ノースコートの港で
私達が管理事務所にいた間、弟達は従僕達に港を案内してもらっていた。
「お姉様、大きな船が泊まっていますよ」
ヘンリーは初めて見た船に興奮している。可愛いな。
「帆船なのですね……」
まぁ、当たり前だよね。
「カザリア帝国の遺跡には魔道船の絵図があるが、実際に使われていたかは疑問視されている」
えっ、ノースコート伯爵の言葉に驚いたよ。
「魔道船の絵図ですか! 遺跡では見ませんでした」
この前、カザリア帝国の遺跡には行ったけど、スケッチばかりしていたからね。
「ペイシェンスは見なかったのか? 崩れた建物の内部の壁画が少し残っているのだ。父上、あれは魔道船なのですか? なんだか不恰好な箱に見えましたが」
サミュエル達はチャールズ様とあちこち見学していたからね。
「さぁ、そう言われているだけだが……」
「もう一度、遺跡に行ってみたいですわ。私は見ていませんの」
魔道船かぁ、夢が広がるよね。推進力は魔石なのかな? 大きな魔石が必要かも。
「ペイシェンスは錬金術に興味があると聞いたが、魔道船は実現可能なのか?」
うーん、どうだろう? 推進力は何とかなりそうだけど、船を動かすほどあるかな?
「私は未だクラブに入ったばかりですし、肝心の魔法陣が教科書に載っている物しか描けないのです。秋学期は魔法陣を重点的に勉強したいです」
ノースコート伯爵に変な顔をされたよ。
「確かペイシェンスは文官コースだと聞いたが……」
その通りなんだけど、今は錬金術にハマっているんだよ。
「父上、船に乗ることはできませんか?」
サミュエルが代表して言ったけど、弟達の目もキラキラしている。
「ああ、乗るだけなら出来るだろう」
船長に言うと、そりゃ港を治める伯爵の希望を断ったりしないよね。
「停泊しているだけですが、それで良ければどうぞお乗りください」って事になった。やったね! 帆船に乗るの初めてなんだ。港に泊まっているのを見た事はあるけどね。
小さなボートに乗って湾内に停泊している帆船に近づく。ええっと、私のイメージとは違う。港に着岸していないのは見て分かっていたけど、これってボートからあの甲板まで縄梯子を登らなきゃいけないんだね。要改善だよ!
「ペイシェンス、大丈夫か?」
伯爵に心配されたけど、頑張ろう!
「お嬢様、やめておいた方が良いのでは?」
何故かメアリーもボートに乗っているんだよね。
「メアリーはここに残っていても良いわよ」と言っても「いいえ」と聞かない。
「ペイシェンス、縄梯子を押さえておくから登りなさい」
ボートを漕いでいる人に下から眺められるのはちょっと遠慮したいから、伯父様に支えてもらって登ったよ。メアリーも次に登る。後は皆んな順々に登ってきた。
「わぁ、マストが一杯だ!」
今は停泊中だから、帆は張っていない。でもヘンリーは大喜びだ。
船長にマストの名前や舵の取り方などを教えて貰う。
「ヨーソーロー!」「アイアイサー!」なんてサミュエルとナシウスまではしゃいでいる。
船の舳先には海の女神の像が付いている。ローレンス王国やソニア王国やコルドバ王国やデーン王国、そしてエステナ聖皇国は、一神教のエステナ教だ。でも、カザリア帝国時代の多神教の女神や神様の伝説も残っている。
あれっ? あれって銛だよね。私が不思議そうに見ているのに船長が気づいた。
「海にも魔物が出る時もあるんでさぁ」
あの銛、前世の捕鯨船の銛みたいに見えるよ。って事は魔物も大きそうだ。
「まぁ、陸に沿って航行する時は、そんなに遭遇したりはしやせん。南の大陸に行く時は要注意でさぁ」
そうか、南の大陸にはなかなか行けそうにないね。
船長に乗せてもらったお礼を言って船を降りる。伯父様はスマートにお金を渡していたよ。降りる時も縄梯子だ。船旅は大変そうだね。ちゃんとした港湾設備があると良いなぁ。
「ペイシェンス、他は何を見学したいのだ? なかなか屋敷の外に出る機会など無いのだろう」
ノースコート伯爵はなかなか分かっているね。そうなんだよ。令嬢は籠の鳥なんだ。
「私は弟達にも買い物の機会を与えたいと思っています。お金の価値を知りませんから」
勿論、私もだけどね! ペイシェンス変換すると「買い物に行きたい!」も高尚になるね。
「そうだな。サミュエルもお金の価値を知っても良い年頃だ」
サミュエルも伯爵家のお坊ちゃまだからね。やったね! お買い物だ! メアリーが渋い顔をしているけど、伯爵には逆らえない。
馬車に乗って町の一番賑やかそうな所で降りる。そりゃ、王都ロマノとは違うけど、色々なお店が開いている。弟達は興味津々だ。
「私は染料の種を買いたいのです」
ノースコート伯爵は流石に治めているだけあって詳しい。
「あちらの雑貨屋に有ると思うが、それはもしかしてサティスフォード子爵夫人が持ってきた生地を染める為の物なのか? それなら、私が買おう」
ええっと、そんなの困るよ。遊びで染めて見たいんだもの。
「いえ、興味があるから、数枚を染めてみるだけです。伯父様に買って貰う程の事ではありませんわ」
失敗するかもしれないから、大袈裟にしたく無いんだよ。それに初買い物? バーンズ商会で買った時はメアリーがワイヤットからお金を貰って支払ったからノーカウントにするならね。
「父上、ナシウスとヘンリーは魔石を買いたいと言っていますが、何処で買えば良いのでしょう?」
ナイスタイミングでサミュエルが質問した。魔石、そうだよね。魔法灯を使うには魔石が必要だもん。
「それは、彼方の店で……ついておいで」
伯爵がサミュエルと弟達を引率して魔石を売っている店に行ったので、私はメアリーと雑貨屋へ行く。
弟達の初買い物も見たいけど、私も初買い物だ! 雑貨屋の中には鍋から布、そして農具まであった。私はあれこれ見て回りたいのにメアリーはこのような店は令嬢に相応しく無いと思っているみたい。早くと言わんばかりに袖を引く。
もっと見ていたいけど、メアリーが私の代わりに注文をしてしまいそうだ。奥に座っていた店主らしい中年のおばさんが、私達に気づき驚いて立ち上がる。
「茜草と藍と紫キャベツの種はありませんか?」
高い染料は使いたくない。ケチで言っているんじゃないよ。木綿の生地を買うのは庶民だし、南の大陸からの生地を加工するなら安くしなくては売れない。まぁ、失敗しても安い方が痛みが少ないのもあるのは認める。
「お嬢様、染料なら扱っていますが、種はあるか分かりません。アンナ、倉庫を探してきな!」
店主の後ろにいた女の子はピュンと飛んでいった。種が無いなら、染料を買っても良いと思っていたけど、アンナは言った以外の色々な種も倉庫から持ってきた。賢い子だね。
「では、茜草、藍、赤紫蘇、紫キャベツ、野葡萄の種を少しずつ頂きますわ」
そんなに量は要らないと思うけど、親子は張り切って種を紙の小袋に入れている。
「少しずつでよろしいのよ」と言うが、耳に入っていないのかな?
「だから、お嬢様が自ら買い物に来られるのに反対したのですよ」
メアリーに小声で注意された。私の今日着ている服は少しマシな普段着にすぎない。去年、夏の離宮に着て行った昔のドレスだ。多分ラシーヌのお古を新品にしてリフォームした青いワンピース。それを今年は背が伸びたので、サイズをなおした物だ。
今年、シャーロッテ伯母様から貰った絹の生地で縫った新品の余所行きのドレスとは違う。
でも、アンナの服を見て少しショックを受けた。雑貨屋の娘なのだから、生地とかは手に入りやすい環境だと思うのだけど、明らかにサイズが合っていない灰色の古着だ。
そうか、売っている布も灰色や黒色や茶色だ。私のワンピースのような鮮やかな青色は庶民は着ないのだ。私は庶民の生活も知らない。
私が考えていたよりも多くの種を小袋に入れてくれた。
「幾らになりますか?」今更、こんなに要らないとは言えない雰囲気だ。
「50チームになります」
困った! 10ローム金貨しか持っていない。お釣りがあるかな?
「はい、10チーム銅貨5枚です」
とても10ローム金貨ではお釣りが無さそうだと困っていたら、メアリーが支払ってくれた。
「ありがとうございます」
50チームの買い物なのに、親子で頭を下げて見送ってくれた。
店を出てから私はメアリーに10ローム金貨を渡した。
「これからはメアリーに買い物を頼むわ」
どうも貴族の令嬢が買い物に来ると、店にも迷惑を掛ける様だ。王都ロマノなら違うかもしれないけどね。そう、まだ諦めてはいない。でも、ノースコートではやめておこうと思った。反省!