土曜の朝
土曜の朝も、オルゴール体操から始まる。
秋の風が少し冷たくなってきているけど、魔素をたっぷりと吸い込んで丹田に溜める。
昨夜は、やはりなかなか寝付けなかったけど、体操をしてスッキリしたよ。
朝食の後は、ワイヤットに相談だ。
「家庭教師の面接をするのですが、その時に給金や条件も提示しなくてはいけないのでは?」
ワイヤットは、にっこりと笑った。
「その様な瑣末な事は私にお任せ下さい。お嬢様は、その家庭教師に弟君を託して良いのかだけを考えて下されば良いのです」
そうなんだね! まぁ、これまでの使用人の給金もワイヤット任せだったよ。
「それと、私は女男爵に叙されたの。それで、領地を貰えるみたいなの」
ワイヤットは、驚いた顔をして、祝福してくれた。
「それはおめでとうございます」
でも、その続きが無いんだけど?
「後は、モラン伯爵家とご相談した方が宜しいですよ」
えええっ、もう知っているの? 書斎にはワイヤットはいなかったけど?
やはり曲者だよ!
「カミュ夫人は、住み込みが希望みたいなのですが、どの部屋にするべきなのかしら?」
ワイヤットは、それは雇用してから考えたら良いと笑う。
「お嬢様、その様な事よりも、ご自分の事を考えなくてはいけませんよ!」
確かにね! 今日は、やる事が一杯なんだ!
「温室の上級薬草を見に行かなくては!」
ワイヤットが変な顔をしている。
「そうではありません! パーシバル様が求婚に来られるのでしょう? そして、モラン伯爵家に挨拶に行かれるのですから……」
ワイヤットの忠告は、メアリーが私を引き摺る様に部屋に連れ去ったので、途中までしか聞こえなかった。
「ああ、この緑のドレスしかありませんわ」
ペイシェンスはあまり服は持っていないからね。秋に作った緑のドレスで良いんじゃない?
「この生地は9月なら良いけど、もう10月ですから本当は相応しく無いのです」
メアリーは悲しそうだけど、駄目なの?
「お嬢様の大切な日なのに! これからは早めにドレスを作っておかなくてはいけませんわ」
メアリーの嘆きは兎も角、これから家庭教師の面接なのに、髪の毛をあれこれセットしているのは困る。
「メアリー、パーシバル様が来られるのは午後からよ」
ああ、今のメアリーに逆らうのはまずいかも?
「まだ社交界デビューされていないから、全部の髪をアップするのは相応しく無いけど、婚約されるのだからハーフアップでは子供っぽいですわ」
微妙な年頃なんだよね!
「マーガレット王女様は片流しにされているわ」
メアリーが片流しにセットしたけど、何か変だ。
「違う感じだわ」
メアリーも首を傾げている。まだ子供っぽい顔なのに、髪型だけ大人の真似をしている感じだ。
「ええ、違う髪型を試してみましょう!」
あっ、あれなら良いかも?
「髪の毛を一旦はアップして、そこから二つに分けて下ろして巻き髪にするの」
リュミエラ王女に時々する髪型だ。二流し?
「やってみますね!」
今回のは、まぁまぁ似合っているけど、何処か変だ。
「メアリー、ハーフアップで良いわ」
メアリーとしては不満だろうけど、12歳には相応しい髪型だよ!
「アクセサリーもまだ買っていませんし……」
泣きそうなメアリーを宥めるのに苦労した。
「それは、社交界デビューの時に購入しましょう。それと、ドレスも作りましょう!」
やっとメアリーを宥めて、普段のハーフアップに編み込みを加えた髪型にして、温室へ行く。
「まぁ、ナシウス! 頑張って浄水をあげてくれたのね! これならもう採れるわ」
ヘンリーも手伝って、全ての上級薬草を採る。
そして、肥料を漉き込んで、畝を作り、また上級薬草の種を撒いておく。
「ナシウス、植物の成長を促す魔法を掛けてみますか?」
ナシウスの灰色の目が輝く!
「はい! 教えて下さい!」
ああ、ヘンリーも教えて欲しいみたいだけど、できるかな?
「では、ナシウスと一筋目の畝に成長させる魔法を掛けるから、ヘンリーはよく見ておいてね」
畝は10本以上あるから、何回も練習できる。
「ナシウス、初めは一緒に掛けましょう」
ナシウスは私より背が高くなっているから、少し遣り難いけど、手を添えて一緒に唱える。
「この畝に撒いた上級薬草の種よ、芽を出せ!」
私にしては、とっても長い詠唱だよ。ナシウスも後に続いて唱えている。
「ああ! 芽がでました!」
ヘンリーが飛び上がって喜んでいる。
「お姉様、今度は一人でやってみます」
ナシウスが真剣に「この畝の上級薬草の種、芽を出せ!」と唱えると、芽が出たよ。
「ナシウス、凄いわ!」
ヘンリーの「私もしたいです」という声に応えたい。
「一緒にしましょう!」
ヘンリーはまだ私より背が低いから、後ろから抱え込んで「この畝の上級薬草の種、芽を出せ!」と一緒に唱える。
「芽が出ました……でも、私だけでは無理かも」
ヘンリーは、私の魔力だけで芽が出たのがわかったんだ。
「ヘンリー、一緒に練習しよう! お姉様は上級回復薬を作られるのですから」
ああ、ナシウスは賢くて優しいよ。
マシューとルーツに上級薬草を工房の横の倉庫に運んでもらう。
メアリーが手伝って上級薬草を洗い、浄化してから鍋を釜に掛ける。
「上級回復薬になれ!」
時短するよ! これから家庭教師の面接だからね。
「メアリー、漉してから、瓶に入れておいてね」
40本ほどはできたんじゃないかな?
温室で土をいじったから「綺麗になれ!」と掛けてから、台所でカカオ豆を滑らかにする。
「後は、エバに任せるわ」
後は、家庭教師のカミュ夫人が面接に来るのを待つだけだ。
空いた時間に、陛下の守護魔法陣を刺繍しちゃおう。
「パーシバル様のマントに刺繍をしたいけど、巨大毒蜘蛛の糸は、魔法省が買い占めているわよね」
上級薬草も値段が高騰しているし、巨大毒蜘蛛の糸も同じかも? 需要と供給で値段は決まるから仕方ないんだけどね。
「他に魔法を通す糸が有れば良いのだけど……」
色々と探した結果、巨大毒蜘蛛の糸に辿り着いたけど、他にも無いか探してみよう。
刺繍はほぼ完成した。後は魔石を入れるロケット部分を付けるだけだ。このくらいなら、夜にでもできる。
そろそろ10時だ。面接の予定時間だ。こちらが緊張していたら、相手も緊張するだろうから、深呼吸しておこう。
「お父様も面接して下さるでしょう?」
書斎に引き籠っている父親を引っ張り出す。
もしかして、私に任せる気だったの? 苦手な姉の紹介だから?
応接室で待っていたら、ワイヤットがカミュ夫人を連れてきた。
喪服の黒い絹のドレスを着たカミュ夫人は、リリアナ伯母様より少し年上に見えた。
茶色の髪には白髪が少し混じっているし、悲しげな茶色の目が、年齢より上に見せているのかもしれない。
「どうぞ、こちらにお座り下さい」
父親も、面接に来た未亡人に無礼な真似はしない。
「これは、ノースコート伯爵夫人に書いて頂いた紹介状です。短い間ですが、御嫡男のサミュエル様の家庭教師をしました」
それは、あまり上手くいかなかったんじゃないかな? カミュ夫人は、とてもお淑やかそうだもの。
「姉と知り合いだと聞きました。ヘンリーの家庭教師をお願いしたいのですが、新年まではナシウスの勉強も見て欲しいのです」
ナシウスは、新年からは王立学園に行くから、短い間だね。
「ヘンリーは騎士になりたいと言っています。元気な子ですが、大丈夫ですか?」
聞き分けは良い子だけど、ナシウスも時々叱っている。
父親もお淑やかそうなカミュ夫人が、ヘンリーをちゃんと導けるのか不安みたい。
「それは大丈夫です。私の息子達も騎士志望が二人いますから」
なら、慣れているかもね? 会った印象は、悪くない。ただ、問題は剣術や馬術は教えられない事だ。
「あのう、ヘンリーは今はサティスフォード子爵家から馬術教師を派遣して貰っているのですが、従姪のアンジェラが入学したら、派遣されなくなると思います。乗馬や剣術は教えるのは無理ですよね」
少し微笑んだカミュ夫人は、乗馬は教えられると言う。
「私とリリアナ様は乗馬クラブのお友達です。少し乗馬とは距離を置いていましたが、基本ぐらいなら教えられます。剣術は無理ですが、息子達に頼めば教えてくれるでしょう」
そうか、リリアナ伯母様と乗馬クラブで友達になったんだね。
「貴女を、家庭教師として雇いたいと思います」
父親も、姉のリリアナの友達と聞いて、気の強い貴婦人を想像して腰が引けていたが、お淑やかなのに芯が強そうなカミュ夫人なら大丈夫だと思ったみたい。
まぁ、これでナシウスが入学しても、ヘンリーの勉強はみてくれる人がいるから安心だね。
「あのう、こちらに住み込みでよろしいでしょうか?」
父親は、その方がヘンリーにとって良いだろうと頷いた。
「ナシウスとヘンリーを紹介しましょう」
メアリーが2人を連れてきた。
「初めまして、これから家庭教師になるコーデリア・カミュです。一緒に勉強しましょうね」
ナシウスが先ず挨拶をする。
「ナシウス・グレンジャーです。1月から王立学園に通います」
ヘンリーは、少し恥ずかしがっているけど、ナシウスに背中を押されて、挨拶する。
「ヘンリー・グレンジャーです。あのう、なんとお呼びしたら良いのですか?」
あっ、そう言えば家庭教師は初めてかも?
「私の事はカミュ先生と呼んで下さい」
ニコッと笑って「はい、カミュ先生!」とヘンリーが返事している。
「ナシウスとヘンリーをお願いします」
姉の私が頭を下げると、少し驚いた顔をして、カミュ先生は「はい」と引き受けてくれた。
少しだけ寂しいけど、ヘンリーの為には家庭教師が必要だ。