俺VS自分をトアちゃんの仲間だと思い込む精神異常者
「最初からきな臭えと思ってたんだ。どうにもお前が気にくわねえとな」
俺はカトリーヌと初めて顔を合わせたとき、奴から漂う嘘のような臭いを最初から感じ取っていた。
それが何かまでは分からなかったが、これでようやくはっきりした。
「やっぱり化けの皮を被っていたか」
「何のことか、あたしにはさっぱりなのー」
「今さら言葉を可愛く取り繕ったところで無駄だ。さっきから声が男のままだぞ、カマ野郎」
「……平民風情が、このあたしに向かって偉そうな物言いをするのねー。死刑にされたいのー?」
カトリーヌが眉間をひくつかせる。
今まで女のような声と顔を保っていたのは、魔法による調整だろう。
その魔法も、トアさんの血を吸った拒絶反応で解けてしまったみたいだが。
多分、領民の多くはあの可愛らしい見た目に騙されている奴もいるだろうし、真実を知ったらきっと暴動が起きるだろう。
「気をつけてください、ティーさん! カトリーヌちゃんは吸血鬼です!」
「吸血鬼だって? でもトアさん。あいつ、陽の下を普通に歩いていたけど……」
「ただの吸血鬼とはわけが違います。《陽の下を歩く者》っていう日照耐性持ちの、高位吸血鬼なんです」
「なんだそりゃ……」
何でそんなやべー奴が領主なんてやってんだ。一番、権力をもたせたら駄目な奴に権力を持たせるとか気が狂ってるようにしか思えない。
王国側はカトリーヌの正体に気づいてないのか?
それとも王国側が何か弱みを握られているのだろうか?
まあ、今考えることじゃない。
考えるべきは、この場をどう切り抜けるかということだ。
ここから逃げ出すか? ……いや、駄目だ。
もし俺たちが上手くここから逃げおおせたとしてもカトリーヌには領主の権力という最大の武器がある。
奴は金と権力を最大限に行使して、俺たちを追い詰めることが出来る。
手勢の兵士に追跡させたり、領主を襲った指名手配犯として主要都市に張り出したり。
そんな強大な相手に、何の後ろ盾もない俺たちがまともにやり合っても敵うはずもなく。
物理的にも、社会的にもじわじわと削り取られ。
やがて精神的にも肉体的にも、疲弊しきったところを一気に踏み潰される。
しかもカトリーヌは高位の吸血鬼で、単独でもかなりの戦闘能力を有している。
それだけでも厄介だが、幸いなのはトアさんの血を口にした拒絶反応でかなり弱っていること。
つまり――
「叩き潰すには、今が最大の好機というわけか」
「あなた面白いこというのねー。叩き潰される、の間違いでしょー?」
カトリーヌが微笑を浮かべる。
あんなぼろぼろになっても闘志が衰えないのは、よほど己に自信があるのだろう。
これは厳しい戦いになりそうだ。俺はトアさんへと振り返る。
「トアさん、下がってて。あのカマ野郎との決着は俺につけさせてくれ」
「でも……」
「頼む、分かってくれ」
「わかりました」
トアさんはまだ何か言いたげだったけれど、柔らかな唇をきゅっと噛みしめて、
「ティーさん。信じていますからね」
後ろに下がってくれる。俺に全幅の信頼を寄せると言わんばかりに。
俺はそれを見送ってから、カトリーヌと睨み合う。
「ところでさっきから聞きたかったんだけど、そのカマ野郎っていうのは何? もしかしてこのあたしの美しさに嫉妬してるのー?」
「そんなわけあるかよ。気持ち悪い」
「なぜ? それはあたしが男だから? 男のあたしが可愛くなろうとするのがいけないって言いたいの?」
「そんなこと言ってるんじゃねえ。可愛く着飾ったり、女装したり、美しくあろうとするのを否定したいわけじゃない」
そんなものは本人の自由だ。男だろうと女だろうと関係ない。なるようになればいい。
「けどな、それを周囲の奴らに無理矢理言わせるのは違う。お前のそれは押しつけだ!」
「なぜ? あたしは美しいの。だから領民たちは褒め称えなければならないの。あいつらを守ってやってるんだから、その義務があるの」
呆れた奴だ。この期に及んでまだ分かってねえとは。
「トアちゃんを見ろっ!」
「ええっ、わたしですか!?」
いきなり矛先が向いたことにトアちゃんは困惑している様子だ。
そこが彼女の良さだ。
だからカトリーヌの奴にも分からせなければならない。
「トアちゃんは可愛い! だからお前も彼女の可愛さに目をつけて攫ったんだろう?」
「うん、あたし美しい女の子の血しか飲めないの! ブスや男の血なんて豚以下なの!」
俺はトアちゃんと知り合って間もない。
だから彼女の全てを知っているだなんて口が裂けても言えないし言うつもりもない。
それでもこれだけは分かる。
「トアちゃんは自分を可愛いとは思っていない。けどな、それでも可愛いんだ! 偽物のお前と違ってな!」
「偽物……ですって? このあたしが?」
カトリーヌの表情が凍りつく。
「ああ、トアちゃんこそ本物だ! それがお前とトアちゃんの違いだ!」
「あなた……バカなの? さっきから言ってることが頭おかしいの」
「違う、おかしいのはお前だ」
「訳の分からないことを言うんじゃないの。そんなの、納得できるわけないの!」
カトリーヌが表情を失う。怒りに満ちる。
「あなた、お名前は!?」
「……名前?」
「これは殺し合いの場、いわば決闘に他ならないの。だから名乗りを上げるのが礼儀ってものなのよ!」
聞いたことがある。
戦場において将軍や名うての騎士が決闘をするとき、互いに名乗りを上げる風習があるのだとか。
つまり奴はそれだけ本気で俺をぶっ殺したいってわけか。
……よく熟考した末に、俺は叫ぶ。
「俺は無職のテオドール。いずれトアちゃんのヒモになる男だ!」
「あたしは《八魔将》が一人! 《鮮血夜叉姫》カトリーヌ=マルセナ=フォン=モルディアナ!」
俺は盾を構える。カトリーヌは短剣を取り出す。
特殊な魔道具かと思って警戒したが、市場でも売られているような至って普通の短剣だ。
しかし何を考えてか、カトリーヌは短剣を自分の腕に突き刺した。
「なっ!?」
自分で自分を傷つけるという突然の凶行に、足が止まる。
奴の腕からぼたぼたと血液が床に流れ落ちていく。
気でも狂ったのか?
面食らう俺に、カトリーヌが勝ち誇ったように叫ぶ。
「あたしはここから動かない。動く必要もない。その前に、全てが終わるの」
カトリーヌの声と共に、奴の血の一滴一滴が宙に浮かび上がり、寄り集まっては何かの形を取り始めた。
――剣だ。
奴の血液が剣になった。しかも一本や二本とかいうレベルじゃない。
百本、二百本――それ以上の剣に俺は取り囲まれていた。
そうか。
このために奴はわざと血を流していたのか!
「鮮血魔法《血の雨》!」
カトリーヌの号令のような詠唱が響き渡った瞬間。
無数の剣が、雨のような勢いで降り注いだ。
「テオさん、おやすみなさい、なの!」
「ぐっ……!」
必死に走り回って避けていく。
俺を葬り去るためだけに、周囲一帯を無差別に狙った範囲攻撃。
現に、屋敷中の床や壁にものすごい勢いで穴が空けられていく。
同時に、俺の両膝も刺し貫かれていく。
――避けられるかよ、こんなの! 反則技にも程がある!
絶望に崩れ落ちる。
霞む視界の中、頭上から迫り来る剣が見えた。
「ティーさん……!」
トアちゃんの悲鳴に、はっとなる。
俺は回避を諦めた。
その代わり、咄嗟に盾を頭上に掲げた。直後に降り注ぐ血の刃。頭部を庇うだけで、精いっぱいだった。
盾はでこぼこにひしゃげ、あちこちに大きな亀裂が走った。やはりこの程度の盾では防ぎきれない。
貫通した斬撃が、俺の両腕をずたずたに切り裂いていく。
――けれど、これでいい。
成る程、カトリーヌは今まで魔力にものをいわせて安全な距離から敵を倒してきたのだろう。たしかに奴の攻撃は激しい。しかも先手必勝だからこそ負けることはまずない。
だが、いずれこの攻撃に終わりはやってくる。俺はただ、それまで耐え凌ぐだけでいい。
どんなに身体がぐちゃぐちゃになろうが、脳さえ無事ならそれでいい。
――死ななければ、どうとでもなるのだ。
果たして俺の予感は的中し、奴の攻撃がぴたりと止んだ。
盾を放り捨てる。
床を蹴り上げて、奴との距離を詰める。
立ち込める煙と砂埃の向こう側。
表情を驚愕に歪めるカトリーヌの姿をとらえた。
「あ、あなたっ!? なぜ生きて――」
カトリーヌは慌てながらも、魔力障壁を展開。
俺は左手をかざし、
「《火炎球》!」
ぱりぃんとガラスの割れるような音が響く。
爆炎が吹き荒れ、おかげで俺の左手は黒焦げになったが、その甲斐もあって奴の魔力障壁を破壊することに成功。
理解が追いつかず棒立ちになるカトリーヌを前に、俺は右拳を握りしめ、
「何がおやすみだ! お前が永遠の眠りにつけ!」
渾身の力を込めて、奴の顔面を打ち抜いた。
「ぐばあぁぁぁっ!!」
カトリーヌが血反吐を吐きながらくるくると吹き飛び、盛大に壁に激突した。
ころころと床を転がり、そのまま意識を失うかと思いきや、よろよろと起き上がった。
奴は血の混じった唾と折れた歯を吐きながら、ぼろぼろと泣き喚く。
「よ、よくもっ! よくも殴ったな、このあたしの顔を!」
「はっ。そっちの方がお似合いだぜ」
再びカトリーヌに魔力が集まろうとしているのを感じ取る。
さっきみたいな大規模魔法を二度も使われたらたまったもんじゃない。
……しかもやつは吸血鬼なだけあって、なかなかしぶとい。
吸血鬼に決定打を与えるには十字架と杭とニンニクだと昔から相場が決まっているが、生憎そんなものは都合よく持っているはずもない。
「ん……? ニンニク?」
ふと、食堂でトアさんと交わした言葉が脳裡をよぎる。
――このにんにく?っていうお野菜美味しいですね! お肉と一緒に食べると、とてもご飯が進みますー!
――そんなに気に入ったなら、持ち帰る? 焼きニンニク持ち帰れるみたいだけど。
――いいんですか! わーい!
俺はすぐさま自分の懐から壺を取り出した。食堂で店主から持ち帰った焦がしニンニクだ。
あるじゃないか! 吸血鬼の弱点が今ここに!
俺は蓋を開けると、ニンニクを握り潰し、両手にたっぷりと塗りたくり、カトリーヌめがけて走り出す。
「あ、あなたっ! こんなことしてただで済むと思ってるの? あなたのしでかしたことが、どういう意味か分かってるの!?」
「ムカつくカマ野郎を殴っただけだが、それがどうかしたか?」
「あたしの美貌はこの領民全員の命を代償にしても釣り合わないの! それが今、あなたの軽率な行いで失われたの! だからあんたなんか死刑なのっ! 死刑! 絶対に絶対に絶対に! 死刑にしてやるんだからぁっ!」
「……まだわかってねえみたいだな」
哀れだ。情けなくてこんな奴の姿など見ていられない。
いっそ息の根を止めた方がこいつのためだと思えてくる。
俺はさっきよりも強く拳を握りしめて。
カトリーヌの顔面を殴りつけた。
「ごばあぁぁぁっ!? その臭いは……ニンニク!? ど、どこからそんなもの取り出したのぉぉぉ!? ほんとさっきから何なのあなた! 何でもありなのぉぉぉっ!?」
よし、効いている。目に見えてカトリーヌが苦しみ出した。
このまま押し切る!
「自分で自分を可愛いとひけらかしているやつが! 本当に可愛いわけねえだろ!」
拳を振り下ろす。
構わず起き上がろうとするカトリーヌにさらに一撃。
まだ再生しきっていない左手でも、奴の顔面が変形するまで。
力の限り拳を打ちつける。
「そこがお前と、トアちゃんの差だぁぁぁっ!!」
背後で見守ってくれるトアちゃんの息遣いを感じながら――
何度も何度も殴りつけて、ようやく。
くたり、とカトリーヌの身体から力が抜けた。




