トアさんは箱入りお嬢様。
結論から言うと、トアさんは文字通り、箱入りのお嬢様だった。
トアさんの住んでいた実家はものすごく広い屋敷で、たくさんの部屋があって、大勢の執事や使用人たちに囲まれていたのだという。
彼女は自分の部屋に、ず――っと軟禁されていたらしい。
部屋に誰かが入るのは、使用人がトアさんの食事を運んでくるときと、トアさんが食べ終わった食器を持ち帰るときと、専属の家庭教師と勉強のときに会うくらい。
彼らの間に親交はない。
みな、トアさんと必要以上に話すのは当主……つまりトアさんの父親から禁じられていたのだという。
彼女の友達は、大量のぬいぐるみと、父親から贈られた絵本だけ。
代わり映えのしない毎日に嫌気が差し、彼女は家出を決意。
屋敷の宝を持ち出し、そして逃げ出した先で、トアさんは俺と出会ったのだという。
「なんだそれ……やべー家だな」
「でも悪いことばかりじゃないんですよ。わたし、こうして外の世界を見るのって初めてなんです。とっても、美しいなって思えて」
トアさんは恍惚とした表情で景色に見惚れているけど、ちょっと気を使ってしまう。
なんとなく想像はつく。
……おそらくトアさんが軟禁されていたのは、今は滅びたとされる竜人であることと何らかの関係があるのだろう。
さすがにカトリーヌやその護衛たちの前で、その話題を出せはしないが。
なんというか、『団長の告白を断ったから追い出された』なんて自分の悩みが小さく思えてきた。
「すまない……嫌なことを思い出させた」
「気にしないでください。わたしから話したことですし」
トアさんは曖昧な微笑を浮かべる。
その無理矢理作ったような笑みが痛々しく思えた。
「たぶん、わたしがそうなったのは母が関係してると思います」
「トアさんのお母さんが?」
「はい。でも母は……わたしの知らない、どこか遠いところにいます」
わたしが小さかったときに、母は家を出て行きました、とトアさんは言う。
「だから、わたしは母を探すために、屋敷を飛び出しました。それが家出の理由です」
彼女の瞳は、ここじゃないどこか遠くを見ているような気がした。
幼い頃の、母との思い出に浸っているのだろうか。
話を聞く限り、トアさんの家庭環境はろくでもない。
これが本当にただの家出とかだったら、トアさんをどうにか説得して親元に連れ帰り、あわよくばお近づきになれるぜ!
みたいな下心があったけれど……どうもトアさんを取り巻く環境はそう簡単な話ではなさそうだ。
こんな美少女をよってたかって酷い目に合わせやがって、どういうつもりなんだ。
親は子を愛するものじゃないのか?
一人娘が辛い目にあっているというのに、母親は家を飛び出しているし。
親の顔を拝む機会があるなら、一発ぶん殴ってやりたいな。
そんな俺の考えは、無遠慮な声に遮られた。
「……いい話なのぉ“ぉ”ぉ“ぉ”ぉ“ぉ”ん!!」
カトリーヌが号泣しだした。
あどけない顔立ちが、涙と鼻水まみれでぐしゃぐしゃになっている。
うわっ、汚ねぇ。
「ど、どうしたんですか。カトリーヌちゃん」
「トアちゃんは健気で、いい子なのー。今まで、たくさん辛い思いをしてきたのねー。でも大丈夫。もう何も心配することはないのー」
おろおろと慌てふためくトアさんに、カトリーヌは嗚咽交じりに答える。
「私の屋敷に来るといいのー。これからは私がトアちゃんの面倒を見てあげるのー」
は???
「そんなっ、悪いですよ!」
「遠慮することはないの。この領主モルディアナの名に誓って、トアちゃんを養ってあげるのー!」
「ぶちころがすぞ」
「「え?」」
「な、なんでもない。ただの独り言だ」
またしても二人から怪訝な目を向けられてしまったが、どうやら聞こえなかったようで安心する。
……白状してしまうと、俺はカトリーヌのことが好きになれない。
こいつが俺たちの同乗を快く許可してくれたおかげでこうして楽が出来ているし、魔物の襲撃を心配する必要はなくなった。
その点はとても感謝しているのだが……なぜだろう、こいつの存在がとても胡散臭く感じるのだ。
変な言葉遣いといい、幼い見た目なのに領主だし、香水がどぎついから息を止めなくちゃいけないし。
しかもこいつは俺たちに向かって話しかけているように振る舞ってはいるが、実際のところはトアさんしか見ていないし、俺には全く無関心なのが丸わかりだ。
そりゃあ異性の俺と話すよりも、同性同士の方が安心できるだろうし、そもそもカトリーヌは何一つ悪いことをしてないし。
それなのに俺から一方的に嫌われるのは本人からすれば理不尽そのものだろうけれど。
トアさんと楽しく談笑するカトリーヌを睨みつける。
お前が何を企んでいるかは知らんし、興味もない。
――けれど、トアさんは俺を養ってくれる女性だ。
断じて、お前なんかに渡しはしない。
静かに闘志を燃やし、トアさんだけに視線を戻す。
彼女はじっと虚空に目を凝らしている。
蝶々でも眺めてるのかな。可愛いなぁ。
微笑ましさに頬を緩めていると――
「ティーさん! 危ないっ!」
はっと何かに気づいたように声を上げ、俺の身体を突き飛ばした。
何事かと顔を上げてみると、さっきまで俺の座っていた場所に、矢が突き刺さっている。
あ、危なかった。
トアさんの機転がなければ俺の身体に矢が刺さっていただろう。
「魔物だ! 魔物が現れたぞ!」
護衛達の叫び声。
馬がいななきを上げて、荷馬車がその動きを止めた。




