戦闘訓練②
腕の可動域が、限界を超えている。
諦めにも似た感情と共に、痛みを享受しようと、歯を、食いしばった。
——決して、暴走しないように、と。
「ぎっ…………ッッッッ !!」
激しい痛みを認識した途端、一瞬、抑制のタガが外れかけた。痛覚をトリガーに、累の魔力が、爆発的に身の内に膨れ上がる。
自己防衛本能が、『敵』を殲滅せんと動き出したのだ。
「……っ!? ……なに…………っ?」
異変を察したらしいユーリカが、累の上から飛び退った。
そのお陰で、身体の痛みが若干やわらいだようだ。瞬時に、魔力を抑え込むことに意識を集中する。
……だって、そうしなければ、きっと喰っていた。
「っ……い……ったー……」
冷や汗が滲む額をそのままに、身体を丸めるようにして、痛みと、そして身の内を荒れ狂う魔力を抑え込む。
溢れ出しそうなほどの魔力は、気を抜けば、累の周りの何者をも屠ってしまう凶暴さがあったのだ。
だが幸いにも、外に向けて暴走することは無かった。
……ユーリカは何かを感じたかもしれないが、明確に察知されるような失態は犯さずに済んでいる筈だ。
「君、今の……」
「——ユーリカ様っ、どうされました!?」
ユーリカが何かを言いかけた時、主人の異変に気付いた冬馬が素早く駆け寄った。表情の強張ったユーリカに、どこか怪我でもしたのかと焦って全身を確認している。
しかしユーリカは、そんな冬馬を軽くあしらい、ただ呆然と、地面に転がる累を見つめていた。
どこか、愕然とした表情で。
立ち尽くすユーリカと、そんな主人を訝しむ冬馬。そして、その2人の横を、白いふわふわの髪がすり抜けた。
「累くんっ!!」
蹲る累の側に膝をついたのは、ニイナだ。
「待ってねっ! 今、回復魔法かけるからっ!」
目を閉じたまま動かない累を心配してか、ことさら大きな声で話しかけてくるニイナ。柔らかな手が、汗の滲んだ累の額を拭い、身体を抱き起こしてくれた。
ふんわりと、石鹸の香りが鼻先を擽ぐる。
優しい香りが、ニイナらしい。
「痛いのは肘だよねっ、ちょっと見せてね!」
そう言って、抱き起こした累の腕を確認しようとするニイナ。
黒いシャツの袖を素早く捲り、患部を見ようとして、
「——あ、いい、ニイナ」
静止したのは、累本人だった。
激痛で蹲っていたにしては、いやに冷静すぎる声音で。
「っ何言ってるの、痛いでしょ! 早く治した方が……って、アレ……?」
「もう、大丈夫だから。ありがと」
ニイナに寄りかかっていた身体に力を入れ、自力で座り込む。
そして、捲られた袖をサッと伸ばし、腕を隠した。
真剣に心配してくれるニイナには申し訳ないが……もう、怪我なんて、無いのだ。
だらりと垂れ下がる腕に残るのは、痛みの余韻だけ。
「え、あれ、怪我してたんじゃ……」
戸惑ったように累を見つめるニイナ。
揺れる瞳と視線があった瞬間、その大きな瞳が、更に大きく開かれた。
「……赤い……目……」
吐息のような微かな言葉に、パッと目を伏せる。
失敗した。
このおぞましい色を見せる気は無かったのに。
累の意思とは関係なく、勝手に自己回復をかけていく、『魔法』という名の呪いが、破壊された腕の関節を完全に修復していた。
ただし、激しすぎる痛みのせいで、過剰に反応した魔力が、瞳の奥にまで輝きを露わにしてしまっていたのだ。
魔力が落ち着くまで、と顔を伏せる累の両頬に、ニイナがそっと手を添えた。
覗き込むように、至近距離から目を合わせてくる。
「……不思議……綺麗……」
ぽぉっと、蕩けるような眼差しで、累の虹彩に魅入るニイナ。
必然的に、累もニイナの瞳を見つめることになるわけで、その居た堪れなさに、緩い瞬きを何度か繰り返した。
その度に、目の奥の熱が引いて行くのがわかる。
「……もう、戻っちゃった……。累くんの目、すごく不思議で、綺麗なんだね」
無邪気な感想を口にするニイナに、何と返していいかわからず、腕をさすりながら曖昧に笑む。
痛みは、もう殆どない。
こんなに痛い思いをしても、何も残らないのだ。
それでも、痛かった記憶だけは鮮明で。
だから痛いのはキライなのだ。
痛みを受けたって、何の意味も無いのだから。
「ごめん、今の、黙っておいてくれる?」
「……綺麗な目のこと?」
囁くような累の頼みに、きょとんとするニイナ。
その反応に苦笑してしまう。
コレを綺麗だと表現するなんて、累の異様さを知らないだけなのだ。内心安堵してしまう自分を苦く感じ、勘違いするなと肝に命じる。
「うん。あんまり、好きじゃないんだ。だから……」
そう言いながら、累の虹彩までは見えていないだろう会長たちへ、密やかな視線を向ける。
ニイナならば、これで察してくれるはずだ。
「……そっか。うん、わかった……」
期待通り、深く追求することもなく、ユーリカ達へも口外しないことを約束してくれたニイナ。
そんな、2人だけのひっそりとしたやり取りを、少し離れた場所から見ていたユーリカ。しかしもう動揺から立ち直っていたのか、焦れたように声を上げた。
「君……っじゃない……峯月くん……!」