第22話 身から出た錆
ラース家を攻め滅ぼして領地を併合したヒュロス家当主のシノンは、戦の後始末を家臣に任せて直衛の部下を連れてすぐさま南に向かった。
その目的は≪タルタス自由同盟≫が実効支配した土地を正式に自らの領地に組み込むためだ。これによりラース領と含めてシノンの領地は一気に三倍以上の広さになり、トロヤの街という経済的に裕福な交通の要衝を手に入れて、タルタス国内でも指折りの勢力となる。
南下軍には当然だが当事者のタナトス達が付き従い、オットーの父パリスも家臣と共に付き従った。やはりと言うべきか、娘のエピテスの安否を直接確かめねば不安なのだろう。
困ったのはタナトスだ。拷問によって大事な娘が心を壊されたのを知ったら、パリスが態度を変えてこちらを殺そうとするのではないかと危惧している。ヤトやクシナなら容易く返り討ちにできるだろうが、同陣営での政治的対立は出来れば避けたい。道中のタナトスの頭はどうやって穏便に事を納めるか考えるので忙しかった。
タナトスの悩みとは関係無しにシノンの軍は領地の主だった村落に顔を出して、自らが新たな領主と印象付けを繰り返し行った。一応どの場所でも≪タルタス自由同盟≫の主張する『不当な差別の廃止』は肯定して、広大な領地を寄進した自由同盟への気遣いは忘れなかった。
そうして七日の行軍の果てにシノン軍はトロヤの街に辿り着いた。
街の様子はヤト達が出て行った時と少しも変わっていない。むしろ前より活気に満ちているようにすら思われる。それはシノンを先頭にヒュロスの兵が姿を見せた事でより顕著なものとなった。
住民は王族の登場に諸手を上げて歓迎の意を示し、公然と≪タルタス自由同盟≫の支配から解放された事を喜んだ。
当然と言えば当然だろう。どれだけ行儀良く振舞った所でタナトス達は力で住民を抑え付けて、この国の常識の亜人差別を否定した。それは神に唾を吐く大罪としか思えない凶行だ。そのような支配からシノン王子が解放したように見えたのだから住民の好感も天井知らずだった。
中には≪自由同盟≫から奪われた亜人奴隷や財産を返してほしいと頼む貴族も居たが、シノンは曖昧に返事をして即答を避けた。
民の自発的な歓迎の中、シノンはタナトスの先導でかつての領主コルセアの屋敷に足を踏み入れた。
「ここがお前達の根城か。悪い所ではないな」
シノンの呟きは屋敷の事ではなく、亜人も人間も関係無く笑い合って働く自由同盟の者の事を指していた。彼とて亜人差別が当たり前の環境で育ったが、それ以上に身内同士が血で血を洗う王宮という魔窟で育った身としては、生まれも種族も異なる集団がこうも肩を並べて和気あいあいと過ごす光景を見ると思う物がある。
タナトスは留守を預かった同志に屋敷をヒュロス家に明け渡す事を告げた。当然ブーイングの声は大きかったが、意外と反発は少ない。実は街の住民から敵意のある視線を向けられ続けて、いい加減引っ越しをしたいと思っている者が多かったのだ。
そういう訳で屋敷の引き渡しは決定事項だったが、引っ越し先と捕虜のコルセア親子の処遇が問題になった。
「引っ越し先は我が領地の古城の一つを褒美としてお前達に渡す。元領主の親子は多少は使い道がある、私に寄越せ」
「仰せのままに」
普通広大な領地と古城一つでは割に合わないが、タナトスは不満に思わず粛々と受け入れた。
そしてシノンの命令でかつて栄華を享受したコルセア親子が牢から出された。親子は二か月余りの監禁生活で弱っていたが、まだ自力で歩ける程度の体力は残っていたので杖を突いて久しぶりに日の当たる場所へと連れてこられた。
シノンは碌に風呂に入っておらず髭と髪が伸び放題で悪臭のする二人に内心悪態を吐いたが、表には出さずに謁見の間でにこやかに出迎えた。
コルセアは最初、勝手に自分の椅子に座る男を怒鳴り付けようとしたが、すぐに何者か気付いて慌てて頭を下げようとするが、上座の王子はそれを制して椅子に座るように勧めた。
「前に会ったのは私の息子が生まれた時の祝いの席だったか?もう十年も昔になるかコルセアよ」
「シノン殿下でございますか!?お懐かしゅうございます!このようなむさくるしい身なりで、お目汚しを恥じるばかりでございます」
「よい。お前の苦境はおおよそ知っている。今だけはその無礼も許す」
コルセア親子は突然の身柄解放と王族訪問とで感極まって人目を憚らずに涙を流す。
暫くした後、二人は落ち着きを取り戻し、何があったのかを尋ねた。
「叛徒が私に頭を下げて、ここら一帯の領地を手土産に慈悲を乞うてきた。よって許しを与え、そこのタナトスを私の家臣として取り立てた。むろん忠誠を誓えば配下の兵に至るまで咎めはせぬ」
「ありえない!それは明らかな詐術でございます!!ましてどこの誰とも分からぬ叛徒を召し抱えるなど、殿下の身を穢す所業にございます!!」
「そうです!!私の右腕を切り落とし、父共々穴倉に閉じ込めた輩を侍らすなど畏き王族に相応しくありません!!どうかご再考の後、厳しい刑罰をっ!!」
息子のブリガントは単に二か月の監禁と斬られた右腕の恨みでタナトス以下組織全員の処断を求めたが、コルセアは≪タルタス自由同盟≫の蛮行以上に先祖伝来の土地を奪い取った挙句、勝手にシノンに献上してしまった事の撤回を望んでいた。
二人は猛烈な勢いでシノンの決定を覆そうとするが、当人は柳の如く柔軟に受け切って即答を避け、決して折れる素振りを見せる事は無い。
「二人の言は尤もだ。よく吟味する故、今しばらくは身体を労わるが良い。その間、この領地は当家が責任をもって統治しよう」
「はっ……いや、それは―――」
「不服か?」
「い、いえ滅相もございません!殿下に治めていただけるとは望外の喜びにございます」
「では下がって英気を養うが良い。―――――なんの心配もするな」
両者の会談はひとまず終わり、コルセア親子はシノンの腹の内を危惧しつつ、これから屋敷の一室で長い療養に入った。
――――――同刻。
パリスは自身に抱き着く娘エピテスの変わりように困惑を隠せない。
「とーさま、おみやげはないのー?」
「あ、ああ。次は何か持ってこよう。お前の好きなメイプルシロップのケーキはどうだ?」
「やったー!あたしケーキだいすきー!!カイルもいっしょにたべよーね」
最近加齢臭がすると言って近づくのを避けられていたのに、今はそんな事も無く両手を背に回して抱擁をしてくれる。余程捕虜生活が心細かったのだろう。
着ている服は貴族の装いと違い、そこらのメイドが着るような粗末なものだ。きっと無理矢理着せられているに違いない。
言葉遣いも妙に舌足らずで幼さを感じるが娘はまだ十五歳だ。親の半分も生きていなければこんなものだろう―――いや、それはない。
おまけに友人と称してエルフの少年を紹介するなどお父さんは赦さないからな。
「君は娘の様子が変わった理由を知っているのかね?」
「えっ?いや、ははは。なんでかなー」
カイルは笑って誤魔化そうとしたが、パリスの洞察力が何か知っているどころか関与していると告げていた。
さらに後ろに控えていたロスタが思いっきり関係あるとバラして主人を売った。
「おいいい!!!」
「てへぺろ♪」
「詳しく話してくれるかねカイル君?」
「どうやらエピテスの御父上は忙しいようですから、私と部屋で遊びましょう」
「はーい、おかあさま」
ロスタはエピテスの手を引いて屋敷に行ってしまった。残された主のカイルは良い笑顔で詰め寄るパリスにかつてない恐怖を抱いた。
それでもカイルはどうにか事のあらましを告げた。
説明を聞き終えたパリスは無表情のまま目だけを細めて、務めて冷静に口を開く。
「―――――――では尋常な立ち会いの末に負けて衆人観衆のもとで粗相をしたのを恥じて、ショックのあまり幼児のようになったと?」
「多分そうだと思う。本人に聞ける状況じゃないから断言は出来ないけど」
「そして君は多少なりとも罪悪感を抱いて、時折娘の世話を焼いたら懐かれた」
「そう……なるのかなぁ。自信無いけど」
カイルは思いのほか冷静に説明を終えた。自分に都合の悪い拷問失敗の事は削り、あくまで正々堂々戦士として戦った末にエピテスが心を壊したと。
嘘は言っていない。ただ十の内、二~五までを意図的に伏せて、一と六~十を述べただけだ。幸い当人はあの状況で、真相をある程度知っている弟のオットーは顔を晒せない。だから多少不審な点があっても説明に齟齬は無いのでパリスも見抜けない。
パリスは苦悩する。大事な娘を壊した相手が目の前に居ても、それは一対一で堂々と戦った末の事故に近い。本来なら単身二人で敵地に乗り込んで負けた時点で殺されていても文句は言えない。むしろ今の処遇は温情さえあると言える。それでも許せない気持ちも確かにある。だからこそ相反する感情を持て余していた。
「――――こういう時の解決策は一つしかないか」
パリスはぽつりと呟いて、唐突にカイルの端整な顔に拳をぶち込んだ。
いきなり殴られたカイルは尻もちをついて呆然としたが、頬の痛みで意識を取り戻し、何をすべきか理解した。
そして立ち上がって、距離を詰めて右のジャブで牽制しながら左拳で死角から顎をかち上げる。
殴る殴る殴る殴る殴る殴る殴る殴る殴る殴る殴る殴る殴る殴る殴る殴る殴る殴る殴る殴る殴る殴る殴る殴る殴る殴る。
二人はただただ互いの顔を殴り殴られ、倒れては立ち上がり、無言でまた殴る。
互いに武器は持っていても触れる事もせず、肘も足も使わず、回避どころか防御すらしない。泥臭く足を止めてひたすら両の拳のみで殴り合った。
三十を超える拳を食らい、二人とも息が上がっている。
しかしカイルはまだまだ平気に見えるが、パリスの方は明らかに足がふらつき目の焦点が合っていない。これは神代エルフのカイルの方が肉体的強度に優れていて、体格が劣っても人間のパリスより打撃力に優れているためだ。
よって同じだけ殴られても先に根を上げるのはパリスだった。カイルはそれが分かっているから首を横に振って降参を勧める。
「まだまだっ!まだ終わってないぞ!!」
切れた口内に溜まった血をツバと一緒に吐き出して喧嘩の続行を求める。そこに居たのは貴族でも何でもない、娘を壊した男に恨みをぶつける一人の父親がいるだけだ。
技術も何もないただ怒りと精神だけで肉体を凌駕した哀れな父親はがむしゃらに殴りかかり、反対に殴られ、五十を超える拳の応酬の末、最後は力尽きて地に伏せた。
「その………ごめん」
カイルは腫れ上がった唇から流れる血を袖で乱暴に拭って、倒した男に謝罪の一言をかけるしか出来なかった。