07 国王陛下じゃない人
「どこに行くの?」
機嫌良さそうにニコニコ笑っている、黒い髪を黒いリボンで纏めて、藍色の瞳、冷たく整った顔立ち。知っている顔だ。でもまさか。ここにいるはずのない人。
「どちら様でしょう」
「なに、この顔、見忘れたの?」
「お顔には見覚えがありますが、あなたに心当たりがございません」
「へーえ」
ニコニコ笑いがすっと冷たく変わった。
国王陛下によく似ているけれど。というかこんな冷たい表情だと、国王陛下そのもののような気がするけど、やっぱり違う。
いやな感じがする。
背中がひやっとするような。
「そうだね。ぼくはキースじゃない」
キース。
そういえば国王陛下のお名前はキース・ウェルド・ナイトヘルム、だったかしら。お呼びする機会がないからうろ覚え……なんて言うとまたご令嬢方に非常識とか嫌味を言われてしまうわ。
「ぼくはアーシェル。この名前を覚えている? きみに滅ぼされた光ノ国のことは?」
は?
わたしが光ノ国を滅ぼした?
ぽかんと口をあけてしまったわたしに、アーシェルと名乗る国王陛下のそっくりさんは、またにまにまと変な笑い方で掴んだままだったわたしの腕を軽く引く。顔が近づく。顔形は本当に国王陛下そのものなのに、何かが違う。そう、魂の色のような。
「どうなの?」
少し苛立ちの色を含んだ声に首を振った。顔は笑っているのに気配がまるで笑っていない。
魔獣に殺された記憶はあるけど誰にも言ったことはない。まして光ノ国を滅ぼしたなんて濡れ衣もいいところ。
「光ノ国は、滅びたんですか」
「さあね」
何なの。どっちなの。
掴まれた腕が冷たいし、嫌な汗が滲んでくる。
わたしはこの人と関わってはいけない。
何か、誰かが警告している。
アーシェルはつと視線を動かすと、掴んだ腕の先にある指輪に目を留めた。
「面白い指輪してるじゃない」
また指輪だ。そんなに目立つのかしら。だったらやっぱり外せないのはまずい気がする。
令嬢方が魔法使いを呼んでくれるのを待つしかないのかしら。あの人たちは好意でこの指輪を外してくれるつもりじゃないんだろうけど。わたしとしては、外せるならなんでもいい。
たとえ令嬢方が外した指輪を持って、わたしの不貞を国王陛下に訴えたとしても、それはそれで仕方ない。
というか何なのこの指輪。
「外してあげようか?」
わたしの心を読んだみたいにアーシェルが言った。やだ気持ち悪い。いくら外してもらえても、この人には借りを作りたくない。まだ令嬢方のほうがマシだわ。
「指ごと切り落とされるような気がするので、結構です」
「あはは、そんなことしないよ」
楽しくなさそうなのに、アーシェルはニヤニヤ笑っている。
「ぼくを信じて?」
至近距離にあった藍色の瞳が切なそうに眇められた。
なんだろう。見たことがある、気がする。わたしはこの人を、知っている。
する、とアーシェルの手がつかまえたわたしの手首を滑って、指輪に触れた瞬間。
びくっと身体を震わせて、熱いものにでも触ったようにアーシェルが飛び退いた。
「……キース」
アーシェルは噛み締めた唇の間から、呪いの言葉みたいに国王陛下の名前を漏らして、それから。
……消えた。
何だったの今の。魔法にしては魔力の気配がなかった。消えるってことは転移したってことだと思うけど、かなり膨大な魔力を使う。そんな魔法を使えるのは極限られた高位の魔法使いだけ。それこそ、国王陛下とか。
まあいいわ。
今のことは書棚の陰で誰にも気づかれていなかったらしいので、わたしは今度こそテラス席へ奨学生を探しに向かった。