表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
東人剣遊奇譚  作者: 卯月
第六章 迷い子の帰還
147/174

第2話 母に抱かれて



 カイルの事をハエネスと呼ぶエルフは自らをオルハルと名乗った。後ろの二人もそれぞれランク、ノールと名乗り、カイルの顔をじっと見て合点がいったように頷いた。


「あの幼子がよくも生きて再びこの地を訪れようとはな」


「然り、然り。きっと生きていると信じたお主の家族の祈りが聖樹に届いたのだろう」


「あの、僕の家族って……」


「もちろん居る。もしや、覚えていないのか」


「まあ待て待て。積もる話はこのような場所よりも村の方が良い。客人も来たまえ」


 オルハルの提案に残る二人も同意した。当然カイル達も了承して、三人のエルフについていく。

 相変わらず森を覆い隠す霧は晴れていないが、先導役が三人増えたのもあって歩きやすさは増した。

 歩いている最中、三人のエルフの中で一番若いノール―――ヤトより少し年上に見えるが実年齢は百を超えている―――がチラチラと後ろを何度か見て、意を決したようにヤト達に話しかける。


「貴殿らは火の精の同胞か?」


「そんなところです」


「無いとは思うが出来れば森を燃やさないでもらいたい」


「ノール、客人に失礼だぞ」


 オルハルの叱責を受けてノールはヤト達に謝罪する。

 基本的に水や草花の精霊を友とするエルフにとって、火の精霊を宿したヤトとクシナを見れば気になるのは分かるが些か不躾にも思える。

 ただ、道中に転がる無数の骨や抉れた地面に横たわる多くの倒木を見ると何となく関係性を感じてしまう。

 ヤトは注意深く苔の生えた骨を観察する。骨の多くは人間のそれよりかなり太く長いのが分かる。他にもネズミの住処になっている大きな猪の頭骨のような骨が幾つも転がっていた。


「あれはオークの骨ですか?」


「見ただけでよく分かる。察しの通りあれは十年前にこの森を襲ったオーク軍団のなれの果てだ」


「ここだけでなく森にはあの醜悪な蛮族が残した爪痕が無数にある。ハエネスよ、お前は幼かったから覚えておらんようだな」


 ランクとノールは苦々しい過去を思い出して目を細めた。この様子では相当に忌々しい過去として記憶に留まっているのだろう。

 それに十年前と言えばカイルがロザリーの盗賊ギルドに拾われた時期に近い。何らかの関係はあると思って良い。

 この場で過去を問いただしても良いが、今は急がせた方がカイルの意に沿うので、一行は再び霧の森を歩く。

 霧の森を歩くたびに同じような人為的に変えられた地形や乱雑に打ち捨てられたオークの朽ちた骨が目に付く。秩序と調和を尊ぶエルフの住まう森でありながら、さながら古戦場跡のような様相だ。森全体が戦場になったという事だろう。

 しかしそうした戦禍の後にも若木が育ち、かつては暴威を振るったと思われるオークも歳月が過ぎれば骨となって小動物や虫の住処を提供する。破壊の後の再生は生命の循環だ。どれほど怒りと悲しみがあっても、草花と苔が覆い隠して新たな生の営みを見守る事こそエルフの本懐と言える。

 そうして破壊と再生を横目に一行とエルフ達は霧の森を歩き続け、不意に先頭のオルハルが足を止める。


「ここより先が我々の村だ。………今再び同胞を迎える事が出来たのを心より嬉しく思う」


 オルハルの言葉にランクとノールも感無量の涙を流した。

 エルフ達はこの先に村があると言っているが、残念ながらヤト達には霧のせいで全く先が見えないし、耳や鼻にも村の営みの痕跡は感じ取れない。

 精霊が森を霧で覆い隠しているだけでなく、ある種の結界を構築して村と外部を断絶しているという事なのだろう。念の入った事だが必要な備えであって、ヤト達はそれを臆病とは思わない。

 涙を止めたエルフは聞き覚えの無い奇妙な言語で呪文のような言葉を呟き、ヤト達を手招きしてから霧の先に消えた。


「カイルから先にどうぞ」


「う、うん……じゃあお先に!」


 ヤトに先を譲られたカイルはロスタを伴って霧の中へと消えた。二人を見届けてから最後にヤトとクシナが不可視の境界を跨いだ。


「ほう、中はこうなっているのか」


 霧を抜けると眼前にはのどかな村が広がっている。かつて滞在したエルフの村と似たような雰囲気の白亜の住居が幾つも立ち並び、よく手入れされた樹木が整然と並んでいる。

 天に目を向けると不思議な事に霧は一切見当たらず、はっきりと青空が見えて冬のささやかな陽光が差していた。


「外からは霧で覆い隠されて見えないけど、中からは丸見えと。流石のエルフも霧の中では生活に支障があるんですね」


「かつて村にまでオーク共の汚らわしい牙が触れたのでな。備えはし過ぎても困る事は無いと学んだよ」


 ランクが忌々しい過去を思い出して、色つきの良い唇を噛み締めれば、他の二人もそれぞれ似たような反応を見せる。どうやらよほど過去に苦い経験をしたのだろう。

 ヤトがぐるりと村の周囲を見渡すと、あちこちの木の上からこちらを伺う視線を感じる。監視者の姿は見えないのは距離が離れているためと、背景と同化する隠形に長けているからだ。ここは西のエルフの村よりずっと警戒心が強い。

 子供の姿もちらほら見えているが、ヤト達の姿を見た大人達にそれとなく呼ばれてすぐに隠れてしまった。警戒心の強い集落にいきなり見知らぬ部外者が現れれば、こういう対応になるのはどこも同じ。それでもカイルの顔を見てすぐに勘づく大人のエルフはいた。

 四人はオルハル達に先導され、向けられる視線を気にせず村の奥へと足を進める。

 西のエルフ村には村の中心部に噴水が設えてあったが、この村には祭壇のような儀式台にリンゴほどの大きさの青い珠玉が祀られている。傍には白銀に輝くオリハルコンの鎧を着て槍を持つエルフの戦士二人が直立不動で見守っている。


「あれは何なの?」


「あれが村と外を分ける境界の起点となる珠だ。霧だけでは安心できないから後付けで設置した」


 カイルの質問にランクが説明しつつ、視線だけで決して触れるなと無言の圧力をかける。勿論四人の中に触れようと思った者はいない。

 カイルはもしかしたらヤトがエルフの戦士を見て事を起こさないかと心配したが、珍しく彼は平静を保っているので意外に思いつつそのまま素通りした。

 そのまま村全体に枝葉を広げる大樹の前で一旦足を止める。ここの大木も塔のように中は空洞になっていて、奥には上へと登る螺旋階段が設えてある。

 当然木の上にはこの村の族長が居座っているだろうし、入り口には練達のエルフの戦士が両手で数えるほどに警護している。

 オルハルは戦士の一人に長への面会を願う。不思議な事に厳重な警備の割にエルフの戦士は長から話は聞いていると言って、カイル達に階段を登って最上階に行くように促した。


「では行くが良い。道案内の我々はここまでだ」


「なに、後で話をする時間はたっぷりある」


「夜には村を挙げての祝宴が待っているぞ」


 案内をしてくれた三人は優しい言葉をかけた後、再び森の警戒へ戻った。

 残された四人はカイルを先頭に一段ずつ大樹の内側に設えた階段を登る。ヤトやクシナには離れていてもカイルの心臓の鼓動が高鳴っているのが聞こえる。

 長い長い階段を登り切った最上階。天井からは幾つもの銀のランプに灯された温かな光が部屋全体を照らす。

 そして部屋の窓側に腰まで伸びた長い黄金色の髪を持つ大柄のエンシェントエルフが一人、後ろ向きに悠然と立っていた。


「……………これほど喜ばしい日はこの世に生まれて一度も経験しておらぬ」


「あの……もしかして貴方がエアレンドさん?」


「そう他人行儀に接してくれるでない。かつてこの手で抱いた赤子に余所余所しくされると十年前に受けた心の傷が痛むのだ」


 エルフは振り向き、眉間に深い皺を刻みつつも端整な顔に喜びの涙を流してカイルに目を向ける。その瞳はどこまでも慈愛に満ちている。

 かのエルフは足音も無く優美な足運びでカイルへと近づき、羽毛を撫でるかの如き繊細な仕草で両肩に手を置いた。


「お前の事は一日とて忘れた事は無いぞ。ハエネスよ、よくぞ我が元に帰って来てくれた。私がお前の祖父エアレンドだ」


「お…お爺さん」


 たったそれだけ言われただけなのに、カイルの目からは大粒の涙が零れ落ちた。

 ヤトは肉親との再会を邪魔するのも無粋なので出て行こうかと思ったが、その前にエアレンドが視線だけで気遣いを制した。そして彼は何かを呟くと部屋の床に絨毯のように敷き詰められた苔が自然に盛り上がって、ふかふかのソファの形になる。

 ヤトとクシナは苔のソファに腰かける。ロスタは従者として後ろに控えようとした矢先、さらに隣に一つ、向かいにもう一つのソファが出来た。ロスタにも座れという事だろう。向かいの方にはカイルとエアレンドが座る。


「せっかく生き別れた孫が同朋を連れて来てくれたのだ。もう一人が来るまでしばし待たれよ」


 エアレンドの穏やかでありつつ威厳を含ませた言葉に三人は拒否する理由も無かったため、言われるままに暫く自己紹介と道標を授けてくれたダズオールや妻のケレブの話などをして待つ。

 儀礼として客人をもてなす為の果実は用意してあり、早速クシナは大きな梨を一つ手に取って皮ごと齧る。

 幾つか話を聞いた後、エアレンドはロスタに目を向けて、何か物思いに耽った後に遠慮がちに口を開く。


「ところでロスタと言ったな。レヴィアという名に心当たりはあるか?」


「私自身は記録にございません。ですが私の容姿はケレブ様の古い友によく似ていると伺っています」


「ではギーリンというドワーフは?」


 エアレンドの問いかけにロスタはパチパチと瞬きをしてたっぷり十秒は沈黙を保つ。その間、部屋にはクシナが梨を咀嚼する音が響く。

 沈黙が終わり、ロスタは戸惑いながらも頷いた。


「記録の一部が開示されました。その名は私を創造したアークマスターとして記録されているようです」


「然り。その名以外が出て来る事は無かろう。未練とはかくも断ち切り難いものよ」


「あの、お爺さん……そのドワーフはロスタとどう関わってるの?」


「話してもよいが長くなるのでな。また日を改めた方が良かろう」


 エアレンドが視線を床に向けた時、下から階段を踏みしめる規則正しい高音が響いた。

 ヤトは上品な足音の調子から何となく女の足を連想した。

 その観は正しく、階段を登り姿を見せた人物は女性だった。

 年のころは人間で言えば二十代。ただし神代のエルフの外見は当てにならない。それに全身に纏うただならぬ雰囲気のせいでいまいち分かりにくかった。

 背はヤトよりやや低く、ゆったりとした飾り気のない純白のワンピースタイプのローブを纏っている。容姿はエンシェントエルフの例に漏れず、一流の彫刻家が丹精込めて作り上げたように美しく整っている。特に目を惹いたのが腰まで長く伸びた白金のように輝くウェーブのかかった髪。質はそれほどではないが髪色はカイルとそっくりだった。それによく見れば目元もカイルに似ている。


「来たかファスタよ。お前が探し求めていた宝が自らの足で戻って来たぞ」


「存じております御義父上」


 ファスタと呼ばれた女性はソファに座るカイルの前に跪いて、何も言わずに彼を抱きしめた。


「その……貴女が僕の―――」


「母です。嗚呼………この日をどんなに待ちわびた事でしょう」


「母さん……」


 カイルは普段のお調子者な態度を全く見せず、ただただ優しき母の胸の中でなすがままにされた。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ