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東人剣遊奇譚  作者: 卯月
第六章 迷い子の帰還
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第3話 逗留



 血を分けた母と子が十年の歳月を経て再会した。これでカイルの故郷を探す旅はおしまいという事になるわけだ。

 カイルの母ファスタは息子と共に祖父エアレンドと苔のソファに座る。母は息子がどこかに行ってしまわないように手を握って放そうとしない。腹を痛めて産んだ息子が十年も生き別れになったのだから不安に感じてしまうのだろう。カイルの方は羞恥を感じていたが母の気の済むようにさせている。

 肉親三世代が共にある光景は一応の家族に見える。ただ、普通に考えればまだピースが足りない。


「あのさ…お爺さん、母さん。僕の父さんはいるの?」


「勿論だとも。お前の父は私の息子アングレン。そして―――」


「私のもう一人の息子、貴方の兄ダルセインがいますよ。でも今は会えないの」


「えっ?じゃあどこに?」


「それはお前が居なくなった日から順を追って話さねばならない。あれは忘れもせぬ、十年前の夏だった」


 エアレンドは一度咳払いをしてから、一流の楽器職人が生涯を賭して生み出した弦楽器の如き上品な重低音を響かせて朗々と語り始める。

 十年前のその日、この地はいつもと変わらぬ夜明けを迎え、何事も無く日暮れを迎える日常を過ごすはずだった。

 まだハエネスと呼ばれていたカイルも厳格な祖父、頼もしい父、優しい母、それによく気にかけてくれる兄の元ですくすくと育っていた。

 しかしその日は何かがおかしかった。朝から精霊達がしきりに騒ぎ、何か良くない事が起こると囁き合っていた。

 村のエルフ達は同胞の助言を素直に聞き、その日は常に警戒を続けていた。

 そうして日が傾き始めた頃、森の遥か北にある山より災厄が湧き出てきた。


「あれは万を超えるオークの軍勢だった。そ奴等が山を掘り抜いて、まっすぐ村を目指して進軍していたのだ」


 さしもの森の精霊達も山の中までは見通せず、エルフ達は完全に奇襲を食らった。

 最初は慌てふためくエルフ達だったが、すぐさま冷静さを取り戻して精霊達の助けを借りてオークの軍勢を迎撃した。

 村のエルフはとにかく動ける者は女だろうが年少でも弓と剣を握れるなら誰でも兵として動員して一丸となって困難に立ち向った。

 戦は熾烈を極めた。オークは知性に劣るとはいえ人間より強靭で、エンシェントエルフとて片手間に勝てる相手ではない。それが数十倍の物量を以って襲い掛かってくれば、いかに精霊と協力しても苦戦を強いられる。

 樹の精と岩の精による強固な砦と化した村もオークの力で徐々に崩される。花の精の眠り粉や蔦の精の拘束も万を超える兵には決定打にはなりにくい。

 それでもエルフ達は粘り強く果敢に迎撃を続けて三日も敵の侵入を防ぎ続けた。

 弓が砕ければ槍を、槍が折れれば剣を、剣を失えば石や木を手に、ただひたすらに森を守るために戦い続けた。

 とはいえ万を超える軍勢と精々が三百人の小さな村ではそこかしこに綻びが生まれて、遂には村への侵入を許してしまった。


「如何に我々が優れた戦士でも多勢に無勢を覆すのは容易ではない。いや、ただの戦場ならばそこまで難しいものでもないのだが……」


 エアレンドは唇を噛み締め、呪詛にも似た言葉を吐いた。その瞳には悔恨の色が露わになっていた。


「運に見放されたのだ。あの汚らわしい豚頭共が穿った場所がよりにもよって子供たちが避難していた小屋の近くだったのは」


 戦えない者を守るというのは確かに士気はあがるだろう。だが常に後ろの安全を気に掛けつつ戦うのは実際には容易ではない。

 幸いと言っていいのか分からないが子供達は精霊が森に退避させて難を逃れた。

 戦士達が村に侵入したオーク共を殲滅して、さらに一日かけて軍勢を壊走させた。そこで少ないながら犠牲が出てしまったのを長エアレンドは悔やむが、数十倍の相手と戦ってなお敵軍を壊滅させたのだから、むしろよく勝てたと言うべきだとカイルは思った。

 情勢が落ち着いたと判断した大人達はすぐさま子供達を探した。

 多くの子供はすぐに見つかって親御や家族と再会したものの、幾人かは森の外にまで出てしまい行方が分からなかった。


「その内の一人が僕なんだろうけど、もしかしてまだ何人もいるの?」


「…うむ。男衆の何名かが行方を追って見つかった子も居るが、今もまだ二人見つかっておらんのだ」


 エアレンドとファスタは複雑な面持ちになる。二人の血族のカイルはこうして自力で戻っても、行方不明者全員が戻っていない。

 それに見つかったと言っても、すぐに無傷で見つかったとは言っていない。中には既に事切れた亡骸として戻った子供もいるかもしれない。

 あるいはカイルが当初、奴隷商の商品として扱われていた事実から、同じように捕まって売られた子を取り返して帰って来たか。そして残る二人も仮に生きていた場合、奴隷として扱われているのではないか。カイルは自らの置かれた境遇だけにその可能性を全く否定出来なかった。


「じゃあ僕の父さんと兄さんはまだ僕を探しに行ってるから村に居ないの?」


「今は東の≪桃≫という国を探しているが、数年に一度は報告に戻っている。来年には帰ってくるから楽しみにしていなさい」


「ハエネスの元気な姿を見たらどんなに喜ぶでしょう」


 エアレンドの言う≪桃≫の国というのは大陸有数の大国の事だ。ヤトの生国の≪葦原≫と隣国でもあり、古来より大きな影響を受けている。

 かの国は文化形態が西側とはかなり異なる。文字や食習慣など大きく異なり、長大な二本の河川を背景に莫大な富を有した支配者は王を名乗らず≪皇帝≫を称した。

 獣人のような異種族への偏見はあるものの、皇帝に首を垂れる者は手厚い庇護を受けて人類種と同等の権利を与えられた。皇帝は慈悲と徳をもって国を統治するのが習わしとされる一方で、意に沿わず剣を向ける者は例え人間や貴族でも容赦なく首を刎ねられて、一族郎党は奴隷として蔑まれ何代にも渡って酷使される。

 そうした罪人奴隷以外にも金銭によって売買される奴隷もそれなりに多く、特に美貌のエルフは高値で売られているのを訪れた事のあるヤトは何度か目撃している。

 仮に行方不明なったエルフの子供がいる場合、おそらくは金持ちや貴族の奴隷にされている可能性が高い。

 運が悪ければカイルがそうなっていただろう。探し物が自分から帰って来たとは知らずに今も家族を探し続けている二人を笑う者は居ない。あくまでカイルは不運の中から幸運を掴み取った稀な例だ。むしろ望みを捨てずに懸命に探している家族愛に深く感じ入った。

 今すぐに会えないのは残念でも、時が経てば必ず会える保証があるのは良い事だ。


「良かったですねカイル、いえ今はハエネスですか」


「アニキやクシナ姐さんはそのままカイルで良いよ」


「それは良いが汝の旅は終わったな。これからはここで暮らすのか?」


 クシナの問いにカイルは何とも言えない顔をする。目にはどうすべきか答えの出ない迷いが見て取れる。

 確かに離れ離れになった家族と会いたいが為に今まで旅をしてきた。そうしてようやく目的を果たし、安堵感と達成感を得た。

 だがこのまま村で過ごすのかと聞かれると、心のどこかで感情が歯止めをかけて是と言えない。

 答えられない孫を見かねたエアレンドは今日の所はひとまず休めとだけ労った。


「ヤト殿とクシナ殿の住まいはこちらで用意しておく。ここを自らの生まれ故郷と思ってどうか寛いで頂きたい」


「失礼ですがヤト殿はお体が優れぬようですから、ゆるりと傷を癒してくださいませ。お薬が入用なら私がご用意致します」


 ファスタはヤトの両手に巻かれた包帯を見て、優し気に声をかけた。並の男ならその声だけで魂を融かされてしまうほどの慈悲深い美声だった。

 弟分の母親はともかく、カイルは家族と会えてヤト達も快く逗留を許された。しばしの間、彼等は村で旅の疲れを癒す事となる。



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