは、飲みにくいから、皆様もどうぞ」
できる侍女のメアリーは女子テント分のマグカップにお茶を淹れてトレイで持ってきたのだ。
こんな馬房でお茶を飲む羽目になったのに、誰一人文句は言わず、うっとりと8本脚のスレイプニルを眺めている。
王族特権なのか、パリス王子とアルーシュ王子と謹慎中の筈のキース王子やオーディン王子まで、ちゃっかりと椅子を確保しているよ。
そして、リチャード王子、モーガン大使、ゲイツ様、第一騎士団長、そして私とパーシバルが椅子に座って、お茶を飲みながらシュトーレンを食べている。
サリンジャーさんとザッシュは、他の騎士達と一緒に立ったまま、マグカップでお茶を飲む。
「このスレイプニルは、本当に見事です」
うっとりとした声でモーガン大使が一言発した。確かに大人しくしていると、綺麗かもね?
そこから、リチャード王子が微笑みながら、交渉開始だ。
要約すると、デーン王国は8本脚のスレイプニルを連れて帰りたいと主張し、ローレンス王国側は自国民が捕まえたのだから、こちらの物だと主張する。平行線だよ!
「パーシバル様、この状況は拙いのでは?」
コソッと質問する。世界史では、もっと瑣末な事で戦争が起こっているのだ。
「兎に角、ペイシェンス様は余計な事を口にされないように!」
ピシッと言われちゃったよ。外交官は性格的に無理だったのかもね?
突然、オーディン王子がとんでもないことを言い出した。
「ペイシェンス様から8本脚が離れないなら、私と結婚すれば良いのではないだろうか? そうすればデーン王国に連れて帰れる!」
モーガン大使は、少し考えて頷いている。ジェーン王女との縁談はどうなるのよ!
「ペイシェンス様は、私の婚約者です!」
ああ、パーシバルと婚約して良かったよ。惚れ直しちゃう。
「8本脚はペイシェンス様から離れないでしょう。もう絆が結ばれていますからね。でも、ペイシェンス様は、乗馬が苦手だし、お世話もできないから、デーン王国の大使館で飼って貰えば良いと思いますよ」
リチャード王子と第一騎士団長が「ゲイツ様!」と驚きの声をあげる。
「そうして頂ければ、こちらとしても有り難いです」
モーガン大使も驚いているけど、嬉しそうだ。
「とはいえ、ペイシェンス様のスレイプニルだという事実は変わりません。つまり、このスレイプニルの所有権はペイシェンス様にあり、その子スレイプニルもペイシェンス様の物なのです」
モーガン大使が抗議するけど、ゲイツ様は取り合わない。
「嫌なら、こちらで引き取りますよ」
モーガン大使の顔が真っ赤になる。
ここからの交渉は、ゲイツ様ペースで進んだ。先ずは、全部の子スレイプニルの所有権を主張していたけど、最終的には半分に納めた。
つまり、今回、捕獲したスレイプニルの半分をローレンス王国側が取り、その雌スレイプニルが産んだスレイプニルは、ローレンス王国の物になる。
そして、デーン王国の雌スレイプニルが産んだスレイプニルは、デーン王国の物になる。
「それと、両国とも種付け料は、ペイシェンス様に支払って下さいね。でないと、ペイシェンス様の事だから、自由に草原を走りなさいと解放してしまいますよ」
いや、種付け料より、自由に走らせてやった方が良いと思うけど? パーシバルが、にっこりと笑って、私の手を握った。
これも言ってはいけないみたいだ。
「スレイプニルが欲しい!」
アルーシュ王子の発言は、ロマノに帰ってから相談しようとリチャード王子に遮られた。
発言しかけたパリス王子にも、リチャード王子が「後で話し合いましょう」と、この場での交渉はしないと告げる。
これで話し合いは終わったと思った馬鹿は私です。
ここから、どのスレイプニルを自分の国の物にするか、熾烈な争いが始まるのだった。
「貴方は、私で良いの? 乗馬も下手だから、いっぱい走れないわよ」
私とパーシバルは、醜い争奪戦には参加しないで、8本脚と話し合っていた。
「ブヒヒヒヒヒ……ヒン!」
ああ、横にいるパーシバルに運動させて貰うと言っている気がする。
「ペイシェンス様?」
パーシバルは、この8本脚の運動係に指名されたのを嫌がらないかしら?
「パーシー様は、このスレイプニルの運動係に指名されたみたいですわ」
御免なさいと謝ろうとしたのに、パーシバルに抱きしめられた。
「嬉しいです! 世界一、美しい馬に乗れるのですから!」
えええ、確かに綺麗な鬣だけど、脚は8本もあるし、かなり魔物っぽいよ?
「パーシー様を振り落としたりしたら、お仕置きですからね!」
キッパリと言い聞かせておく。
「ブヒ、ブヒ」
まるで『はい、はい、わかりましたよ』と小馬鹿にしたような返事だ。