俺VSお肉あげるよおじさん
「ティーさん、ここ西通りですよ? カトリーヌちゃんが教えてくれた場所とは真逆のような……」
「知ってるよ。わざとそうしたんだ」
あれからカトリーヌと別れた俺たちは、モルディアナ西通りを歩いている。
どうやらここは主に商業区画として使われてるらしく、商人たちが盛んに客引きの声を張り上げている。
「なんでそんなことしたんです?」
「あんまりこの街に長居してはいけない気がしてな」
「? 変なティーさん」
トアさんは不思議ものでも見るような顔をする。
俺が本心を打ち明けなかったのは。
さすがにトアさんの前で、彼女が好意を持っているだろう相手のことを悪く言うのは憚られたからだ。
きっとトアさんは悲しい顔をする。俺は彼女にそんな顔をさせたくない。
「……」
それにしてもこのモルディアナとかいう街は落ち着かない。
……その理由は街のいたるところに設置されている領主カトリーヌの銅像だ。
金ぴかで、セクシーポーズを決めている銅像。
それ事態は趣味が悪いだけの置き物なのだが……なぜかその銅像の前を通るたびに、ねばりつくような異様な視線を感じるのだ。
――カトリーヌの銅像を通して、あいつが俺たち見ているような気がする。
そう、まるで街のどこにいてもあいつ《カトリーヌ》に見張られている気がして、ひどく居心地が悪い。
あのままカトリーヌに言われた宿を選んでいたらどんな目にあっていたんだろう。
……いや、いくらなんでも考えすぎか。
「あ、あの、ティーさん」
消え入るようなトアさんの声に振り返ると、ぱっと目を逸らされた。
どうしたんだろう?
まじまじとトアさんを眺めていると、頬がうっすらと赤みを帯びていることに気づいた。
「あの、さっきから手……握ったまま、なんですけど」
「あ……」
言われて、手を離した。
俺としたことがカトリーヌから連れ出すのに夢中で気づかなかった。
「すまない。嫌だったよな」
「いや、その、嫌ってわけじゃないんです。わたし、お父さん以外で、男の人と手を握ったの……はじめてで」
「そう、だったのか?」
「はい……」
消え入るような声で、ぼそぼそとトアさんは言った。
男として光栄のような、悪いことをしたような複雑な気分だ。
さっきはカトリーヌから離れることに夢中でトアさんの手の感触を堪能する暇がなかった。
出来ればもう一回手を繋ぎたい。
けれどそれを口にするのはなんか墓穴を掘りそうなので黙っておく。
それにしてもトアさんのはじめてか。
なんかえっちだ……。
「だからその……次から優しくしてくださいね」
「え……?」
あまりのことに、頭の中が真っ白になる。
「トアさん、もしかして誘ってる?」
「え?」
トアさんは首を傾げている。
いや。トアさんのことだし、きっと優しく手を繋いでほしいってだけで他意はないはずだ。
……多分。
「それにしても……なんだか人がいっぱいで、目が回ってしまいそうです」
ふう、とトアさんは疲れたように息を吐きながら、額の汗をぬぐっている。ふらふらとした足取りがなんとも危なっかしい。
「たしか、人間の街に来たのは初めてだっけ?」
「はい。こんなにたくさんの人で溢れ返っているとは思いませんでした」
トアさんは辟易したように顔をしかめた。
それでも目に映るものが珍しいのか、田舎者のように期待にきょろきょろと周囲を見回しているのが微笑ましい。
商業区画なだけあって大陸中の食物や、品物が一点に集まる。それを運んでくる商人や冒険者たちも。
人も物の流れもどちらも目まぐるしい。
ただ歩くだけで誰かと肩がぶつかってしまいそうな圧迫感を覚える。
……俺自身はもう耐性がついたが、慣れてないと人混みは疲れてしまうよな。
そんなことを考えていると。
ぐうぅぅ、とお腹の鳴る音が聞こえてきた。
「……」
隣に目を向けて見ると、トアさんの顔が羞恥で赤く染まった。
苦笑する。
ここまで休みなしに彼女を歩かせた無理がたたったのかもしれない。
俺も腹が減っていたし、よからぬ想像がよぎったのも多分疲れのせいだろう。
どこか一息つける店はないかと、人でごった返す商店街を眺めまわしていたときだった。
「ちょっと、そこのお嬢さん」
ふいに、トアさんに声をかける男がひとり。
「あんただよ、あんた。べっぴんのお嬢ちゃん」
「わたし、ですか?」
「あんた以外に可愛らしい子がどこにいるんだ」
振り返ると、でっぷりと腹の出た、小男がいた。
ほくほくと人当たりの良さそうな笑みを浮かべて、右手に握った包みをこれ見よがしに見せびらかしてくる。
「ほら、腹が減ってるんだろ? モルディアナ名物、鳥人族のチキンだよ」
そう言って小男が包みを開くと、むわっと、炙りたての小麦色の肉から湯気が立ち昇った。
滴る濃厚な肉汁。
香辛料の香りがさらに食欲をそそってくる。
「わあ、いいんですか! いただきまーす!」
よほどお腹が空いていたのだろう。
トアさんは小男の手から鶏肉を奪い取ると、勢いよくかぶりついた。
「んー、おいひぃですぅー!」
「ははは、良い食いっぷりだなお嬢ちゃん」
「あ、すいません。わたしったらお金も払わず、つい」
「ははは、いいよいいよ。折角モルディアナに来たんだ。食べなきゃ損だぞ」
そう言って小男はトアさんに歩み寄り、素早く肩に手を回している。
絶対に逃がさないぞと言わんばかりに。
いつの間にか俺たちの周囲には、薄気味悪い笑みを浮かべたガラの悪い取り巻きが二人いる。
奴らが、俺を気にする素振りはない。
彼女の連れだと思われていないのか、それとも端から眼中にないのか。
さすがカトリーヌの治める街なだけある。その住人も俺を無視するのが趣味らしい。
当のトアさんはというと、小男に対して警戒した様子を見せることもなかった。
……ちょっと不安だが、この娘は馬鹿じゃない。荷馬車をゴブリンの群れが襲撃したとき、いち早く気づいたのはトアさんだ。
数日、行動を共にして分かったが、ちゃんと自分の考えを持って動いている。
だから口を挟まず、見守ることにする。
「いやー、本当にツイてるよ。君は運が良い。実はね、おじさんの店には美味しいものがたくさんあるんだ」
「店? おじさんは商人の方なんですか?」
「ははは、すごい。よく分かったね! お嬢ちゃんは賢いみたいだし、特別にご褒美を上げよう」
「ご褒美ですか!」
トアさんはじゅるりとよだれを垂れ流しながら、目を輝かせている。
小男がにっと唇の端を吊り上げる。
「ああ、お腹いっぱいになるまでご馳走してあげるよ。きっと気に入ってくれるさ!」
「でも、悪いですよ。それにわたし、あまりお金持ってませんよ」
「ははは。そんなの気にしないでいいよ。おじさんはね、人助けが大好きなんだ」
「わあい、おじさん、良い人なんですねー!」
……ああ、こりゃ駄目だ。
俺はわざと大きく咳払いをしてから、小男の肩を掴んだ。
「おい」
「ん? なんだお前は」
「俺はその子の連れだ。返してくれ」
「それは無理だ。今からこの子にたっぷり肉を食べさせるから待ってくれ。まあ、たっぷり召し上がるのは俺たちの方かもしれないけどな!」
小男が笑うと、取り巻きの男たちも笑い声を上げた。
俺に脅しをかけて立ち去らせるように。
けれど数日前に相手にしたオークに較べたら、こんなせこいチンピラ共なんてことない。ドラゴンとゴブリンくらいの差がある。
「肉か、そいつはいい。俺も混ぜてくれ」
「断る。男は自分で金を払って食え」
「おいおい、おっさん人助けが趣味なんだろ。人助けに男も女も関係ないはずだ」
「しつけえな。男に用はないって言ってんだろ! 放しやがれ!」
小男は痺れを切らしたようにこめかみを引くつかせる。俺の手を乱暴に振りほどこうとしたところで――俺は小男の手首をつかんでひねり上げ、顔面に拳を叩きこんだ。
ぐえっと短いうめき声を上げて倒れる小男を見て、トアさんが小さく悲鳴を上げる。
取り巻きたちが怒声を上げて、殴りかかってくる。
「てめえ! やりやがったな!」
一歩後退することで取り巻きの拳をかわしてから、男の胸板を蹴り飛ばした。
蹴られた男は真後ろに吹っ飛び、隣の屋台に激突してものすごい音を立てて商品をなぎ倒した。
商人の怒号。
あちこちで通行人たちの叫び声が上がる。
「わ、私の店がぁ!」
「なんだなんだ、ケンカか?」
「衛兵! 誰か衛兵を呼べ!」
あちゃー……なんかえらい騒ぎになったな。
俺のせいじゃないとはいえ、破損した商品を弁償しろとか言われたら面倒だし、衛兵に捕まりでもしたらカトリーヌに何をされるか分かったものではない。
残る一人はさーっと顔を青ざめさせると、脇目も振り返らずに逃げ出した。
後を追いかけようか迷ったけど、すでに人混みの中へと紛れていて見つけるのは困難だ。
まあ今すぐ危害を加えてこないなら放置でいいか。
「行こう、トアさん」
まだ状況が呑み込めずに呆然とするトアさんの手を取ると、すぐにその場から走り去った。
……その手は柔らかかった。