炎海蛇
これは、とある人から聞いた物語。
その語り部と内容に関する、記録の一篇。
あなたも共にこの場へ居合わせて、耳を傾けているかのように読んでくださったら、幸いである。
おう、つぶらや。聞いているよな? 今年はゴールデンウィークの帰省も、自粛するようにしてほしい、と。
お前、しょっちゅう里帰りしていた気がするが、さすがに今回は控える気か?
――ん? 俺はどうするか?
うーん、お前よりも遠いところにあるしな。さすがに今年は断念する予定だ。
学生の間はちょいちょい戻っていたけど、社会人になるとどうしても時間がな……。それに今の状態より、もっと「きっかい」なことが昔は起こっていたからちょいとだけ心配していた。もう大丈夫だと思うんだが。
――そのきっかいなことっていうのはなにか、だって?
ああ、お前はそういうのに興味あるって話してたっけか。
そんじゃ、ちょいと前の話になるが、聞いてみるか?
俺が離島の出身だってことは、知っているよな?
人口およそ数千人。ちょっとした市のひとつやふたつくらいなら、入るくらいの大きさの島だ。
人の集まりは東西の海岸に偏っていて、中央部分は裾野の広い山と森によって占められている。ここを真っすぐ突っ切れば、かなりの近道になるんだが、滅多なことでは森林地帯に入ることは許可されない。
道路も海岸にほど近い場所に設置してあって、東西への行き来にはだいぶ遠回りを強いられる。
なぜこんな不便な作りをしているかというと、この島には断続的に「炎海蛇」が現れるからなんだ。
さすがのつぶらやも、この名前は初めて聞いたか? 言葉面からして、どんなモンスターなのかとも思うが、俺たちの島じゃ自然現象のひとつとして名付けられた。
炎海蛇が訪れる日は、北の空が縦に真っ二つに割れる。天から海へ向かって、ひとすじの黄色い光の裂け目が入ってさ。じっと見ていると吸い込まれそうになっちまう。
それを見ると、すぐさま道路には通行の規制がかけられる。
かかる場所は北と南に二点。地図上ではほぼ直線状に位置する橋たちで、その下には森を切り裂くように横たわる、深い谷川があるんだ。そこが何キロにも渡って、東西から封鎖されてしまう。
やがてその日のうちに、炎海蛇がやってくる。
建物の上とかの高所にいると、例の光に裂け目が照らす海の上を、まるでぴんと張った綱のように、炎が真っすぐ島へ駆け寄ってくるんだ。
初めて見る人は、特撮か何かのように思うだろう。タンカーが爆発して海の上にばら撒かれた油に火がついて、たちまち燃え盛るワンシーンをほうふつとさせる。
だが炎海蛇はいたずらに暴れない。図ったかのように、封鎖された橋の上と谷川を通り抜け、南の海へと抜けていくんだ。
尾を引く炎は、しばし橋と谷の上で壁のように燃え盛る。数キロ離れた場所でも、熱を感じるほどの強さで、古来、この炎をめぐる事故と犠牲者のことは知られていた。
ときに、この島の何よりも高く吹きあがる炎の前では、水をかけることなど思いもよらない。
幸いなことに、炎は30分から1時間ほどでおのずから止む。それから更に1時間も経てば、道路に残る熱もすっかり引いて、行き来ができるようになるんだ。
先人たちの経験によって、どこまでが安全かが伝わっているしな。遠くから見るぶんには、ちょっとしたアトラクションのようなものさ。
――ん? そんなド派手なものだったら、観光名所として有名にならないかって?
いや、俺たち島民にとっては、わずかなりとも経済を滞らせる「災害」に違いないのよ。そいつをいたずらに広めたくないっていうのもある。
おおっと。あらかじめ言っておくが、これから島へ取材に来たとしても炎海蛇は見られないと思うぜ? 俺も生涯に3度しか見たことないが、その3度目の印象が強くてな。
その3回目の話をしてやるよ。
俺、地元の歴史をかじろうと思った時期があってな。件の炎海蛇についても、過去の記録を探ってみた。
東西それぞれの図書館に残る記録によると、嘘か誠か。かつては、ひとつの炎海蛇から次の炎海蛇までの間隔は、300年近かったらしい。その間隔は蛇が訪れるたびに狭まっており、
近年では3年に一回程度にまでなっているとか。
すでにオリンピックよりも頻繁に、蛇は訪れるようになっているわけだ。自分で過ごしておいてなんだが、こんなへんぴな島のどこが楽しくて、ヤツはやってくるのだろう?
そして一回ごとに、蛇は来る方向を変える。北から来た次の回は南から。そしてその次は北から。去っていった方向からやって来るのは、ごく自然なことだが、俺はその習性に妙な律義さを覚えたね。
最後に蛇を見たのは去年のこと。次に来るのは2年後か、いや縮まっているのなら1年後かなと、俺はのんきに身構えていたんだ。
翌日。家の外でみんながざわつくのを聞いて、俺はのそのそと寝床から起き上がる。
流れてきた市内放送は、件の橋を封鎖するから通行を控えて欲しいという依頼の放送。こいつが流れるのは、ほとんどが災害時。
窓から北の空を見やる俺は、つい「まじかよ……」ってつぶやいちまった。
去年も見た光の裂け目が、すでに柱のごとくかなたの海に突き立っている。炎海蛇が走ってくる合図だ。
これを見ると、規制の仕事を受け持つ人以外は、家の中へ籠るのが常になっている。俺は早くも鑑賞モードで、窓際に座椅子を持ってきて、せんべい片手に蛇が訪れるのを待っていたんだ。
十数分後。光の柱の根元から、炎が走ってきた。
相変わらずの速さだ。瞬く間に浜を上がり、橋を越えて谷を駆け、反対側へと走り抜けていく。その間、10秒もかかっていないだろう。
反対側の海へ抜けていった炎を見届け、俺は今回の残り火へ目を向ける。
最初に切り込まれた北の砂浜は、もう火が消えていた。北寄りの橋はまだ壁のような火が立っているが、じきに収まるだろう。
ベランダに出て、島の中央を見やると、山のてっぺんを越えて燃え立つ炎の姿。たき火へあたりにいったような熱を放ちつつ燃え盛るその様子は、山にとさかが生えたかのようだった。
「火が消えるまで、お車での移動はお控えください」
釘差しの放送が流れるも、すでにところどころではエンジンをかけ直す音が響き始めている。少しくらい橋で待たされても、渡ってしまおうと考えている連中が先走っているのだろう。
山の上からの火も、もう見えなくなっている。見世物もしまいか、と座椅子をしまいかけた時だった。
「……あ、危ない!」
市内放送が突然叫び、何事かと振り返った俺は、信じがたい光景を目にする。
南へ去ったはずの蛇が、帰ってきたんだ。
再び海の上を滑り、浜を、橋を、谷を渡って北へ帰っていく。鎮まりかけていた火が再び焚きつけられて、ぼうぼうとここまで音が聞こえるほどに、燃え始めたんだ。
もはや年どころか、時間単位でもなかった。蛇は数分ごとに一回、北から南、南から北へと何度も往復し、そのつど炎で島を二分し続けていく。当然、橋の封鎖も解除はできない。
通るルートが、毎回同じというのが不幸中の幸い。もし往復のたびに違うところを通られていたら、いまごろ島全体が焼け野原になっていた。
俺はふと思いついて、ストップウォッチを探す。
計ってみると、やはり蛇の往復の間隔は少しずつ短くなっていた。いまや30秒も間を置かず、炎は海と島を行ったり来たりしている。
――もし、ここで動きが止まったら、島が完全に分断される。
目で見た限り、炎は海の上でも数十メートルは立ち上っている。船でもって、あの壁に立ち向かおうとする者はいないだろう。過去に焼死した人についても、俺は記録で見たことがある。
あれを目にした人は、誰もが危惧したろうが、幸いなことに蛇の動きは海上数キロあたりでピタリと止まった。炎の綱が、その先へ進んでいかなかったからだ。
しばしとどまっていた綱が、やがてひとりでに「すうっ」と空へ立ち上り始める。炎海蛇が来る時の、空の裂け目に似た光の柱のように思えたが、違った。
炎の先が海から完全に離れる。離れた先っちょは錨のように膨らんでいたが、その形を見て俺の頭に浮かんだのは別のものだ。
振り子時計の振り子。いま、目の前で海から持ち上がっているのは、炎でできた巨大な振り子だったんだ。
そいつは少しだけ、島の方へ身体を傾けたかと思うと、かなたの光の柱へ向かって飛ぶように消えていった。ほどなく空は元通りになって、島の火も消え去ったんだ。
あの振り子が、どこを旅してこの島へ来ているかは分からない。
だが記録を信じるんだとしたら、少なくともむこう数百年は、この島で炎海蛇を見ることはないだろう。
あれを見た多くの島民が、そう話しているんだ。




