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東人剣遊奇譚  作者: 卯月
第六章 迷い子の帰還
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第5話 昔語り



 月明かりの無い闇夜の森を影が疾走する。影が通るたびに草花が倒れ、夜の静寂を乱す踏み付け音によって虫や小動物が慌てふためき逃げていく。

 影はその様を見て溜息を吐いた後、手近な木の枝に飛び乗る。枝にはたまたま蛇が眠っており、踏み付けた拍子に起きて、眠りを妨げた相手に飛び掛かった。大きく開けた顎はしかし、下から突き上げられた枝に上顎ごと突き刺されて再び閉じた。

 ビクビクと痙攣する蛇に何の感情も抱かず、そのまま枝の下に放り投げた。血の臭いに惹かれて夜行性の動物が集まってくるだろう。影は餌になった哀れな蛇を一顧だにせず身をかがめ、足に力を溜めて一気に翔ける。

 跳躍して次々と枝に飛び移っては木を揺らして葉を落とす。中には折れはしないが少し裂けてしまう枝もあって、音で幹に巣を作るリスや雛鳥が騒いだ。そのたびに思い通りにならない自らの足に少しばかり嫌気が差す。

 広大な森の枝をただひたすら翔け続け、とうとう森を抜けて北の山の麓にまで辿り着いた。一帯は乾いた土と大小さまざまな大きさの岩が転がる殺風景な光景が広がる土地だった。

 この辺りはかつて山をくり貫き現れたオークの軍勢が陣を張った場所で、森の木々を根こそぎ引き抜いたために、十年経っても碌に木が生えない文字通り不毛の土地になっていた。

 鬱蒼とした森と違い遮蔽物が何もない場所なので、月明かりに照らされて影が素顔を晒す。

 ヤトは額に汗で張り付いた前髪を袖で拭い、荒く吐いた息を整えて腰の翠剣を抜く。

 対峙した身の丈の倍はある岩に剣を真っすぐ振り下ろした。ストンと軽い音を立てた後、岩は真っ二つに割れて静かな夜を壊すような大きな音を立てて転がった。

 岩の断面に触れたヤトはしかめっ面を作って自らの手を眺める。

 負傷してから一ヵ月経ってもまだ元通りになっていない。骨になっていた腕も今は皮が張り付き、爪も元通り生えた。それでも見かけだけ治ったにすぎず、かつての精妙な技巧はまだ取り戻せない。

 さらに剣からそこらに落ちている小枝に持ち替えて、先程と同様に割った岩に振り下ろせば、また岩が割れた。

 ヤトは握った小枝を難しい顔をして眺める。正確には枝そのものを見ているわけではない。その遥か先をだ。


「不思議な技を修めているのだな」


 後ろから威厳のある声が聞こえた。振り返れば古木の如きエアレンドが悠然と佇んでいた。元から覗いていたのは気付いていたので焦ったりはしない。

 ヤトは気にせず枝を手から放して割った岩に腰かけ、エアレンドも鍛錬を中断させた事を謝罪した後に岩に腰かける。


「巡回役からここ数日、森で不審な人影を見たと報告を受けた。後で精霊に聞いたら正体は貴殿だと教えてくれたよ」


「だから族長自ら苦言を言いに来たと?」


「私はそれほど狭量ではないよ。様子を見に来ただけさ」


 穏やかな口調で圧力を否定する。それでも確かな圧力を感じるので、止めさせる意思はあると見た。

 無視する事も出来るが客人の身分で突っぱねるとカイルが困ると思い、身体がまだ不調もあって素直に従うよう伝えるとエアレンドはにこやかに礼を言った。白々しい事この上無いがヤトも年の功には分が悪い。

 言うだけ言って帰るかと思われたエアレンドは何故かそのまま腰を下ろしたままだ。そして何気なく世間話を始めた。


「ヤト殿を見ていると、かつての戦友を思い出す。あれも竜族の血を引く強い戦士だった」


 唐突に昔話を始めた老エルフを見て、ヤトはボケてるんじゃないかと内心思った。見た目は若いが何千年も生きていれば中身が変わっている可能性もある。巨木も切ってみたら中身がスカスカに腐っていたという話はよくあるものだ。しかし真っ向から呆けるのか尋ねるのは相手を感情的にさせる下手を打つ行為。適当に返事をして切り抜けた方が良さそうだ。


「我々神代のエルフにとっても三千年前は些か記憶が薄れる時間だよ。定命の種族にとっては神話の時代かもしれないがね」


「三千年前というと魔人族の王との戦のあった時代ですか」


「うむ。あの頃は私達もまだ若く、向こう見ずで、血気に逸って魔人達と戦うために仲間達と共に森を飛び出したものだよ」


 カラカラと笑うエアレンドの隣で、ヤトは話が長くなりそうな気配を感じた。エルフの長話など夜明けまで付き合わされるに違いない。何とか口実を作って逃げた方が良さそうだと思った。


「興味深い話ですが、僕一人で聞くのは勿体無いと思います。だからカイル…ハエネスなども誘ってみんなに聞かせた方が良いのではないでしょうか」


「うん?……それもまた良しか。では改めて明日の夜にでも村の者を集めて話すとしよう」


 エアレンドは心なしかウキウキして村の方に戻って行った。

 一人残ったヤトはほぼ無関係の老人介護という理不尽を味わい、疲れがドッと来て鍛錬を続ける気にならず、徘徊老人から離れて村に帰る事にした。

 帰り道にふとエアレンドが話していた魔人族との戦いがあったフロディスの事を思い出した。あそこの王城で魔人を封印していた魔導書を、砂漠でアジーダから貰って荷に放り込んだままだった。まだカイルに見せていなかったので、明日にでも見せてあげるとしよう。


 翌日。ヤトは持っていることを忘れていた魔導書を荷物の底から引っ張り出した。

 それを持ってカイルの家を訪ねたが、あいにくと今は母ファスタから村の歴史と家系図を学んでいて忙しそうだった。

 ヤトも気になって家系図の記された絹製のタペストリーを眺める。残念ながら名前はエルフの古代文字で記されているので一つも分からない。しかし所々に加えられている、花や蔦をあしらった上品で見事な刺繍には、思わず感嘆の吐息をせずにはいられない。これこそ神代のエルフの美的感覚の神髄だろう。


「見事なものですね」


「アニキでも綺麗だって思うんだ。名前と来歴を全部覚えるのは疲れるけどね」


「貴方は長の一族なんですから、この程度は何も見ずとも覚えておいて当然です。今までの遅れを取り戻すのに遊んでいる時間はありませんよ」


 ファスタの苦言を聞いて、カイルは口を尖らせ不満を露にする。この一ヵ月の間、ずっと母や祖父から教育を受け続けていたので色々と疲れが溜まっているのだ。

 エルフの長大な寿命なら気長に学ぶ余裕はある。しかしファスタは出来る限り早く息子に知識を蓄えさせようとした。ひとえに少しでも早く一人前のエルフに育ってほしい親心の焦りもある。

 尤もその心が強すぎて息子に煙たがられているのだから、もう少し加減すべきではなかろうか。

 だからヤトが顔を出して勉強を一時中断出来たのは僥倖だった。少しでも話を長引かせて休むつもりだろう。

 ヤトもその程度の事は分かっているので、気を利かせて乗ってやる事にした。


「これを鑑定してもらおうと持って来たんですよ」


「あれ、これってタルタスの城の地下にあった本だよね。何でアニキが持ってるのさ」


「砂漠でアジーダさんに押し付けられました」


 カイルは「あ~」と納得した。正確にはタルタスの王城の地下で本を奪ったのはミトラでも、行動を共にしていれば同じ事だ。

 ヤトから本を受け取り、パラパラと中身を見て怪訝な顔をする。この様子では中に記されている文字を読む事すら叶わないのだろう。

 時間稼ぎを兼ねて母親に本を渡して読めないか試してもらった。千年は生きたエルフなら何か分かるかと思ったが残念ながらファスタも首を横に振って解読は無理だと謝った。


「そもそもこれはエルフの言葉ではありませんよ。ただ……」


「ただ?」


「義父のような村の古老なら、もしかしたら何か分かるかもしれませんね」


 やはりそこに行き着くか。元々この魔導書は三千年前の大戦から存在していた。エアレンドやその友ダズオールは同じ時代を生きていたから、あるいは何か知っている可能性はある。

 ちょうどその頃の話をしたがっているので、夜にでも見せてやれば良いだろう。

 仮に何も分からなくても自分達が困る事は何一つとして無い。最悪どこかの国の好事家か魔法使いにでも叩き売ってしまえばいいだけ。気楽に構えていられた。

 言うべき事は済んだヤトは本を持ってスタスタと家を後にした。カイルはもう少し引っ張って休みを引き延ばしたかったが目論見は早々上手くいかなかった。



 夜半。

 エルフの村の広場では無数の友たる火の精が盛大に燃え上がり、樹の精が即席で作ったテーブルには所狭しとエルフの婦人たちが作った雅な馳走が並べられている。

 色とりどりの果物、丸々と太った家畜の肉、瑞々しい野菜とキノコのサラダ、ふっくらとしたパン等、ドライフルーツとハチミツたっぷりのケーキもある。勿論なみなみと酒の入ったミスリル製の水差しも、かなりの数が置かれている。

 どこからどう見ても祝宴の様相だ。と言ってもこの光景も実は三十二回目である。

 カイルが村に帰還したその日の夜から毎日祝いの席を設けているのだ。

 エルフの名誉のために弁護するわけではないが、別に祝う理由を無理に作って騒ごうとしているのではない。数千年を生きるエルフにとって月の齢が一巡する時間など一日とそう変わりがないだけだ。特に森という時間がゆったりと流れる環境も相まって、大抵の祝い事は数か月は続くのがエンシェントエルフにとっては当たり前だ。

 カイルは祖父エアレンドの隣に席を与えられた。ヤトとクシナは大切な客人としてエアレンドを挟んでカイルの反対側に座っている。


「美味いなこれ」


「喜んでもらえて何よりだ。この川海老は村の子供らも好物なのだ」


 クシナが美味しそうに咀嚼したのは、森を横切る川で獲れたザリガニのから揚げ。泥の中で冬眠してたのを掘り起こして手に入れた。そのまま調理しては泥臭くて美味しくないので、数日前から清流に晒して泥を抜く処理をしてある。そこに森で獲れたレモンベースの香草ソースをかけてあるので簡素ながら非常に美味だ。

 ヤトはウナギの串焼きを食べている。身を開いて塩と胡椒を振っただけの素朴な焼き魚でも、今が旬の肥えているウナギは食べ応え抜群で、どれだけ食べても飽きる事が無い。

 村のエルフ達は思い思いに食べては飲み、子供たちは踊り、名匠が生んだ竪琴のように調律の取れた美声で詩を謳い上げる。ともすれば品の無い乱痴気騒ぎにもなるような宴会も、美の具現たるエルフにかかれば絵画の一幕のように雅美だ。

 カイルはこんがり焼けた猪のブラッドソーセージを食べ切ってから、昼間ヤトに貰った魔導書を懐から出してエアレンドに見せる。


「そういえばお爺さん。こういう古い本を手に入れたんだけど中身は読める?」


「ん?んん?これは………」


 手渡された本の表紙に見覚えがあるのか、エアレンドは酷く懐かしい物を見たような反応を示してから、中身をパラパラとめくる。


「はて、何だったかのう」


 カイルはずっこけた。思わせぶりな発言をしておいてコレである。一ヵ月接して思ったのは、最初に会った時の雅で品のある振る舞いが演技で、今が素の気質ではないかと睨んでいる。特に祖父の親友ダズオールの威厳に満ちた立ち振る舞いを知っている分、余計に落差が酷い。


「分からないなら別に良いよ。どうせ貰い物だから処分するだけだから」


「まあ待ちなさい。これはアレだ、アレ。おーい、グロース、フェンデル。孫が懐かしい物を見せてくれるぞ」


 呼ばれた二人の老エルフが竪琴と笛を中断してエアレンドの元に来る。


「どうしたエアレンドよ。人族の艶本かなにかか?」


「いやいや、そこは豊満なドワーフの胸帯か何かじゃろうて」


「アホな事を言うな。これだ、これ。ほれ、あの陰険腐れ魔導師のアレが持っておった本だ」


 魔導書を差し出された二人の老エルフは少し悩んだ後に互いに顔を見合わせて、アレだの懐かしいと言って本を手に取った。


「あやつ、名は何と言ったかのう」


「バグバグ?バクナグ?そんな名だったような……」


「おぉ思い出した、バグナスだ!あの戦から、もう三千年も前になるのか」


「相変わらず何が書いてあるのかさっぱり分からんのう」


「アレの偏執っぷりと陰険は死んでも治らんわ」


 三人の老いたエルフはただ昔を懐かしむような感傷ではなく、喜び、悲しみ、痛み、喪失感などがない交ぜになった、数千年の歴史の重みを伺わせる感情を皺に刻む。

 あの魔導書は三千年前に人類連合と戦った魔人を封じていた要だ。ダズオールやエアレンドもその大戦に関わった世代。直接知っている相手の所持品なら見覚えがあっても不思議ではなかろう。


「皆さんはその本の持ち主をよく知っておられるのですか」


「偏屈な男だったが戦友ではあった。昨日お主に少し話した竜の戦士の一党におった魔導師だ」


「おぉ、思い出した。シングの所におったの。それにレヴィアやミニマムの神官も」


「あの頃は我々も随分と若く無茶をして多くの仲間に助けてもらったわ」


 三人もそれぞれ孫のいる老人ではあるが彼等とて若く青春を謳歌した時代はあった。それを懐かしむのは老人の特権だろう。

 周囲のエルフ達の中には「また始まった」だの、「何回目?」などと声を上げる者もいれば、カイルぐらいの若年者の中には興味を抱く者もそこそこいる。


「ちょうど良い。一つ詩を披露してみるとしよう。グロース、フェンデル、演奏は任せた」


 エアレンドは喉を鳴らして具合を確かめ、後の二人も指と楽器の調子を見る。


「――――これより語るは三千年の昔、我等エルフと数多の人類種が不滅の絆を結び、不死の魔人王アーリマとの死闘を演じた一幕である」


 重厚な張りのある美声と共に、人にとっては神話の時代の出来事が蘇る。



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