天使との出会い
「今日はぁ、人間を見つけたから、人間発見記念日ね」
「ああ、そうブヒね。人間の肉はふたりで一緒に捌くブヒ」
「ええ~。これがふたりの、初めてのぉ、共同作業よねぇ」
やべぇ、ムカつく。
今自分が追い詰められて身の危険が迫っているのは分かるんだけど、めちゃくちゃぶん殴りたくなってきたぞこいつら。
「お前ら……いい加減にしろよ」
あまりの腹立たしさに眉間にしわが寄るのを止められない。
こっちは恋だのなんだので追い出されて、挙句の果てにはイチャコラした魔物に命を狙われようとしている。
これにムカつかずにいられる人間などいるのだろうか。いいや、いるわけがない。
「こちとら色々あって虫の居所が悪いんだよ! 豚は豚らしく、丸焼きにでもなりやがれ!」
「おお、怒った怒ったブヒ」
「もしかしてぇ、アタシたちの仲の良さに嫉妬してるのぉ? それはごめんねぇ」
オーク共がブヒブヒと汚い哄笑を上げる。
完全に調子に乗ってやがるな、あいつら。
「マイハニー、早速だけどあれをやるブヒ!」
「了解よ、マイダーリン!」
示し合わせるように顔を見合わせて、頷き合う。
何かを仕掛けてくる。
警戒して盾を構える俺の前で、オークバロネスが尻をぷりぷりとこちらに見せつけてくる。
そんなだらしない尻で、こちらの油断を誘えると思っているなら大間違いだ。
そんな考えが過ったとき、その尻を踏み台にしてオークバロンが飛び乗り、空高く飛び上がった。
「これがハニーとの合体剣技、名付けて《フォーリンラブ・ダウン》ブヒィ!」
「……っ」
呆気に取られる俺の真上で、オークバロンがくるくるとその巨体を回転させ、肉切り包丁を振り下ろしながら、流れ星のように急降下してくる。
驚かされはしたものの、盾役としての経験が馴染んだ身体は、考えるよりも先に動いていた。
俺はしっかりと大地に足を踏みしめ、盾を頭上にかざし、激突した。
剣と盾がぶつかり合い、激しく火花を散らす。
「ほぉ? 人間のくせにオイラの一撃を受け止めるとはやるブヒね」
ひゅう、とオークバロンが愉快そうに口笛を吹く。
奴の全体重の乗った一撃なだけあって、なかなか重たい。
だがこの程度ならまだまだ――
「背中がぁ、お留守よぉ」
――間延びした声に気づいたとき、背中に、鋭い痛みが走った。
「がはぁ……っ!?」
耐え難い激痛に、崩れ落ちる。
刺されたのだとすぐに分かった。俺の血が、地面を真っ赤に染め上げていた。
痛みをこらえ、目を開けると、オークバロネスが俺を見下ろしていた。
「さすがオイラのマイハニーブヒ。冴えているブヒ」
「そんなことないわよぉ。ダーリンが注意を惹きつけてくれたおかげよぉ」
刃から滴る血から察するに、オークバロネスは音もなく忍び寄り、肉切り包丁で俺の背中を斬りつけたのだ。
クソが……奴ら、最初から不意を打つのが狙いだったのか!
「くそったれ……こんな、ところで」
死にたく、ない。今すぐにでも逃げ出したい。
しかし……今の俺にその体力はもう残されていない。
腹から血が流れ落ちていく。視界が朦朧とする。
さっきから手足に力が入らないのだ。
「ブヒヒ! 今日の晩飯は、寂しい寂しいひとりみの人間のオスブヒ!」
肉切り包丁を擦り合わせる、耳障りな音が聞こえる。
オーク共の足音が近づいてくる。
死が迫る。
「ねえ、ダーリン。アタシがトドメ刺したしぃ、そいつアタシに捌かせてぇ」
「いいともブヒ。マイハニーの手料理がちょうど食べたかったし、楽しみブヒ!」
見せつけるかのように、ブタどもが口づけをし出した。
こら、死に際にイチャつくな! キモいんだよ!
そう叫んだつもりだが、俺の喉からはひゅうひゅうと声にならない声が漏れ出るだけ。
もう、どうすることも出来ない。
盾役ひとりで出来ることなど、たかが知れているのだ。
……畜生。
どうせなら美少女の胸の中で甘やかされながら、死にたかったなぁ。
「斬って捌いてこんがり焼いて、まるっと美味しく召し上がれぇ!」
オークバロネスが肉切り包丁を掲げて、振り下ろそうとしたそのとき。
「――《|魔の物よ、今すぐ立ち去りたまえ《フィアー・モンストローム》》!」
突如、空から光の流星群が降り注いだ。
この辺り一帯が丸ごと消し飛んだかと見紛うような光の絨毯爆撃に、思わず目をつぶった。
な、なんだ……これは神聖魔法!?
何が起こっているかは分からない。
分かるのは、目を焼くようなまばゆい光が弾けたこと。
真っ白な大洪水の向こう側から、オーク共の苦しむ声が聞こえる。
恐慌状態に陥ったオーク共が、この世のものとは思えない甲高い叫びを上げながら、走り去っていく。
この光は目も開けられないくらい眩しいことを除けば無害ではあるようだが……人ならざる者ならば、この光は精神的な責め苦を発揮したに違いない。
だが、仮にも上位種の魔物の精神を揺さぶるなど、並大抵の魔法使いに出来ることではない。
一体どこの誰が……?
そんなことを考えていると。
背後から、土を踏みしめる音。
「ふう、どうやら上手く逃げ出してくれたようですね」
鈴を転がすような声音。
残された力を振り絞り、顔を上げると……そこには人がいた。
まず目に映るのは、腰まで垂れさがるプラチナブロンド。
それが風に吹かれて揺れるたびに、くらっとくるような甘い匂いが漂ってくる。
「どうなることかと不安でしたが……豚さんたちが臆病でよかったです」
ふう、と安堵に胸を撫で下ろす、年若い少女は。
――人間であるはずなのに、造り物めいた美しさがあった。
軽々しく触れてしまったら壊れて、消えてなくなってしまうんじゃないかという恐れを俺に抱かせた。
整った綺麗な眉。
すっきりとした鼻梁。
果実のように小さくて柔らかな唇。
蜂蜜をとかしたようなきらめく黄金の髪。
手には白木の杖が握られており、魔法使いを生業としていることが窺える。
全身をすっぽりと覆い隠すような灰色の外套。
そのコートを大きく押し上げた胸元は、平時ならばとても目のやり場に困るものだったろう。
けれど俺は、瀕死の重体だというのに、その美しい光景から目を離せずにいた。
「天使、だ……」
ごぼっと血を吐いた。
身体から血が流れるたびに魂が抜け落ちていく感覚がある。
「おれ、を……死の淵から救ってくれた、てんし、だ」
少女が何事かを叫びながら、血相を変えて走り寄ってくる。
よく聞き取れない。
そんな、ことより。
眠い。
猛烈な眠気が押し寄せて、くる。
そこで俺の意識は。
途切れた。