王妃様の懸念
放課後、ミハイルが走ってやってきたので、錬金術クラブの部則を改定したよ。全員が賛成して、機械の設計図を描いたクラブメンバーに2割、特許料が行くようになった。
「私は、マーガレット王女と王宮に行かなくてはいけませんわ。ご機嫌よう」
折角、ミハイルがいるのに! ミシンを早く作りたいよ! 後ろ髪を引かれるけど、寮に急ぐ。
「屋敷に持って帰る物は……まぁ、良いか!」
洗濯物は生活魔法で済ませているし、まだ授業は始まっていない。それに、週末はチョコレートを作るし、フィリップスとアーサーの屋敷に行く。後は、弟達と過ごしたい! 勉強道具は置いておこう。
マーガレット王女の特別室に行くと、ゾフィーが荷物を纏めていた。
「ペイシェンス、お母様に叱られるかも? リュミエラ王女にコーラスクラブを勧めるようにと言われていたのよ。でも、あんな失礼な態度の部長が悪いのよね!」
まぁ、あれは無礼だったね。私もコーラスクラブには入りたくないよ。
「説明されれば、王妃様も理解して下さると思いますわ」
深い溜息を吐いて、マーガレット王女はソファーから立ち上がる。
「それだけでは済みそうにないわ……」
ああ、パリス王子と仲良くなっている自覚はあるんだね。足取りの重いマーガレット王女、私も逃げ出したいよ。
王宮の後ろに、生活する離宮が建っている。シャーロット女官が出迎えてくれた。
「お母様、帰りましたわ」
マーガレット王女は、挨拶して椅子に座る。私は頭を下げたまま、声が掛かるのを待つ。
「ペイシェンス、リュミエラ王女の世話もしてくれているみたいですね。感謝していますよ。さぁ、座りなさい」
マーガレット王女の横に座るけど、何を言われるのかドキドキしてきた。
「マーガレットもリュミエラ王女の面倒をよく見ているみたいですね。コルドバ王国の大使夫人からお礼を言われました」
私は、寮の下女に払うチップが惜しいから、家族と手紙のやり取りはしていないけど、マーガレット王女やリュミエラ王女は下女ではなく女官か侍女が届けているのだろう。
「ええ、リュミエラ様はとても賢くて良い人ですわ」
それは、王妃様も同感なのか微笑んで頷く。
「コーラスクラブではなく、グリークラブに入られたのですね」
ああ、やはりそれか!
「コーラスクラブにも案内しましたけど、部長があまりに無礼な態度なので、入らなかったのです」
王妃様の微笑みが深くなる。怖い!
「貴女がコルドバ王国のリュミエラ王女を案内しているのに、そのような真似を? 王族を軽く思う貴族が多いのかしら? それとも、軽く扱われる方に問題があるのかしら?」
わぁ、ブリザードが吹き荒れているよ。大人しくしておこう! 一番やばそうなパリス王子と親しくしている問題の前に凍死しそう。
「ああ、困ります!」シャーロット女官が珍しく大きな声を出している。
「何事ですか?」
わっ、王妃様の視線だけで凍りそうだよ。
「こちらには王妃様がいらっしゃいます。許可なくお通しできません!」
あっ、この気配は!
「だから、王妃様に許可を得て欲しいと言っているのだ」
あああ、ゲイツ様だ! 拙いよ! 王妃様のご機嫌が悪いのに!
「ああ、ゲイツ様ですのね。仕方ないですわ。シャーロット、お通ししなさい」
扉が開いて、ゲイツ様が王妃様のサロンにやってきた。
「王妃様、許可を下さり、ありがとうございます。私の弟子が王宮にいる気配がしたので、会いたくなって来たのです。ペイシェンス様、いつになったら防衛魔法の練習に来るのですか?」
穴があったら入りたい。
「今週は、まだテスト期間ですから、スケジュールが決まらなくて……」
機嫌の悪い王妃様のサロンに乱入するだなんて、ゲイツ様も飛んで火に入る夏の虫だよ!
「ゲイツ様、そこにお座りなさい」
あっ、ゲイツ様もやっと王妃様のご機嫌が良くないのに気づいたみたい。
「いや、ペイシェンス様に質問したかっただけですから……」
珍しく歯切れの悪いゲイツ様を見たよ!
「いえ、少しゲイツ様には、マーガレットの王族としての威厳について教えていただきたいのです」
わぁお! 笑顔だけど、拒否は許さないとの気迫が篭っているよ。
「王妃様なら教えられると思いますが……。まぁ、ペイシェンス様も軽く見られているようですから、一緒に教えましょう」
ゲイツ様が私の横の椅子に座った。そして、マーガレット王女をマジマジと見ている。
「なる程ね! マーガレット王女は、美人だし、気も強そうだけど、基本は優しい方ですね。王族としての厳しさが足りていないのかもしれません」
あっ、意外と当たっているよ!
「どうしたら良いのでしょう? 私は、優しいところは無くしたくないのです。マーガレットの優れた点だと思っていますから」
ゲイツ様は、少し考えて口を開く。
「何を守るか、誰に優しくするのか、それを選択しなくてはいけません。これはペイシェンス様にも言えます。誰にも彼にも優しくしていたら、甘く見られます。毅然とした態度で拒否しなくてはいけない場面もあります」
曖昧な微笑みが得意な元日本人には難しいよ。でも、ペイシェンスは淑やかで優しかったけど、芯は通っていた。私より、ずっと強い精神力を持っているかも?
「私は……そうですわね! 音楽クラブとコーラスクラブの揉め事を引きずっていたのかもしれませんわ。だから、コーラスクラブの部長もあんな無礼な態度を取ったのね」
マーガレット王女の反省を、ゲイツ様が笑う。
「まだまだですね! そんな無礼な態度をとった部長とやらを弁護しなくても良いのです。二度と無礼な真似など許さない! 一生、私の目の前に現れるな! ぐらいの気概を持てば、相手にも伝わりますよ」
ひぇぇ、それは怖いよ! なんて首を竦めていたのがゲイツ様の目に止まって溜息を吐かれた。
「ペイシェンス様は、もっともっと修行が必要ですね。甘いと言うか、優しいと言うか、そんな態度だとパリス王子かオーディン王子に攫われますよ! だから、早く防衛魔法を習得しなくてはいけないのです」
マーガレット王女がパリス王子の名前にピクンと反応したのを、王妃様も気づいたみたい。
「マーガレット、前にも話しましたが、パリス王子はリュミエラ王女の付き添いという名目で王立学園に留学されましたが、本当の目的は明かされていません。つまり要注意なのです。貴女との縁談の為なのか、カレン王女とキースの縁談の打診の為なのか、それともローレンス王国の魔法術や錬金術が目当てなのか分からないのです」
わぁ、ややこしい王子だね!
「まさか、ペイシェンスを連れ去るとかはありませんよね?」
マーガレット王女が驚いている。
「何故、パーシバルが寮に入ったか、少しも考えていないのですね。それではコーラスクラブの部長に舐められても仕方ありませんわ」
パチン! と扇を閉じた音がサロンに響いた。
「そんなぁ、パリス王子は、私との縁談か、カレン王女とキースの縁談の可能性を直接調べる為に留学されたのだと思っていましたわ」
それも留学の理由だと思うよ!
「ええ、でも彼は自分の立場をシャルル陛下より強固にする為には、何でもする覚悟を決めているでしょう。そうしないと母親と妹の命の安全は確保できませんからね。貴女との縁談、カレン王女とキースとの縁談も、彼にとっては手段に過ぎません。そして、有能な人材が目の前にいたら、確保したいと考えるはずです」
ゲイツ様が「その通りです!」と合いの手を入れている。勇気あるというか、何も感じないのかな?
「ペイシェンス様は、ぼんやりしているから、目が覚めたらソニア王国だったって事もあり得ます。それかデーン王国かもしれませんよ」
まさか! そんなのあり得ないでしょう?
「ほら、そんなに呑気だから心配なのです。彼はクレメンス聖皇の甥ですよ。血は青いのです。気をつけなさい」
血が青いって、正真正銘の貴族ってことだよね。確か、エステナ聖皇国の聖皇は、エステナ神とカザリア帝国の皇帝の血を引いていると自称しているけど、眉唾だよ! エステナ神は独身だったんじゃないの?
「私はどうすれば良いのかしら?」
不安そうなマーガレット王女。気の毒だ。
「マーガレット王女は、パリス王子を見極められたら良いと思います。そして、自分にとって有益か? ローレンス王国にとってはどうなのか? 自分で考えられたらどうでしょう。政略結婚だからと、何も考えずに流されるままでは幸せは掴めませんよ」
えええ、ゲイツ様が真っ当なことを言っているよ! びっくり!
「まぁ、ゲイツ様! マーガレットが恋に恋したら困りますわ。でも、自分の立場と相手の立場を考えるのは良いと思います。そして、貴女の側仕えのペイシェンスを守れないようなら、リュミエラ王女の側仕えに譲ってしまいなさい。コルドバ王国の大使夫人が物欲しそうに褒めちぎっていましたからね」
マーガレット王女が反射的に「嫌です!」と叫んだ。私もリュミエラ王女は良い人だと思うけど、マーガレット王女の側仕えを辞めようとは思わない。
「ふふふ、マーガレットも少しは成長したみたいね。後は、少し冷静な目でパリス王子を観察してみなさい。そして、リュミエラ王女が従兄弟のパリス王子と親しそうにしても一線引いている意味を理解しないといけませんよ」
そういえば、リュミエラ王女はパリス王子がマーガレット王女をエスコートしても腹を立てたりしないで、平静な態度を保っていた。まぁ、リチャード王子の婚約者だからかな? と思っていたけど、ソニア王国とコルドバ王国の違いを考えて行動されていたのかも?
「私は、パリス王子の外見と優雅な態度だけ見ていたのね。それに音楽の才能もあるし……まぁ、学友を選んだ時と同じ失敗をするところだったのだわ!」
目から鱗が落ちたみたいだ。まぁ、パリス王子はあの三人みたいな馬鹿じゃなさそうだけどね。
「まぁ、彼の事は私も気をつけておきます。それよりペイシェンス様、チョコレートはまだでしょうか? この前、バーンズ公爵家から届いた茶色い塊は食べられる代物ではありませんでした! 次の授業までに是非!」
ああ、途中まではまともだったのに!
「もしかして、ペイシェンスが話していた新しいスイーツの事かしら?」
落ち込んでいたマーガレット王女も浮上したよ。
パチン! と王妃様の扇が音を立てて閉じられた。
「ゲイツ様、子供じみた真似はおよしになって下さい。兄も心配していますわ」
ゲイツ様が酸っぱい物を飲んだような顔になった。
「父は、私が何をしても心配なのでしょう。心配するのと説教するのが趣味なのです。叔母様にもペイシェンス様のチョコレートを差し入れしますよ。だから、父には口出し無用だと言ってください」
えええ、王妃様がゲイツ様の叔母様? ええっと王妃様の実家の名前はゲイツじゃなかったよね? ベネッセ侯爵家だった筈。
「ああ、私はベネッセ侯爵家に産まれたけど、先代の王宮魔法師の祖父の養子になったのだ。相変わらず、ペイシェンス様の考えは私には手に取るようにわかる。これも修行しないといけませんね」
ゲイツ様と木曜の午後の防衛魔法の授業の約束をして、私は屋敷に帰ったけど、王妃様とゲイツ様の容姿が意外と似ているのに気づいて驚いていた。
『えええ、もしかしてゲイツ様は、リチャード王子やマーガレット王女やキース王子やジェーン王女やマーカス王子と従兄弟なの!』
馬車の中で叫び声をあげるところだったよ! だから、王妃様のサロンにも乱入したのだろうか? いや、あれは地だね! 王妃様も、とんでもない甥がいるんだね。そりゃ心配事が絶えない筈だよ。




