8本脚のスレイプニル!
ふう、なぜこんな目に? 私は、パーシバルとなら兎も角、オーディン王子と勇者に二人乗りだ。
ゲイツ様にキッパリ断ったのに、オーディン王子の懇願に負けてしまった自分を叱りたい。
だって、泣くのを我慢しながら、涙目で頼まれると、お姉ちゃん弱いんだ! 少年に口説かせるのって狡いよね!
「ペイシェンス様、もう少しだ!」
勇者って、走るのも速いけど、上下の揺れ方も酷い。
こんな事なら、パーシバルかユージーヌ卿に乗せてもらって、勇者を追いかけたら良かったよ。
オーディン王子の勢いに負けてしまったのだ。あれよ、あれよという間に、勇者に乗せられていた。
魔物の群れの本隊を迎え撃った開けた土地から、かなり左にスレイプニルは駆け抜けている。
デーン王国の騎士や第一騎士団が、数頭のスレイプニルを捕獲して、基地キャンプに連れて帰ろうとしているけど、なかなか言うことを聞かないみたい。
「野生のスレイプニルは誇り高いから、なかなか屈服しないのだ!」
やれやれ、なら野生のままで良いんじゃないの?
後ろ脚で立って、騎士達が投げた縄を放させようと暴れていて、めちゃ危険だよ。蹴り殺す勢いだ。
本当にスレイプニルって馬鹿なんじゃないの? 汗だくだくで暴れているけど、冷えたら体調を崩すんでしょう?
騎士達は捕まえるのも目的だけど、世話をしたくて必死なのに!
「大人しくしなさい!」
こんな勇者になんかに乗らされて、私は凄く不機嫌だったから、強く掛けたみたい。
スレイプニルは、暴れるのを止めて、騎士達が基地キャンプに連れて行く。
「ペイシェンス様、凄いですね!」
オーディン王子は感激して褒めてくれるけど、私は、もう早く8本脚のスレイプニルを見つけて、この長距離乗馬から逃れたい一心だよ。
帰りは、絶対に馬車を要求するからね! 二度とスレイプニルになんか乗らないよ!
勇者は、どんどんスピードを上げる。きっと、スレイプニルの群れの中に可愛いお嫁さん候補がいるのだろう。
後ろから騎士団やリチャード王子やゲイツ様やパーシバル達が馬で追いかけているけど、勇者の速さは尋常じゃない。
競馬なら、勝ち馬決定だね! なんて、他の事を考えないと、やってられないよ。
風は、びゅんびゅん顔に当たるし、身体は上下して酔いそう!
「あそこに追い込まれているけど……あああ、囲いを蹴り破っている!」
私は、スレイプニルより、蹴られた騎士の方が心配だよ。
デーン王国の騎士達は、スレイプニルの捕獲に慣れているのか、太い縄で追い込んでいた。
でも、黒いスレイプニルが、騎士の1人を蹴り倒して、そこの隙間から全力疾走し始めた。
「リーダーが逃げたら、群れも逃げ出すぞ!」
えええ、デーン王国の騎士達は、まだ諦めずにスレイプニルの群れを追いかけるつもりなのか、馬に飛び乗っている。
「また、スレイプニルを囲い込むのだ!」
ちょっと、それに付き合うのは嫌だよ! 勘弁して欲しい。
「この馬鹿リーダー! このまま勝手な真似ばかりしていたら、群れも魔物の餌になるわよ! 良い加減、大人しくしなさい!」
ガツンと言い聞かせる! 聞かなかったら、魔物の餌になっても仕方ないのだ。
えええ、私の脅しが効いたの? それとも腹を立てたの?
8本脚のスレイプニルが、方向を変えて、こちらに向かって走ってくる。
「美しい!」オーディン王子は目を潤ませて、絶賛中だ。
確かに長い鬣はカールしてて、真っ黒な馬体は……汗びっしょりで黒光りしている。
「お馬鹿さん! このままじゃ、風邪を引くわよ! 群れのリーダーなら、他のスレイプニルも護りなさい!」
勇者の前で、ピタリと脚を止めて「ヒヒヒヒヒィン」と嘶く。
『私は誰にも捕まらない!』と宣言しているように聞こえる。
「私は、貴方なんか欲しくは無いわ! ただ、風邪を引いたら、魔物の餌になると心配する人がいるから言っているだけよ! 大人しくしなさい!」
「こんなに美しいスレイプニルを欲しくないだなんて……」
オーディン王子は、欲しく無いと言った私に、心底驚いたみたい。
そんな事をしているうちに、デーン王国の騎士達と後ろから追いかけていた第一騎士団達が追いついてきた。
「ペイシェンス様、捕まえられないなら、せめて綺麗にしてやって下さい!」
ゲイツ様が後ろから叫んでいる。
そうか、前に外出着のまま乗馬訓練に参加したサミュエルを綺麗にしようとして、馬もピカピカにしたことがあった。
「綺麗になれ!」
あああ、数十頭の汗だらけのスレイプニルを綺麗にするの、かなり魔力を吸い取られたよ。
「おお、ピカピカだ! 凄いですよ、ペイシェンス様!」
もう、汗は拭いたのだから、良いんじゃない?
少なくとも私は、もう一秒たりとも勇者に乗っていたくない。
「オーディン王子、勇者から降ろして下さい」
オーディン王子は、馬から飛び降りると、私を抱き下ろしてくれた。
二度と勇者には乗らないよ! 酔いかけて、しんどいから雪の上だろうと座り込む。
デーン王国の騎士達とローレンス王国の騎士達が、群れを縄で囲い込もうとしている。
えっ、私とオーディン王子は囲いの中じゃん!
群れのリーダーが勇者の前にいるから、群れが周りに集まっている。
「ペイシェンス様、大人しくさせないと蹴られますよ」
しまった! 勇者の上なら蹴られないかもしれないけど、無防備に雪の上に座っているのだ。
「蹴ったら承知しないわよ! 大人しくしなさい!」
スレイプニルは、大人しく立っている。
一番近くの8本脚のスレイプニルが私に近づく。
「蹴るつもりなの?」
ドキドキするけど、立ち上がる気にならない。
「ブルルルルルルル」
えっ、『乗せてやる』と聞こえたけど? いや、嫌だよ。
「ペイシェンス様、またテイムしたみたいですね!」
ゲイツ様、止めてよ! こんな凶暴そうなスレイプニルなんか……ええええ、私に擦り寄ってくるんだけど?
「ペイシェンス、そっとこの縄を首に掛けるのだ」
リチャード王子が私に輪になった縄を投げて渡す。
「このスレイプニルは、誰にも捕まらない! と宣言していましたよ。汗も拭いたから、逃がしてやっても良いのでは?」
全員が大きな溜息をつく。
年配なのに乗馬がうまいモーガン大使らしき人が「お願いだから、捕獲して下さい」と頼み込む。
「ペイシェンス様、リーダーが逃げたら、群れも走り出しますよ。多分、そのスレイプニルはペイシェンス様に飼って欲しいのです」
えっ、パーシバル! 私が戦馬でも嫌がっているの知っているくせに、そんな事を言うの?
「貴方は、自由に走っている方が似合っているよ!」
全員が「なんて事を言うのだ!」と声を出さずに叫んでいる気がする。圧がすごいから感じ取ったよ。
「ブルルルルルルル」
8本脚は、苦笑するように、私のマントのフードを噛んで、上に持ち上げる。
マントに引き上げられて、雪の上から立ち上がると、私の前に8本脚が跪いた。
「ブルルン!」
「乗れって言うの? 私は乗馬は苦手だし、鞍もないのに乗れないわ」
リチャード王子が我慢できないと頭を抱え込む。
「パーシバル、何とかしろ! お前がペイシェンスを8本脚に乗せるのだ!」
パーシバルは、自分の疾風号から飛び降りると、私の横まで、ゆっくりと慎重に歩いてきた。
「さぁ、ペイシェンス、乗りましょう。私も一緒ですから、大丈夫ですよ」
ええええ、嫌だけど……パーシバルは意地悪だよ。私がパーシバルの頼みを断らないの知っているんだもん!
「パーシバル様となら乗っても良いわ」
私が8本脚にそう言うと、チラリとパーシバルを見て溜息をついた。スレイプニルも溜息をつくんだね。
「ブルルン!」仕方ないって聞こえるから、パーシバルにそう伝える。
「では、ペイシェンス、乗って下さい。私も乗りますから!」
パーシバルに抱き上げられて、8本脚に座る。後ろに素早く、パーシバルが乗って、私を抱き支えてくれる。
「ブルルン!」と嘶くと、8本脚は立ち上がる。
私だけだったら、この時点で落ちているよ。
「ペイシェンス様、鬣を掴むと、安定します。基地キャンプに向かわせて下さい」
無茶言わないで、基地キャンプはどっちだかわからないよ。
「パーシー様? 私が方向音痴なの知っているでしょ?」
クスクスと笑うと「あちらに走らせて!」と指示する。
他の騎士達は残って群れのスレイプニルを捕獲するみたいだけど、大人しくなっているから大丈夫だよね。
オーディン王子は、私達の後ろをついてくる。勇者のお嫁さん探しは良いのかな?
この8本脚、私が乗馬が苦手なのがわかったのか、かなり気を使って走ってくれている。
それに、パーシバルなら安心して身を任せておけるからか、勇者に乗っていた時みたいに酔ったりしないで、基地キャンプに着いた。
イメージです! 8本脚ではありませんけどね。