第13話 暇潰し
「ッ!?死霊魔法だと!!」
「そうよミレーヌ。この女はフロディスで死者を蘇らせて弄んだの」
「ええぃ!こんな時に……」
ドロシーの言葉にミレーヌがありったけの苦虫を噛みつぶしたような苦悶と嫌悪感と苛立ちとがない交ぜになった顔になる。
『法と秩序の神』に仕える神官にとって死霊魔法の使い手は神の定めた世界の法に唾を吐いて命を弄ぶ恥知らずの外道と教えられている。
外法の使い手とあらば何を差し置いても討伐しなければならないが、今は魔人族の儀式も止めねば世に災厄を解き放ってしまう。
ミレーヌの苦悶と苛立ちは二者択一を迫られたが故だ。そして部下達は魔人の事を放って、既に目の前のミトラを殺すことしか考えていない。
おまけによく見ると協力を申し出たヤトとクシナが居る。彼等をこの場でどう扱うかで思考を割かれて指示が出せない。
そのヤトは現状を見て満足そうにしている。おまけにアジーダも楽しいのか笑いを隠しもしない。
「思いのほかエサの食い付きが良いですね」
「普段から他人をいいように使っているんだから、たまには自分で働くいい機会だ」
前々から分かっていたがミトラとアジーダの関係は謎だ。恋人や夫婦とは思えないし、血縁関係があるようにも見えない。互いに相手を思いやる仕草も無い。むしろ離れたくても離れられないような腐れ縁染みた間柄が最も相応しいように思えた。
ミトラが神官に切りつけられてもアジーダは動じない。どうせ殺せやしないと高をくくっているのもあるが、本質的に大切と思っていないからだ。
事実、神官達にめった刺しにされてもミトラは傷一つ負わない。それどころか微笑みを浮かべ続けて、攻撃している神官達の方が困惑の色を隠せない。
「まったく、男共は働かないわね。仕方が無いから他に手伝ってもらいましょう」
ミトラは錫杖を砂に突き刺した。
すると一帯の砂地が無数に盛り上がって骸骨が這い出て来た。
前にバイパーの鉱山遺跡で見た死霊魔法と同じだ。
「馬鹿めっ!貴様の外法など我等聖なる神官には無意味と知るがいい!!」
神官の一人が嘲笑して仲間と共に浄罪の舞を行う。
以前見たドロシーの舞に比べたら優美さに欠ける舞だったものの、蘇った亡者を鎮めて再び砂へと還した。
「あらあら、せっかく用意したのに……じゃあ、こういうのはどうかしら?」
ミトラは手に持った錫杖を天高く掲げてくるりと回す。すると空に光の円が描かれて、円からは次々と人型が出てきた。
人型は犬のような顔と手足をしているが狼人よりもさらに獣に近く、身体には毛が一切生えておらずテカテカと光って、まるでカエルのような肌をしている。
そんな醜悪なケダモノが百を超える数が降り立ち、涎を滴らせて神官戦士達を見ていた。
「なんですアレ?」
「異界から呼び寄せた走狗だ。知性はあるが生肉を好むからオークと大差の無い種族だぞ」
「時間稼ぎにはなりますか。なら僕はこうします」
ヤトは隣に立つアジーダに剣を向ける。
「おいおい。俺は一応味方だぞ」
「僕の役割は儀式が終わるまで邪魔を入れないことです。それ以外は好きにさせてもらいますよ。あっクシナさんは展開が一方的になったらミトラさんを殴ってください」
「分かった分かった。遊ぶのもいいが程々にな」
旦那が遊びたがるのは今に始まった事ではない。クシナは好きにさせるつもりだった。
アジーダが腰の棒をヤトの剣にぶつけた音を号令に砂塵の大乱戦が始まった。
神官達は最初、走狗を亡者と認識して、再び浄罪の舞で鎮めようとしたが一向に効果が無いと判断して、すぐさま武器を用いた白兵戦や魔法で対応し始める。
剣が、槍が、槌が、斧が、狗面を次々壊し、炎が、氷が、雷が、光が、毒がヌルっとした肉体を肉片へと変えていく。
ドロシー達もまた神官達と共に戦い死をまき散らす。
スラーが肉弾戦で狗面を粉砕し、ヤンキーが何やら怪しげな薬品を振りかければ、走狗の肌が焼け爛れてたちまち悲鳴を上げてのたうち回った。
ドロシーも杖を振り回して敵を怯ませたかと思えば、体中に仕込んだ暗器を口内や眼に投げつけて仕留めた。
カイルとロスタも神官達に負けていない。
ロスタが前衛になって二又槍で次々に狗の串刺しを量産し、カイルは後ろから卓越した弓の業で一体ずつ的確に脳天を撃ち抜く。
既に半数の五十体は討ち取られているのに呼び出したミトラは余裕そのもので、大道芸を見てるような軽さで鉄火場を鑑賞していた。
不思議と走狗の死体は残らず、動かなくなった肉は最初からこの世に存在しなかったように、煙と共に消え失せてしまった。
ヤトとアジーダもまた異界の者達と神官団の戦いなど関係無いとばかりに、二人で命を掛けない戦いを繰り広げている。
アジーダの短杖は形を変えて極度に湾曲したショーテル型の曲剣になってヤトの翠刀と打ち合っている。
相変わらず両者の力量は歴然とした差があるものの、無尽蔵の体力やクシナに匹敵する膂力は決して侮ってはならない。
今もヤトがわざとアジーダの剣を正面から受けると、腕の骨を折られそうになった。明らかにフロディスで戦った時より強くなっている。
「前よりさらに力が増していますが何か力の付く物を食べたんですか?」
「食ったというより取り込んだのさ。あと四回は繰り返してもっと強くなれるぞ」
アジーダは不敵に笑う。ヤトも彼に連れられて凶々しい笑いが止まらない。
技量に関してはまだまだアジーダは格下だ。しかしそれを補って有り余る身体能力を持ち合わせていて、さらに上を保証してくれるとは嬉しい限りだ。
本気になったクシナが一番という認識を改める事は無いが、それに近い力量をいずれ身に付けて戦えると思うとワクワクが止まらない。
ヤトは興が乗って幾重にもフェイントを織り交ぜた剣戟をアジーダに浴びせる。
彼は避け切れずに剣を受けるが、皮を薄く切られただけでまるで効いていない。力だけでなくやたらと頑丈になっていた。見た目に似合わず古竜並みの装甲という事か。
「はははっ!くすぐったいぞ!!」
まるで柔肌を撫でるような感触に哄笑したアジーダと歓喜に満ちたヤトのじゃれ合いは続く。
二人が遊んでいる最中、ミトラの呼び寄せた走狗達はもう数体しか残っていない。
神官達は手傷を負ってなお勝ち誇るも、次の瞬間に顔を引き攣らせた。
ミトラは再び空に円を描いて二度目の走狗召喚を行う。しかも今度は三百体はいる。神官達の士気は高くとも、この物量差には冷や汗を流す者が出る。
「さっ、お代わりはまだまだ沢山あるわよ」
「暇だから次は儂も混ぜろ」
クシナは口から灼熱の炎を吐いて、狗面を百体以上消し炭すら残さず焼き尽くした。
ミトラも炎を浴び、慌てて叩いて燃え移った火を消す。そして彼女は珍しく不機嫌な顔をして抗議する。
「ちょっと、髪が焦げちゃったじゃないの」
ミトラは自らの黒髪を摘まんで焦げて縮れてしまった先端を見せつける。
普通なら竜の炎を浴びて髪が焦げる程度で済むのはあり得ないほどの幸運か何かしらのカラクリが必須だ。
クシナは初めてミトラに興味を持った。己の炎は何人たりとも耐えられないはず。最愛の番でさえ避けるか剣圧で逸らすしか生き残る術は無い。にも拘らずこのメスは直撃を食らっても髪が焦げるだけで済んだ。
よってこれはある種の屈辱ないし、挑戦状と受け取った。
「焼けないなら焼けるまで焼いてやる」
「貴女、旦那に似てきたんじゃないの?」
以前ヤトが殺せるまで斬り続けたのと同じような言葉を吐いたクシナに呆れを感じた。
そこに焼き殺される恐怖心は微塵も無い。どうせ多少焼けるだけで己を殺せる筈が無いという確信があった。
今も走狗を纏めて数十は焼き払う吐息を受けても煤が付いただけだ。それでも盗賊を遊ばせて儀式を邪魔させたくないから、生き残った狗共に相手をさせて時間を使わせれば十分役に立つ。後はこの蜥蜴モドキのやんちゃ娘を適当にあしらってやればいい。
「さあ私達も祭りを楽しみましょうね」
どうせ己を滅するような存在などこの世にありはしない。古竜とてちょっとした遊び相手でしかないのだ。