不測の事態①
「いいえ。もう、終わりました。
——ここに累様が来てくださったのですから」
どういう意味だ、と累が問おうとした時、
「お、おい、あそこ……誰かいるぞ?」
少し離れた場所から聞こえた、しゃがれた男の声。
その声に、全員が身を固くした。
「街のやつか……? って、団服だ……」
「団服? 魔法士じゃないか」
枯葉を踏みしめる音を何重にも響かせながら、数人の男たちが駆け寄ってくる。誰も彼も、質素な衣服を着込んだ、一見して普通の人々だ。
もしかしたら、無関係な街の人間かもしれない……。微かな可能性が4人の脳裏をよぎり、対応を躊躇した、その少しの間に、男たちが前を塞ぐように広がった。
そして胡乱な表情で4人を見据える。
「魔法士が4人……いや、3人は団章をつけてない、学生だな……」
「……えーと。こんなところに何かご用でしょうかね?」
累たちを囲うように少しずつ距離を縮めてくる男たちが、明らかな作り笑いと共に問いかけてきた。
しかし累の目には、そのうち2人に、魔力の仄かな粒子が滲んで見えていた。
この力強い魔力の感覚は、戦闘経験のある者に違いない。
確実に、離反者だ。
チラリと見てくる堂本に、小さく頷いて合図をする。
「……あぁ、まぁちょっとな」
累の言わんとすることを正確に受け取った堂本は、男たちに向かって曖昧な返事をした。すると、その反応の鈍さを、嘲るように笑った男たちが、更に距離を縮めてくる。
徐々に狭くなる敵の包囲網。
このままでは、囲まれるのも時間の問題だ。
累の腕にくっついたままだったニイナが、しがみつくように力を込めたのに気付き、かばうように背後に隠した。
チラリと振り返ると、反対の道からも、回り込んできたらしい男が走ってきている。集会所からも数人の足音が聞こえてきていた。……退路は、無くなったようだ。
しかし累は、こんなところで人間を相手に、不利な戦闘をするわけにはいかなかった。
……こんな穢れのない空間じゃ、貪欲すぎる累の魔力が、獲物を間違えかねないのだから。
「へェ、そりゃあお疲れ様です、魔法士様。中でお茶でも飲んでいきますかァ?……って、そんな雰囲気じゃあねェよなァ?」
「見て欲しくない所を見られたかもな……どうする」
明らかに好戦的な目で、累たちを見定める男たち。こんな態度をとられて、無関係な人間だとは到底考えられないだろう。
ということは、この場に集まった十数人は、全て離反者の一味なのだ。……予想外に、多すぎる。
累は敵の正確な人数を数えようと、周囲を見渡して……、そこでようやく気がついた。
——カナリアが、いない。
跪いていたはずの少女が、いつの間にか忽然と姿を消していた。彼女を包む黒い色彩が、この場では逆に目立っていた筈なのに、立ち去ったことを全く認識することができなかったのだ。
——さすが、【止まり木】の隠密部隊出身……。
感心すべきところじゃないのに、思わず感嘆の溜息が漏れてしまう。
だがその吐息には、覚悟も含まれていた。
……カナリアを、放っておくわけにはいかないからだ。
累は本来、こんな場では決して無理をしない。
自分の実力は十分にわかっているし、そして自分の内なる魔力の、強大すぎる力も十分に理解している。変に手を出して事態を悪化させるのも嫌だし、それを引き金にもっと最悪な展開を迎える気だって、さらさら無い。
しかし、【止まり木】から追放された彼女を、見つけたからには放っておけない。
彼女は、美しく咲いた猛毒の花だ。累にだけは劇薬にもなりうるが、その犠牲を厭うことはない。
何かを匂わせて去っていった彼女の、真意を掴むまでは……。
「——おいおい、ダメだなこりゃ」
累が思考の沼に沈みかけた時、新たに集会所から様子を見に来たらしい1人の男が、肩を竦めて歩み寄って来た。
「あの人は、治安維持活動を専門にする魔法士だよ。このまま帰すわけにはいかねぇなー」
どこか退廃的な雰囲気のある男が、堂本を指差してニヤリと笑った。
「……っ、お前っ、第5実行部隊にいた……っ!」
「はは、お久しぶりです、堂本さん。こんな所で会うとは残念ですねぇ」
「……それはこちらのセリフだ。勝手に部隊を抜けて、こんな場所で何をしている!」
「それが分かってるから……」
累の目には、男が組み上げる魔法の、美しい構成過程が見えていた。
「ココに来たんでしょーが!!」
突き出された手の先で、緻密な文様が大きく広がった。それは急速に収縮して、燐光と共に魔法として放たれた。
「ちッ……!」
舌打ちした堂本が、素早く口の中で何かを呟く。男の魔法を相殺する防壁を、瞬時に張ったのだ。
爆風が累たちの髪を揺らす。
巻き上がった砂埃に目を細めた累は、その中で展開を始めた周囲を冷静に見つめていた。
「強行突破するぞっ! ついて来いっ!」
目の前の男達に向かって、攻撃魔法を放つ堂本。
地面を抉る程に圧縮された空気が、数人の男達を後方に薙ぎ倒す。
同じように、和久も、ニイナも、各々が手近な障害となりうる相手を退けた。
慣れた身のこなしで、堂本の攻撃を回避した離反者の男は、更なる攻撃魔法を編み始めた。
その構成が終わる前に、累たち4人は、好機を逃す事なく駆け抜ける。
「っ、魔法士どもが逃げやがったぞ!!」
「逃すなっ! あれを起動しろ!」
直ぐに体勢を整えた男達が、反撃に動き出した。
全力で走る累たち4人を、追い縋るように数人が、そして更に集会所から出てきた増援が、各々に魔法を構成し始める。
もちろん、それを累が見逃すはずもなく、
「撃ってきます、前方3人。後方側方各1人」
「っ、どんな目だよっ! 和久、ニイナ、防御は任せた……っ!」
走りながら振り返り、周囲を確認した堂本が指示を出す。応じる2人は、防衛のための魔法を構成し始めた。
……だが。
それではもう遅いことを、累だけは見えていた。
「結界だ……」
「なにっ!?」
累の呟きにかぶせるように、驚愕する堂本の声が響く。
足を止めた4人の、その視線の先には、厳重に布の巻かれた大掛かりな道具が姿を表していた。
1人の男が、それに魔力を注いでいる。
その瞬間、累の肌が、粟立った。
拠点設置型の結界魔法が、発動したのだ。
「こんなものでっ……俺たちの足止めが出来ると思ったのかっ!」
「堂本さんっ、無理です!」
拠点設置型魔法を、ただの結界だと判断した堂本が、再び強行突破を目論んで駆け出した。
新たな攻撃魔法を編み上げ始めたが……すぐに顔面を蒼白にして足を止めた。
和久とニイナも、同じように魔法を構成しようとして、愕然と顔を強張らせている。
「無理です、堂本さん。この結界は、魔法の構成を阻害します」
冷静すぎる累の言葉に、堂本が焦燥の眼差しを向けた。
そう。この結界は、魔法を外側に漏れ出さないようにする、馴染みの結界ではない。
内側の魔法構成を、ジャミングする代物なのだ。
つまり、魔法士にとって、最大の武器が封じられてしまったのだ。
「こうなっちまえば、数の勝利だよ」
どこか気怠げな話し方をする男が、小さく鼻で笑ったのを最後に、累の視界が大きくブレた——。




