私と隅田と図書室のお茶会Ⅰ
恋と鍵とFLAYVOR【私と隅田と図書室のお茶会】お送りした、お茶会の招待状お持ちの皆様図書室へようこそ(〃^ー^〃)紙コップ(*゜▽゜)_□ドゾどうかお楽な格好で足もくずされて、ごゆっくりお楽しみ下さいm(_ _)m
【The Unbirthday Song】
図書室のテーブルに置かれたトランプみたいな色とりどりの紅茶のティーパック。色んなフレイバーがあるものだ、と私はつい感心してしまう。
向かいの席に座る隅田澄香はリラックスした様子だ。ここは彼女のホームで私は言わば俎の鯉だから。
「どれにする?」
隅田が表情を変えずに言う。
「湯ならあるぞ」
隅田が鞄からステンレスの水筒を出して見せる。
どうやら、お茶をご馳走してくれるらしい。
「別に茶を飲みに来た訳じゃない」
私の声はぶっきらぼうに答えた。
「まあ、そう言うなよ」
隅田は鞄からフォトフレームを出して私の前に置いた。
中学の修学旅行の写真だろうか。今より少し幼い顔をした悠斗くんが笑っている。
「いい写真だろ?クラスの男子に頼んで、こっそり手に入れた」
私は写真の悠斗君に見とれてしまう。
「ずっと私の机に飾ってある」
隅田が写真を指先でなぞりながら目を細める。焼き増しして欲しい。
「私の秘密の宝物だ」
続いて鞄からお香まで取り出す。
「交霊会でもやるつもりか」
「追悼のつもりだが、交霊会なら細切りにした猫の肉とか…生け贄が必要だな」
「生け贄にぴったりのやつを下駄箱に待たしてるけどね。今日はやめとく」
「そうか残念だな」
隅田はしぶしぶ鞄にお香を戻した。
生真面目な子だと思ったが少し変わってる。
飾り気がなくて言葉に温かみがある。少なくとも私には魅力的な女の子だ。
悠斗君の目には彼女は、どう映ったのだろう。
写真の中の悠斗君は永遠に笑ったままだ。
「お茶どうだ」
結構世話好きだし。
「心配しなくても毒は入ってない」
入ってるわけがない。毒をもられるいわれは私にはない。
私は綺麗に並べた紅茶の中からダージリンに手を伸ばす。
「本当にそれでいい?」
「だってダージリンが好きだって悠長斗君が」
中学生の時くらいまで、リプトンはイエローラベルの他にも色んなラベルの色の紅茶に分かれて売られていた。
悠斗君の好きだった紅茶は紫のラベル。だけど今はイエローラベルと、ダージリン、アール・グレイ、フレイバーティーしか見かけなくなった。
「だからダージリンを飲んでるんだけど、リプトンのパックって三角のピラミッド型って書いてあるけど三角錐だよね。ピラミッドは…」
「四角錐」
「ああ、言ってたね」
「隅田さん、私紅茶苦手なの」
隅田は気を悪くした様子もなく頷いた。
慣れた手つきでティーパックの包み紙を開けて中身を取り出すと紙コップにお湯を注いだ。
「音無君の分」
フォトフレームの前に置いた紙コップから湯気とよい香りが立ち登っていた。
隅田はZIPのロゴが入ったタッバの青い蓋を開けた。刻んだ鷹の爪のような赤い色の実を2つの紙コップに取り分け、お湯を注いだ。
「それは何?」
「野生のローズヒップだ」
小さなティスプーンで軽くステアして私の前に差し出す。
「美容にいいから、と母が大切にしているのをくすねてきた。美容食品と名のつくものは味は二の次だけど、これは抜群に美味い」
私は歓迎されているのか。
一口飲むと自然で優しい酸味と、お砂糖も入っていないのに仄かに甘みもあって。スーパーなんかで売られているのは酸味が強くて色も濃い目だけど、隅田が入れてくれたのは優しい味がした。
目の前に赤い液体が入った硝子の小瓶が置かれる。
「これは何?」
「薔薇蜜だ」
少しだけ注いで飲んでみる。
「美味しい」
香りと酸味と薔薇蜜の甘味の絶妙さに心がほどけて行く気がする。隅田が鼻を鳴らした。
「そんな笑顔を音無君の前でしてないだろうな」
何か先程から隅田のペースにのせられている気がするが。私が話をしやすいように気を遣ってくれているようにも思えた。
「あの後、音無君のお母さんにあった」
「うん」
「その前に小野瀬には恥ずかしいとこを見られてしまった」
「全然だよ」
見られて恥ずべき行為をしていたのは、むしろ私の方だ。
「好きな人が死んで泣く事はむしろ至極自然だし、私は…その…未だに泣けないでいる」
「違うんだ」
隅田は私の目を見て言った。訴えかけるような目の輝きに私の胸が高鳴る。
「音無君を死なせてしまったのは私だと、ずっと思っていた」
「私が殺したようなものだと」
一口だけ口をつけた紙コップを隅田は右手で所在なく回している。
時間の経過とともに器の中の液体は澄んだ薔薇色から赤いワインの葡萄色に変わっていた。底に溜まった実がふやけて蛙の卵みたいに震えている。
「今からその話をする。聞き終えたら、私と玄関で会う前に、小野瀬が何をしていたのか話して欲しい」
私は頷いた。隅田に言われるまでもなく最初から、そのつもりで来ているのだから。
私は隅田は悠斗君の訃報を聞いて体調を崩したと思っていた。
実際は彼が亡くなる当日図書室で作業中に具合が悪くなったらしい。
「『気絶ってもっとロマンチックなものだと思ってた』…赤毛のアンに出てくる台詞だけど本当にそうだ」
放課後隅田は図書室で立ち眩みがして倒れた。
「保険医の先生には貧血か、軽い熱中症だろうと言われたよ。図書室のエアコンがずっと調子悪くてね」」
一緒に作業していた音無君が、保険医の先生を呼んでくれて、保健室に隅田を運ぶのを手助けしてくれた。
音無君が事故にあったあの日、彼は街で家族と待ち合わせの約束をしていた。
レストランで家族と食事をする予定があったのだ。
「私の事でバタバタしたおかげで帰宅時間が予定より随分遅れたみたいだ」
それでも音無君は、知らせを聞いた隅田の御両親が隅田を向かえに来るまで、保健室に残っていた。
「私が目を覚まして両親と会った時に音無君はもう居なかった」
御両親に挨拶して音無君は帰宅した。
「かなり急いでたらしい」
音無君のお父さんは昔から躾に厳しい方で、特に時間を守る事に関してはうるさかったようだ。
私たちの高校は街を見下ろす山間部の高台にある。街に出るための道はニつあって、一つは校門を出て横断歩道を西に平地を進むルート。この道は学校のすぐ近くにある自動車教習所を迂回して、緩やかな坂道を下る通学路だ。道幅も広くて車の通りも少ない。
もう一つの道は校門を出て南に県道の坂道を下るルート。平坦な道路となる高速道路のトンネル付近に着くまで約ニ百メートルの長い坂道が続く。山を切り崩して作った掘り割りの狭くて勾配のきつい下り坂と急なカーブがある道だ。
教習所に通っていた三年生の先輩が言ってた。
「教習所の門を出たらすぐにセカンドにしないと教官に怒られる」
昔からこの辺りの道路は山間部から伐採した木材を運ぶトラックの往来が激しい道として知られていた。
近年では産廃施設が市民の反対を押しきって建設されたり建て売りの分譲住宅地も増えた。学校は特にその道を利用するのを規制してはいなかった。
悠斗君はその道のカーブでトラックと正面衝突した。彼は帰りの道を急いでいた、けどカーブでは減速していた。
原因はトラックの運転手の前方不注意とスピードの出し過ぎ。
目撃者が何人か名乗り出て、事故の原因が運転手側にあると証明された。それが不幸中の幸いと言うには代償が大きすぎる事に変わりはない。
「私は中学からずっと皆勤賞だ」
その隅田がその日に限り体調を崩した。
悠斗君は時間に遅れまいと帰宅の道を変更して事故にあった。
隅田が事故は自分のせいだと自身を責めても仕方ない事だ。
念のためにと救急病院に連れて行かれた。
「体温が平熱まで下がってますから大丈夫です」
医者にそう言われた。実際病院につく頃には、ぴんぴんしていた。
「注射一つしないで随分お高いわ」
「救急の初診は保険効かないからな」
「隅田家は病院とは無縁だからね」
帰りの車内でそんな軽口も飛び出した。
車内で隅田は音無君に「迷惑かけてごめんね」の件名で始まるメールを送った。
返信は来なかった。
「音無君の家はお父さんが礼儀に厳しいから食事中に携帯操作なんて出来ないよね」
安易に想像がついた。
帰りに寄ってもらったコンビニで買ったクラブハウスサンドと桃のゼリーを少し食べて早めにベッドに入る。
ベッドの中でうつうつとして時々目を覚ました。
スマホの着信を知らせる音声や緑のライトが灯る度に受信ボックスを開けて見た。
何人かの女子のクラスメートとからのグル―プライン、BOOK・OFFと携帯会社からのお知らせメールが届いていた。
新しく読んだ本の感想とかなら…買わなくていいくらいの長文でよこすくせに。
「ありがとう」とか「ごめんね」の返信には無頓着な人だった。
「明日会えるからいいや」
幸せな言葉だと布団を被りながら思った。
運が良ければ朝登校する時にも、会える。
放課後図書室でも。その時には改めて「ありがとう」って言えばいいんだ。
もしかしたら明日は今日と少し違ったかんじになるかも知れない。
淡い期待の灯りが胸に灯るけど、多分それは今日より明日はもっと音無君の事が好きな自分がいる、それだけの話だ。
考えると人類は滅亡し人間の根源は悪で、この世界から戦争は無くならない。
泣き叫ぶ子供たちの悲鳴が聞こえる前に眠ってしまおうと思った。
「朝目が覚めたら体中がだるくてさ、熱を計ったら四十度を越えていた」
隅田は今度は市民病院に担ぎ込まれた。その頃には意識が朦朧として囈ばかり呟いていた。
「レントゲンを撮ったら医者に肺炎だと言われたよ。この頃は咳が出ない肺炎もあるらしいな」
ニ日間高熱に魘された。起き出す気力も湧かない。解熱剤がようやく効き始めた頃眠り、翌朝携帯を取りだして見た。
「寝ているうちに充電が切れていたらしい」
電源を入れたらメールの着信が三十件以上あった。
クラスメートや図書委員の子たちから。
「澄香、今夜お通夜だって」
「私が?…って一瞬思ったよ」
メールの着信の大半は昨日届いていた。
「責められるものは母でも自分でも何でも責めた。けど、因果なものだ。中学からずっと同じ図書委員で、周りから腐れ縁と囃し立てられたりしたのに…最後のお別れは出来なかった」
隅田が鼻を啜る音を私は黙って聞いていた。
「後は察してくれ」
一端は引きかけた熱は、再びぶり返して隅田をベッドに縛りつけた。
「音無君の玄関の前で小野瀬に会った時、本当はまだ家で寝てなきゃいけなくて」
「先生に断って来たというのは」
「勿論嘘だ」
「あの時会った隅田はとても病み上がりには見えなかった」
「少しだけど、お化粧したんだ。悠斗君の家に行くのは初めてだったから…私変じゃなかったか?」
「変じゃなかったよ」
道理で私に掴みかかって来た時の目力がすごいはずだ。
「結局音無君のお母さんが来る前に素っぴんに戻してしまったんだ」
それは賢明だった。
賢明なる隅田澄香。
彼女は突然の病と「悠斗君が亡くなった原因の一端は自分にある」という罪の意識から悠斗君の家を訪ねた。
悠斗君のお母さんは隅田の告白を聞くと、こう言った。
「私だってあの子と出掛けに口論したのよ」
聞けば悠斗君は親に内緒でアルバイトしていたらしい。昨日お母さんが悠斗君の部屋に掃除に入った時給料の明細を見つけた。
「親に内緒で一体何のお金がいるの?」
「昨日見つけたなら昨日言えばいいのに」
「お父さんがいるとこで話して欲しかった?」
「何かと言えばお父さんお父さんか第一、大体なんで部屋に入るわけ?入るなって言ってるのに」
「我が家に親が入ってはいけない場所なんてないの!」
親子喧嘩は物別れに終わったという。
「でもな、それは嘘なんだと思う」
「嘘、なの?」
「多分私に予期せぬ告白をされて戸惑ったんだと思う。私をこれ以上傷つけまいとしてくれたんだ。だって」
音無くんがアルバイトの給料明細をお母さんに見つけられて、朝口論になったのは2ヶ月も前のはなしだ。その後随分優しい言葉をかけてもらった。
「音無君バイトしてたんだ」
「一月半くらいかな、土日と祭日の昼間レストランで『欲しい全集があるんだ』って言ってたな」
祭日も入れて週ニ日、一月半働いて月のお小遣いを幾らか足せばゲランの香水はなんとか買える。三十m∫の液体にしては法外な値段だが。
「大人というのは人を傷つけないように相手の目を見て笑顔で嘘がつけるんだな」
「もしも悠斗が、最後に隅田さんの事を傷つけたりするような言葉や態度をとってしまったなら、私は貴女に何度でも謝らなくてはならないけど。もしも悠斗が貴女に最後まで親切な子だったのなら、その事だけでもいいから覚えておいてあげてね、隅田さん」
「それって息子の生殺与奪に関わって来たのは最初から私だけ、あんたの出る幕じゃないの…という意味にも取れるな」
「ちょっと小野瀬!」
「ごめん、私が悠斗君のお母さんならって思ったの」
私は、そういう風に考える癖がある。
「勿論悠斗君のお母さんがそんな人じゃないって、私も会ったから分かるよ。ただ私なら誰か他の女の子が『私のせいで彼は…』なんて言い始めたら『私だって!』と嫉妬する」
隅田は黙って私の話を聞いていた。
「隅田、怒ったのか?」
「いや…観察者が変われば、同じ事象でも、見解や結論というのは変わるものだと改めて思った」
隅田は感慨深げに、そう呟いた。ややこしい女だと思ったに違いない。
「小野瀬繭、私はあんたが大嫌いだ」
「それは私も同じ」
「いつも私と音無君の周りをうろちょろして、本を探すふりをしては、私たちの話に聞き耳を立てていた」
「そっちこそ、放課後いつも悠斗君と一緒で羨ましかった」
「あんたは音無君と同じクラスで私は羨ましかったよ。私たちは同じ図書委員だけど、【図書室は私語は控えて下さい。他の人の迷惑になります】って札が掛けてあるでしょ?お話しが出来るのは他の生徒が帰った後、それなのにあんた学校が閉まるまで粘りに粘って」
「他の生徒が帰ったら、これ見よがしに話しかけてたじゃない」
「ざまあ見ろって思ってた」
随分ぶっちゃけてくるなあ、この女。
「しかし、まあ、対象者本人が強制退場してしまった今となっては」
確かに、こんなやりとりは不毛の一語に尽きる。
「隅田さん」
「気持ち悪いから呼び捨てで構わない」
「音無君は図書室での、その…私の存在に気づいていたのかな」
思いきって聞いてみた。
「勿論気づいていたさ。『小野瀬さんはよっぽど本が好きなんだね」』って言ってたよ」
やはりその程度か。ため息すら出ない。
「本の虫に恋をしたら自分も本の虫になれば好きになってもらえる、なんて私も前は考えていたよ」
本の虫は本の虫を好きになる、とは限らない。
「小野瀬の目には音無君はどんな風に映っていたんだ?」
「蝉」
「なんだ、それは?」
私は小野瀬に説明した。
「…なるほどな。当たってるのかもな。蝉が捕食者に捕まるリスクを冒してまで鳴く理由は雌を呼ぶためだ」
私たちはその鳴き声にのこのこつられたのだが、相手にされなかった。
「隅田から見て音無君はどんな人だった?」
「劇場」
「劇場か」
「意味は小野瀬の言ってる事と大作ない」
私は劇場のステージに蝶ネクタイと燕尾服姿の音無君を想像する。そこでも彼はいつもの笑顔で大好きな本について語るのだ。
そんなイメージでよいのかと隅田に尋ねた。しかし彼女は首を振る。
「音無君が劇場で何かするというより彼自身が劇場そのものなんだ」
「どういう意味だかイマイチ分からない」
「劇場でかけられる演目というのは架空のもの、つまりは嘘だ。観客は金を払ってそれを観にわざわざやって来る。作品の出来不出来に不満は言ってもそれが嘘だと文句を言う客はいない」
「まあ、そうだな」
「劇場とは架空のものが存在する事を許された空間なんだ。映画のスタジオとか…それが生み出される場所でもある」
隅田は音無君がそれと同じだと言いたいのだろうか。
「音無君は無類の本好き。それは間違いない。彼みたいな本の虫と呼ばれる人は世界中に五万といる。でも彼はある意味特別なんだよ、小野瀬」
隅田は私に何が言いたいのか。
「彼には物語と現実の境界線が無いんだ」
「境界線が無いってどういう事?」
「つまり教室の椅子に座って、昨日見たテレビドラマや借りて観た映画の話をするなんて、日常よくある事だろう」
私は頷いた。
「話している方にも聞いている方にも、今目の前にある日常が現実、映画やドラマは架空のもので、無意識下で線引きは出来ているはず」
「音無君は、もしかして」
「出来ていなかったんだ」
「それって天才って事?」
「絵画や小説や音楽を自作したり彼はしなかったから…私は最近まで境界線症候群という疑いを彼に持っていた 」
「境界線症候群」
「でも全然違ってた。彼は好き嫌いを表に出さないし暴力的でもない、幻覚も見ないし自殺願望もない」
隅田によると脳の疾患や遺伝による精神障害の例には当てはまらないらしい。
「物語について語る時の彼は本当に素晴らしかった。まるでファンタジー小説に登場する言の葉使いのようにだ」
確かに、隅田の言う通り私もそれに魅了された1人だ。
「ただ中学に上がったばかりの頃の彼は著しくバランスを欠いていた」
隅田は音無君の写真に目線を移した。
「一度スイッチが入ってしまうとな…普段は物静かな男の子なのに、それで彼は小学校の時は周りから少し浮いた存在だった」
私が知っている音無悠斗君からは想像がつかないが、彼にはそういう時期があったらしい。
「だから、私たちは学ぶ必要があった。彼が学校で変わり者扱いされて孤立しないように、訓練したんだ」
生徒のいない図書室で、さりげなく普通の日常会話のように彼が好きな物語を語る訓練。
それは一体なんなのだろう。そんな事をしなければならない程悠斗君は変だったのだろうか。
言の葉使いって。
「人々は劇場でチケットを買い、中に入り用意された自分の椅子に座る。客電が消えて舞台の幕が上がり、やがて終わる。照明がついて幕が下りたら人々は劇場を後にする。現実の世界に戻るんだ。それが彼には必要だった」
私はどうにも府に落ちない顔をしていたらしい。
隅田は不安気に言った。
「良かったのか悪かったのかなんて未だに分からない」
「でも隅田は、音無君のために何かしたかったんだよね」
隅田は頷いた。
「そして彼はそれを受け入れた、なら、それでいいんじゃないかな」
「そうなの、かな」
隅田は音無君のために【上手な話し方】の類いの本を沢山読んだらしい。
「音無君は頭がいいから、直ぐに自分でこつを掴んで上手くやれるようになったんだ」
「隅田が音無君の事を劇場と呼ぶ意味が分かったよ。つまり彼の個性と思っていたけど、あれは2人の作品でもあるわけだ」
「作品…隅田君の個性が私と隅田君の」
隅田の口元がほんの少しだけ緩んだ。
「何をやってたんだろうな私たちは…まるで芝居の稽古みたいに」
『音無君、そこは少し抑えて。そうだね…時々どうでもいいような話題に戻るのもいいかも、なるべくありふれた話題とか』
『ありふれた話題って結構難しいよ』
『そうね、例えば乾電池とか』
『乾電池か』
『そう、乾電池』
乾電池いっぱいあったな、音無君の机の中に。
「隅田は音無君のカウンセラーみたいだな」
「第一志望は恋人だけどね。カウンセラーなんて圏外も圏外よ。第二志望はマルブリッド。それも無理なら、せめて彼の大事にしてる本の栞でも良かった」
本の栞も沢山あった、彼の机の引き出しの中に。
「時々出して眺めてくれたらそれでいいの」
斜に翳るように人の瞳はこんな風に憂いを含んだ色に変わるのだな、とその時思った。
「沢山の物語を人に聞かせて逝ってしまったけど自分の物語には触れなかった」
「悠斗君は自分で小説とか物語を書いたりしなかった?」
「読んで話すだけで何も書かなかったと思う」
日記みたいなものは机の中にもPCの中になかった。
「でも彼は自分の【物語】を心の奥底に隠してたの」
「自分の物語?」
「あっという間に起きて直ぐに終わってしまったから語れない。語ろうにもヒロインが不在なんだって。彼の劇場にはね、ヒロインが不在なんだよ」
隅田の瞳から憂いが消える。
「ヒロインって音無君の好きな人?」
「そうよ」
「香水の」
思わずそう呟いていた。
「よく知ってるね」
隅田は感心したように言った。
「彼の初恋の話は私しか知らないと思ったのに」
初恋って、どういう事だろう。ものすごく違和感がある。あんな香水、初恋には出て来ないだろう。
「なあ、隅田…音無君の初恋って、いつ頃の話?」
「幼稚園の年少」
「相手は?」
「多分同じくらいの年だと思う」
「間違っていなければ私がその香水に触れたのは最近の話だ」
「学校で?」
隅田の眉が片方つり上がるのを見て、私は首から下げたネックレスを机の上に置いた。
「学校じゃなくて音無君の部屋のベッドの中でだ」
私は隅田にこれまでの経緯を全て話した。
「小野瀬お前のした事は屍肉を漁る行為に等しい」
隅田はそう言って紙コップの中身を一息に飲み干した。隅田の言葉はある程度私が予想した通りだった。
大概どんな人間も食うのは屍肉なんだけど。私にはかき集める思い出も少なければ貪り食う屍肉だってないのだ。
「お前、音無君のベッドに潜り込んで、卑猥な行為に及んだりしてないだろうな」
「さっき言っただろう、ものの五分もしないうちにお母さんが戻って来たって」
「来なかったら何をしていた事か」
「まあ、そうだな」
「この変態女!」
「私は変態だよ」
「呆れたやつだな、開き直るつもりか」
「音無君と出会わなければ私だってこんな風にはならなかった。彼が私をいけない子にしたんだ」
「調教されたみたいに言うな、おお穢らわしい」
隅田は私に向かって。「罪の海でお前の魂は腐り果てろ」だの「地獄の炎で焼かれてしまえばいい」だの。
なんだかちっとも刺さらない罵詈雑言を浴びせられ続けた。
人を罵るなんて事に縁のない育ちの良さに逆に私は好感を抱いてしまうのだが。
「ベッドに潜り込んで音無君の香りや温もりに包まれたかったのは事実だ。けど香水が邪魔した」
「そしてその香水は音無君の私物の中にあったんだな」
隅田は相変わらず頭からは湯気が出そうな怒り顔をしていた。
「それ程までに、か」
急にしんみりした声で言った。
「小野瀬、私は自分から進んで誰か大人に進言してお前のした事を語ろうなんて思わないんだ、何故だか分かるか?」
隅田の言葉に私は首を傾げる。
「私は音無君の死が不純なものと一緒にされて汚されるのを何より恐れている」
不純なものって私?
「お前みたいな軽い女は、そのうち自分の犯したくだらない罪の重さに耐えかねて、誰かに自分のした事を吐露するだろう、事実今こうして私に話している」
「単なる口封じ前の冥土の土産だ」
「すぐにそうやって憎まれ口をきくが一皮向けば同じクラスにいても好きな男とろくに会話も出来ない純情乙女じゃないか」
「過大評価しすぎだ」
「誉めてなんかいないぞ、このストーカー女」
隅田は、ぴしゃりと言った。
「あんたの魂が何処で、どんだけ腐り果てようと私は知ったこっちゃない!自己責任だ。しかし何かのかたちでそれが人に知れ渡れば、お前は説明と謝罪を要求されて、ペナルティを受けるだろう。大人同士が話し合って、『まあまあここは一つ穏便に』みたいなくそ気持ちの悪い忖度や根回しみたいなのがあって、保護観察士みたいなのが顔出して『やっぱりいいか』みたいな。『本来なら退学も検討したが、お前の日頃の生活態度もいいし、聞けば成績も五十番以内だし、お母さん泣いてらしたぞ…よく考えるんだな』何だか釈然としないが、幕…停学中に反省文も書いたし。お前の魂も救われた気になるだろう。良かったなあ、少年法も改正前で、失効になる前にポイントは使っとくもんだってな」
「あの、隅田」
「でもな、噂は別、別なんだよ…小野瀬。たかが噂、たとえ噂は無力でも凄い力を持っている。学校中に瞬く間に蔓延する、お前と音無君の噂の花が咲くんだ。
『小野瀬さん、音無君ちの鍵持ってたらしいよ』
『忍び込んで何してたんだろうね』
『あの2人って本当に何もなかったのかな?』
『じゃなきゃ普通そこまでしないよね』
『小野瀬さん、ふられたけど音無君が忘れられなかったらしいよ』
『音無が死ぬ当日小野瀬に告白して2人はつき合う事になったらしいぜ』
『初めて音無の部屋に遊びに行く日だったらしいぜ…音無が死んだのって』
学校の怪談? 都市伝説?みんな奇妙な噂や恋愛話にばかみたいに夢中になるんだ。
お前が居場所を無くして引きこもりか他所に転校した後でも、私はその噂話を聞かされ続けなくちゃいけないんだ、そんな生地獄があるか!!!」
隅田の妄想が破竹の勢いで止まらない。
「私の方がずっと彼の近くにいて彼の事なら何でも知ってるんだぞ!」
「私の方が遠近法や俯瞰を駆使してより立体的だ!!」
「あんた、音無君の好きな人嗅ぎまわってたんだよね?は!随分無駄な事をするもんだ」
私を見る隅田の口の端が少しだけ、つり上がる。
「それで、答えには行き着けた?」
隅田はチュシャ猫みたいなニヤニヤ笑いを浮かべて私が答え言うのを待っている。
【私と隅田と図書室のお茶会Ⅱに続く】
お茶会はまだ続きますよ(〃^ー^〃)さあさあ帰るなんて言わないでお茶のお代りです(*゜▽゜)_□冒頭に書いた英文字アン バ―スデ― ソングはディズニ―映画の【不思議の国のアリス】で流れる曲です(〃^ー^〃)お茶会だけに。今回は御参加頂き真にありがとうございますm(_ _)mまだまだ続きます(〃^ー^〃)六葉翼