第6話 剣より酒
灼熱の太陽が砂の海に沈む。
赤い夕陽が黄金の砂に消えていく様は何度見ても美麗としか言えないとカイルは感じ入った。隣にはローゼが座っている。
二人は村を囲う岩壁の上で仲良く夕陽を眺めていた。
「あ~砂漠に沈む夕陽は何度見ても綺麗だなぁ」
「砂漠以外の夕陽は綺麗じゃないの?」
「そんなことはないけどさ、見渡す限り砂と岩しかない世界は今まで見た事無かったから」
「あたしはミトラ先生が話してくれた、いっぱいの花畑を見てみたいな。砂漠にはサボテンの花ぐらいしか咲いてないし」
ローゼは少し悲しそうに心に秘した望みを告げる。言われてみれば多感な少女が生まれてから碌に花も見ずに過ごしているのは辛いだろう。
カイルはせめて花ぐらい見せてあげたいと思い、自分に何かできないか考える。
友達が物思いに耽って放っておかれたローゼは途端に不機嫌になって頬が膨らむ。何とか気を引いてやろうとしたが、その前にヤトが壁の上まで登って声をかけたので思い留まった。
「二人とも、もうすぐ祝宴が始まりますよ。早く降りてこないと御馳走が無くなってしまいますから」
既に脂の焼ける香ばしい匂いが立ち込めており、二人の腹の虫がグルグルと鳴り響いた。ローゼはすぐに立ち上がってカイルの手を引っ張って村に降りていく。まだまだ食い気の方が強い子供なのだろう。
ヤトも一人上で黄昏ていても仕方が無いので後を追って村に降りた。
村の中心には篝火が焚かれて、敷き詰められた布に村人がそれぞれ座っている。鄙びた村でも百人程度は居るので意外と狭く感じる。日も落ちているので日差し避けの布は全員脱いでおり、一様に褐色の肌を晒していた。
ヤトとカイルは同じ客人のミトラとアジーダの隣に座る。既に座っていたクシナは焼かれている羊にしか意識が向いていない。
ロスタは給仕として村人に杯や皿を配っていた。実は村の女衆と一悶着あって、大事な客人に宴で働かせるのは断られた。しかし当のロスタが自分はただのゴーレムであって人ではないと主張して、仕方なく折れた女達は簡単な仕事を任せるようになった。
長のサロインが焼けた羊を切り分けて皿に乗せている。一般に肉の配分は長かそれに近しい役職の仕事だ。これを仕損じると仲違いの原因になるぐらいに重要な仕事だった。フィレとミートは窯で焼いた薄いパンを皿に盛っている。
実はこの村では肉よりもパンの方が重視される。何しろ水の貴重な砂漠では育成に多量の水を用いる穀物は羊よりもずっと貴重だ。
その貴重な小麦を挽いて羊の乳から作ったバターを混ぜて香ばしく焼き上げる。村では祝いの席にしか作らない特別なパンだ。
一先ず肉とパンを全員に配分したサロインは仰々しく演説を始める。
話の内容は割愛する。村人は御馳走に目を奪われて誰もサロインの話など聞いていない。ミトラの話では元々毎年同じ事しか言わないから聞き飽きたとの事だ。精々ヤト達がいるぐらいしか話に変化が無かった。
「―――――――というわけで、明日から三日間は豊穣神への祭事の準備に取り掛かる!今宵は存分に楽しんで英気を養ってくれ。では乾杯!!」
ようやく長い話が終わり、村人達は清々したとばかりに杯をあおる。
ヤト達もそれぞれ口を付ける。中身は初めて飲む味だったが甘く爽やかな美味さがあった。
「おおっ!甘くて美味い」
「これはサボテンを絞ったジュースよ。砂漠でしか味わえない珍味ね」
クシナが喜んで杯を空にしたのを見て、ミトラが説明しつつ新しくジュースを注いだ。
ヤトもジュースで口を潤して香ばしく焼いたパンを頬張る。こちらはバターが使われていて濃厚な味が良い。
隣のアジーダは羊肉を食らいつつグビグビと酒をあおる。この酒はワインやビールと違い、砂漠に生える草を発酵させた砂漠でしか口に出来ない酒らしい。
「お前とこうして座って酒を飲むとはな」
「僕は剣を斬り結ぶ方が好みですよ」
そっけないヤトにアジーダは笑みを返す。挑発的な物言いだったが本音を言えばヤトも今すぐアジーダと殺し合う気は無い。今は村の為に共に肩を並べて戦う同僚だ。戦うのは祭事が終わってからでも遅くはない。
祝宴は盛り上がりを見せ、村人たちは打楽器を持ち出してそれぞれ演奏しては歌い、若い男女は踊りを始めていた。カイルもローゼに手を引かれて踊り出す。田舎の村の祭りらしく誰も飾らず、楽しさを優先した素朴な舞踊だ。洗練されていない芸能だからこそ歌や踊りは自己を主張する雄弁な手段となる。
別の場所では男達が腕相撲を始めて、負けた方が杯の酒を飲み干す罰を受けていた。盗賊に襲われている村とは思えないほどに平和な光景だった。
今は大柄な男が三人抜きをして力こぶを作って己の怪力を誇示していた。
負けた男達は何とかして勝者をへこましたいと思ってアジーダに目を付ける。彼等はアジーダにも参加してほしいと頼んだ。
しかしアジーダは頼みを断ってヤトを推す。
「短い間でも村の者と親睦を深めておくのは必要だぞ」
「はいはい、仕方が無いですね。じゃあちょっと行ってきます」
ほんの数日だけ居座る身でしかないが祭りの出し物に付き合う程度は構わないだろう。
村の力自慢は今日来たばかりのヤトを見てニヤニヤしている。大柄な男にとってヤトは華奢な優男。軽く一捻りして酒をたらふく飲ませてやるのが歓迎の証だ。
ヤトが椅子に腰かけてテーブルに腕を乗せて相手の男と腕を組んだ。男の腕はヤトの倍近く太い。
審判役の年嵩の男が開始の声を上げるが両者はピクリとも動かない。外野から早く動けとヤジが飛ぶが、一向に二人の腕はテーブルの中央に留まったままだ。
「ぬおーー!!」
力自慢が雄叫びを上げて腰を浮かせてもヤトは涼しいまま。この様子にはさすがに周囲もおかしいと気付いて騒ぎが小さくなる。
そして周囲が静まり返った頃、ようやくヤトが腕を倒し始めて、ゆっくりと男の手の甲がテーブルに付き、力自慢の村人はひっくり返った。
「嘘だろぉ」
「何かの間違いだ!今度は俺がやってやる」
別の男がヤトに挑んだものの、やはり全く相手にならずに負けてしまい杯を空にする羽目になった。
こうして次から次に挑戦者が腕相撲を挑んだが誰一人として勝てずに全員酒をたらふく飲まされた。中には二度三度と挑むがやはり結果は同じで、泥酔して嘔吐する者が溢れた。
ヤトは男達から賞賛を受けても何の感慨も感じない。勝って当然の勝負など何の価値も無い。強者と命懸けで戦ってこそ充足感が得られる。
そこでふと思い至る。己が最強であることを納得するために剣を振るう生涯だったが、実際に最強と確信した妻のクシナと戦い納得した後は『なに』と戦えば充足感を得られるというのか。
竜の血を得て不確かになった寿命の限りあるままに世界を旅してまだ見ぬ強者を当てもなく探せばいいのだろうか。あるいはクシナとの間に作った子を鍛え上げて戦えば良いのか。幻のように実体の無い未来を想うと途方に暮れてしまう。
物思いに耽るヤトに背からアジーダがどうしなのかと声をかけた。
「――――どうした?何をそんなに悩んでいる」
「アジーダさん……貴方は強くて殺しても死なないですが、貴方以上に死なない方を誰か知ってますか?」
「強いのは知らんが殺しても死なないのならあの女だぞ」
「ああミトラさんですか。なんなんですかね、あの人」
普通なら百回は殺しているはずなのにかすり傷一つ付けられなかったミトラを思い出す。自分の生涯でも数少ない、良いようにあしらわれた不愉快な経験は忘れられるものではない。
「それを本人に言っても女は謎が多い方が魅力とかなんとか言って煙に巻くから無駄で俺も答えない」
「ああ構いませんよ。答えが知りたくなったら剣で済ませます」
「ははは!お前が是非そうしてくれれば俺も腐れ縁が切れて万々歳だ!」
じゃあ何で一緒にいるのか。そう聞いたところでどうせ答えないだろうから適当に流した。
アジーダ達は血縁には見えない、仲が良いとは言い難い。しいて言えば雇用契約を結んで仕事上組んでいると言えばいいのだろうか。その上で薄くとも決して切れそうにない縁で結ばれている。というよりヤトには縛られていると言った方が近い間柄に見えた。
「ま、冗談だがな」
アジーダは笑ってごまかした。幸い周囲は泥酔している者ばかりで不穏な会話は誰も耳に入っていない。よしんば聞いていたとしても酔っ払いの戯言と笑ってすますだけだ。
そして彼は転がっている杯二つを手に取って酒を注いで片割れをヤトに渡して自分の分を一気に空にした。
仕方なくヤトも好きでもない酒を飲み干した。ただ、不思議と美味いと思った。
「俺とまともに遣り合えるお前とならまた飲んでも良いと思ってるぞ」
「次は剣でなら応えてあげますよ」
アジーダはあくまで酒より剣をとるヤトに笑みを向けて背を向けて広場の方に戻って行った。
一人立つ尽くすヤトは空を見上げて一度祝宴に戻った。