寮へと戻る道のりにて。
「で、お前は今からどーすんの? ちょっとは顔色マシになってるけど」
「え……?」
ニイナの姿が見えなくなり、口を開いたのは和久だった。
服についた葉っぱを払いながら、何の気なく続ける。
「模擬演習の時、すげぇ疲れた顔してたぜ。……まぁ普段通りに動いてたから、周りは気が付いてねぇだろーけど」
「……え、凄い。そんな顔には出てないと思ったんだけど……」
「同じ班の人間ぐらい、ちゃんと把握してるっつーの」
何を当たり前のことを、という表情の和久は、確かにここ数日、落ち着いた班長ぶりを見せていた。
あの実地訓練以降、考えるものがあったのだろう。
「班長してるねぇ……」
「っ自慢じゃねぇけど、俺は班長から落ちた事ねぇぞ!?」
「自慢じゃん」
「ふんっ、その班長から言わせてもらえば、今日のお前は意外といい線行ってたぞ。……だから毎日、疲れ果ててろ」
「それ褒めてんの!? けなしてんの!?」
しれっと言い放った和久が、今度は何かに気付いたように向き直った。
「てかお前の制服、まだ模擬演習の時のままじゃん。珍しいな」
「あー、部屋に戻ってないから……」
着替えそびれてるや……と、立ち上がってお尻の砂を払う。ついでに全身も軽く払ってから、乱れたシャツと上着を整えた。
「は? 訓練終わってから、ずっとここで寝てたわけ?」
「うん。ぐっすり眠れたみたいで、びっくりしてる」
「んな事してるから、疲れが残ってんじゃねーの。さっさと寮に戻って、メシ食って休めっ。おらっ、行くぞ」
乱暴に言い放った和久が、強めに累の背中を叩いて促した。
そのまま前を歩いて行く背中に、特に用事も無い累は、素直についていく。
「和久も帰るの?」
「いや。久々に剣の練習をしたくなったから、取りに行くだけだ」
そう言って、時折素振りのようなことをしながら、前を行く和久。
へぇ……と思いながら歩いていると、その背中が突然止まった。
「…………?」
「副会長だ……。お疲れ様っすー!」
和久の言葉に前方を見ると、校舎の方向から歩いてくる冬馬ハルト副会長が見えた。道がちょうど三叉路のようになっていて、冬馬も寮へ向かう所だったらしい。
「あぁ、リーゲンバーグと峯月……。午後の訓練か?」
「うっす。副会長は実地、無かったんすか?」
「人員の都合上、な。生徒会の仕事が溜まっていたから、ちょうど良かった」
実地訓練について、紺碧師団で受け入れ可能な人数を調整した結果、今日は待機となったそうだ。
まぁよくある事なので、そうですか、と相槌を打ち、何となく一緒に歩き出す。
冬馬は午前中と変わらず、ぴっしりと制服を着込み、胸ポケットからはシンボルカラーのハンカチーフがのぞいていた。細いフレームの眼鏡を人差し指で掛け直し、冷めた眼差しで道の先を見つめている。
「会長も忙しそうっすもんねー。他に生徒会役員はいますけど、それでも副会長の負担が大きそうっす」
「……いや。頼っていただけるだけ、栄誉なことなんだ。歴代の生徒会を見ても、ユーリカ様は非常に秀でたお方。そんな主人の一助になれているのだからな」
「はぁー……やっぱ会長も副会長も凄いっす。そりゃ俺たちじゃ相手にならねぇや」
なぁ、と同意を求める和久に、軽い感じで頷く。
「ホント、あの運動神経は異次元だよね。どこからあんな瞬発力が出るんだろ」
「…………お前も異次元だよな」
「ある意味?」
「納得してんじゃねぇっ!」
「あはははは」
冗談まじりの談笑を交わす累を、冷淡にチラリと見た冬馬。こんなノリに付き合うまでもない、という雰囲気で、再び前方に目線を戻してから口を開いた。
「……一応、近年では、という注釈はあるがな。20年程前の生徒会は、恐ろしく比類なかったそうだから」
「え、そうなんっすか。じゃあ今その人たちは……」
「紺碧師団の、師団長や副師団長をされているらしい」
「おぉー! ……って、やっぱ学校にいる時から違うんすねー……」
感嘆の声をあげた後、どこか溜息混じりで呟いた和久。
その言葉の裏には、今後の自身の伸び代がどこまでのものなのか、という杞憂が感じられた。生徒会に入ることすら出来ない自分が、将来的に、ユーリカをも凌ぐ使い手になれる可能性があるのか……と。
しかし、それは常識はずれの夢だ。
魔法を扱う才能は、天性のもの。才能がなければ、努力の甲斐なんて……無い。
魔の始祖である累でも、理由なんて知らないのだ。ただ、自分がそれだけ扱える、という事実だけ。
「…………」
一瞬途切れた会話の中、舗装されていない道を歩く、3人分の足音だけが響く。
「……今、そこまで悲観する必要はないだろう」
そんな空気を振り払うかのように言葉を発したのは、意外にも冬馬だった。
励ますように、和久を気遣う表情で続ける。
「ここ最近は、私より高く評価された項目もあった。自信を持て」
「え……そうなんっすか……?」
「……まぁ、一度だけだが。視野が広くなったと評価されていたぞ」
自身が目標にしていた人物からの高評価に、和久が無言のままに拳を握った。
「……っっしゃー……!」
「本当は伝えるのも癪だったんだがな。……私もうかうかしていられないようだ」
複雑そうに眉を寄せつつも、苦笑する冬馬。ユーリカ以外の他人なんて、気にもかけない性格かと思っていたが、和久の頑張りは認めているようだ。
ひとしきり喜びを噛み締めた和久は、すぐに表情を引き締め、冬馬に率直な言葉を返す。
「いえっ、自分でもわかってるんすけど、その時は偶然、教師の目に留まっただけだと思います。それを確かな評価に変えないと意味ないっすからね……頑張ります!」
「それだけの向上心があるなら、頼もしい」
「っす! のし上がってきた副会長に言われると、やる気が出ますっ!」
テンションの高い和久の言葉に、真面目な表情で頷く冬馬。
そんな2人を見つめながら、そういえば冬馬が、目立たない従者から、副会長に抜擢されるまでの急成長を遂げた、というエピソードを思い出した。
ユーリカも認める努力家として、その地位を築いた人の言葉なのだから、和久も嬉しいだろう。
「あー、漲ってきたーっ! 訓練場に行って、適当な奴らと手合わせしてくるかー!」
「ま、ほどほどにな」
「うっす。……でも……」
高かったテンションを少し抑えて、窺うように冬馬を見た和久。
「副会長、昨日今日と、調子悪くないですか…………?」
そのせいで相対的に俺の評価が上だったんじゃ……と心配する和久の言葉に、冬馬は驚いたように口をつぐんだ。
「そう……か? 自分ではあまり普段と変わらないと思ってるんだが……」
言われてみると確かに、精細さを欠いたようにも見える。が、夜中にも訓練していることを知っている累としては、そりゃあしんどいだろう、と納得の話だ。
オーバーワークに気付けば、自分でどうにでもコントロールできる人だろうが、頑張りすぎてしまう分、その基準が限界を超えない限り来ないのだろう。
そんな冬馬の性格を知ってか、和久が続ける。
「いやいや、きっと疲れが溜まってるんすよ。たまには休んだ方が……って、それが出来れば休んでますか……」
「……まぁ、私の本分は、ユーリカ様の従者だからな。そこに妥協を挟むわけにはいかないが……今の言葉は有難く受け取らせてもらおう」
あくまでも生真面目な返答は、冬馬らしい。
きっと手を抜く事なんてないんだろうなぁ……と、雑談というには真面目すぎる会話を続けながら、寮の敷地に入った3人は足を止めた。
一般棟の和久とは、ここで道が別れるからだ。
2人の話をぼんやりと聞いていた累は、いつの間にか気が緩んでいたらしく、思わず出そうになった大きなあくびを噛み殺した。
が、隠しきれていなかったようで、気付いた和久と目が合ってしまう。
「あぁ、そういやお前は寝不足で調子悪ぃんだっけ。さっさと部屋で休めよー」
「『は』に力を込めるあたり、言葉の裏を隠す気もないよね……。ま、ありがと」
「明日の訓練は張り切ってこいよー。じゃ、副会長、お疲れさまっした!」
機嫌良さそうに素早く頭を下げた和久は、冬馬が片手を上げて返答したのを確認してから、小走りに寮の扉へと消えていった。
これからまた、剣を持ってどこかに訓練へと向かうのだろう。……そしていつか、ノクスロスに対抗する礎となるのだ。この世界の平穏は、そうやって保たれているのだから。
一般棟の扉が閉じるのを、何となく見つめていた累。
その背中に、平坦すぎる声がかかった。
「……寝不足で調子が悪いって? 体調管理ぐらいしっかり出来ないのか? どうせ午後からだって、大した訓練もしてないんだろうに……」
もちろん、眉間に深いシワを刻んだ冬馬だ。さすがに良くお見通しで……。
まさかここで、お昼寝してましたーなんて馬鹿正直に告白したら、更に睨まれること間違いないだろう。
「いやぁ、副会長をお手本に、少し睡眠時間を削って活動してみたんですけど……」
なんて殊勝なことを言ってみたが、
「身の丈に合わないことは、しない方が良い」
ぴしゃりと言い切った冬馬が、無言で特別棟の扉へと歩いて行ってしまった。
その反応には苦笑するしかない累。
ですよねー、と相槌を打ってから、背筋の良い背中をゆっくりと追いかける。
そして特別棟の扉の前に立った冬馬が、ドアノブへと手を掛け……何故か、そのままくるりと振り返った。
「…………わざわざ忠告するまでもないと、伝えずにいたが……。本日、紺碧師団の副師団長が何かのご用事で来訪されるそうだ。万一お見かけしても、決して粗相のないように」
「へぇー……そうなんですか。何の用なんでしょうね?」
「私は存じ上げないし、お前が邪推する必要もない。……余計な事をせず、大人しくしておくように」
そうしっかりと釘をさすと、累の反応を待つまでもなく、扉を開けて1人で中へと入って行ってしまった。
一拍置いて、パタリと閉じた扉。
目を数度瞬かせた累は、誰もいない扉に向かって、小声で「はーい」と返事を呟いたのだった。
――その夜。
累の部屋には、あからさまに不本意な顔をしたアルノルド・ヨーク副師団長が、人目を忍ぶように訪れていた。
「近衛魔法士様におかれましては、先日の離反者摘発にご協力くださり、まことに感謝しております」
冬馬が言っていた『副師団長が来訪する用事』とは、累への面会だったのだ。
威風堂々といった風体で、累の前に膝をついたアルノルドは、畏まった口上を述べて叩頭する。
「こんばんわ。どうぞ、座って下さい」
「いいえ……すぐに退出致しますので、このままの姿勢で失礼させて頂きます」
そう言って、真っ直ぐに累を見つめるアルノルド。堅苦しい言葉と、友好的とは言い難い雰囲気に、そういえば以前の面会で怒らせてしまった事を思い出した。
よく考えればこの人は、紺碧師団長に、『近衛魔法士』だと教えられて面会に来ているのだ。『近衛魔法士』が『皇帝陛下』の悪口を言ったのだから、この様子も仕方ないか、と苦笑する。
生来、生真面目すぎる性格のこの人としては、許しがたい事なのだろう。
一応自分より上位の人間だから礼節は弁えるが、本心では会話なんてしたくもないに違いない。
そんな空気がありありと伝わってくるアルノルドが、重たい口を開いた。
「手短にご報告させていただきます。……先日の、離反者を宿主にしたノクスロスですが……、調査の結果、紺碧師団で以前から追っていた個体とは、別件であることが分かりました」




