宿屋にて②
「はい、お待ちどうさま。こんなスープだけでいいのかい?」
恰幅の良い女将が、小さな丸い椀に入ったポトフのようなスープを、累の目の前に差し出した。
ゴロゴロと大きな野菜が、くたくたに煮込まれていて、とても美味しそうだ。累自身は小さなスープしか頼んでいないが、周囲のテーブルで注文されている料理も、どれも手が込んでいる。
ここは1階の大衆食堂。
村の周囲を適度に散策した累は、最後の仕上げにと、部屋へ戻る前に立ち寄ったのだ。
人気があるらしくテーブルはほぼ満席で、楽しそうな騒めきに満ちている。
しかし酒場という向きが強いのか、まだ夕方だというのに、アルコールに顔を赤らめた男たちが多い。
「ありがと。実はまだお腹空いてないんだけどさ、美味しそうでつい頼んじゃったんだよね」
「なんだい、魔法学校の生徒さんなんだろう? もっと食べて精をつけないと! 奥のお嬢ちゃんはどうだい!?」
「いえ、私は後で頂きますので……」
累の後方に控えているスズメにも声を掛けた女将。しかし普段通りのブレない態度で断るスズメに目を丸くした。
「あらま。若いのに立派な従者さんだこと。あんたよっぽど良いところのお坊ちゃんなのねぇ」
感心したように頷きながら踵を返す女将に苦笑する。
「ほんとに。ただの生徒さんなのにねぇ」
「……今は編入前ですし、制服を脱がれたらいかがでしょうか? あまりお目立ちになるのは……」
「『魔法学校の生徒』っていう肩書きは便利なんだよ。色々と大目に見てもらえるし、一定の基準までの悪事には、この制服が抑止力になる」
「基準を超えた場合には……?」
「魔法士じゃないと歯が立たない相手ってことだね。それを炙りだせたのなら、目論見通りじゃない?」
自分を囮にするかのような累の軽い発言に、顔が曇るスズメ。何か言いたそうに口角に力が入ったが、結局は、ため息ひとつで全てを飲み込んだようだ。毎回毎回、何度言っても改めることのない累の奔放ぶりに、無駄を悟ってくれたのだ……と思いたい。
「えーと……、言いたい事があれば、言ってくれて良いよ?」
「いいえ。我々が何を懸念しようと、累様は累様の思うように進んでいただければ良いのです。我ら【止まり木】は、傍に仕えることを許して頂けただけで、僥倖です。主人に何かを求めるなど、不遜極まりないことです」
「……従者の鏡だね」
「有難うございます」
皮肉だよ、とは伝えずに、スープを一口飲む。
想像通りの暖かい味が、身体をじんわりと温めた。
これが累の身体に『栄養』として吸収されることはないが、ほっこりとした味に、ささくれ立ちそうだった心が安らぐ。
食事を始めた累を見て、更に後方の死角へと移動するスズメ。邪魔になってはいけない、という配慮だろう。この律儀すぎる対応には、呆れを通り越して感心してしまう。
暫く無言でスプーンを動かす累。
と、隣の席から呼びかけるような声が聞こえてきた。
「…………なぁ……なぁ坊主……」
「……おい坊主は止めとけよ。魔法学校の生徒さんだぞ……」
「坊主は坊主だろうが……おい、坊主っ、1人寂しく晩飯かー?」
ジョッキを片手に、陽気な顔をした中年の男性が、隣から覗き込んできた。
一緒に飲んでいた仲間が、小声で制止しているが、気にする事なく席を立って近付いてくる。
男は2人とも、簡素な洋服に機能性を重視したブーツを履いており、良い体格をしていた。日常の中で鍛えられたのだろう、健康的なマッチョさに、思わずヒョロリとした自身と比べて凹む。
「晩飯には早過ぎるなぁ、おやつだ、おやつ。食べ盛りの伸び盛りなんだから、いっぱい食えよー」
そう言いながら、なんとも楽しげな風体で、断りもなく対面の席に腰を下ろした男。
既にだいぶ出来上がっているようで、胡乱な目でテーブルを見つめると、累の前に置かれた椀を指差し、食べろ食べろとジェスチャーしてくる。
「お、そうだ、坊主。魔法学校の生徒なんだろう? 学校は大変か? もう魔法は使えるようになったか?」
「——おいおい、グレド、いきなり失礼だろう。……悪いな、生徒さん。酔っ払いの相手をさせちまって」
累の返答が無いことなんて構うこともなく、ジョッキをテーブルに置き、興味津々に身を乗り出す男。
それを横から仲間の男が諌めたのだが、フォローを挟みつつ、何故か椅子を累の横まで引っ張ってくる。
断る隙もなく、気が付けばなんとも賑やかなテーブルになっていた。
まるで初対面とは思えないフレンドリーな2人に挟まれ、戸惑うしかない累だったが、次第にこの珍しい状況が面白くなってくる。
「いえいえ、お気になさらず。……魔法が使えるか、という事ですが、魔法学校の本科生は、全員使えますよ」
「へぇ、そうなのか。スゲェなぁ、立派なもんだ! いやー……この町からはここ数年、一人も魔法士が生まれてないんだよなぁ……」
「……魔力の因子を持った子供が生まれる確率は、非常に低く、家系によっても偏りがあると言われていますね……」
200人の子供がいて、ようやく1人可能性があるかないか、という程度だ。非常に稀な存在であることは間違いない。
であるのに、家系によっては、何代も魔法士を輩出している名家もあり、その関連性は指摘されている。
「まぁま、人口の少ない田舎だから仕方ねぇよ、グレド。都会とは分母が違わぁな」
「いやぁーそうなんだがなぁ……。ここは魔法学校のお膝元だから、時々こうやって生徒さんに会うじゃない? 結構な人数がいるように錯覚しちまうんだよなぁ……」
「ほんっと錯覚だな。だって考えても見ろよ、紺碧領の全域からかき集めて、ようやくあの人数だぜ、なぁ?」
それもそうだ、と苦笑しながらジョッキを呷るグレド。
どこにいても、魔法士が不足しているという嘆きはなくならない。
簡単には解消することが出来ない問題だ。
なぜなら、可能性のある子供が生まれたとしても、魔力の才能があるだけではダメなのだ。育成していく中で、離脱する者も一定数いる。そして魔法士になったとしても、任務中の事故で、ポロポロと欠けていくのだ。
どうしようもなく、人材が足りていない。
だから猫の手を借りるかのごとく、累にしても、近衛師団として各地を回り、人手不足解消の一助を担っている。
「だが魔法師団の駐屯地ぐらいあっても良いじゃねぇか。魔法庁は、その方針で準備を進めてるって聞いたぞ?」
「あぁ、陛下が下命下さったらしいな。近衛師団が各地を回って、現状を視察されているそうだ」
「えぇえ? 近衛師団と言えば、全員が各色の師団長以上の実力を持った、超級の魔法士じゃねぇか。心強いなんてもんじゃねぇが……陛下が現状を憂いて下さっている、というのは有難い。……坊主は魔法学校の生徒だろ? 陛下に拝謁したことはあるか?」
「いえ、それは……」
近衛師団員として、知っている話がないわけじゃなかったが、魔法学校のいち生徒では回答出来るわけがない。
「グレド、魔法学校の生徒だって、流石に陛下にお会いできる機会なんて無いぜ。なぁ?」
「そうですね。そういう機会は……」
「なんだよ、夢がねぇなぁ。どんな方なのか、話だけでも聞いてみたいもんだがなぁ」
「本当にな……。極一部の人間しか拝謁することが出来ないから、実は王はその座におられないとか、近衛師団が作り出した偶像だとか、色んな噂もあるもんだが……」
「ま、俺らは信じて敬うのみよ。——おい、近衛師団が動いてるのは本当か?」
ぽんぽんと次の話題を振ってくる切り替えの早さ。ネタは尽きないようで、雑談は2人の酒の肴なのだろう。
さっきから曖昧な返答しかしてないなぁと思いつつも、再び首を傾げるに留める。
マシンガンのように話が止まらない2人に苦笑しかけた時、
「——魔法学校の生徒じゃあ、大した話は知らねぇよ」
「俺たちの時代も、そんな話は下りて来たこと無かったからな」
突然、別の方向から新たに2人の男の声が、話に入り込んで来た。