九話 記憶の真性
俺の目の前……いや、背後か。に現れた、黒髪赤眼の眼鏡少女は、六年前にどこかできいた台詞を放つ。
「スィアリ……なのか……?」
「はい、スィアリです。お久しぶりですね、レア。」
ケロッとした顔でそう答えるスィアリ……ハルベルト。
一体全体どうしてこうなったのか。
「それより、早く起き上がってくれませんか?スカートの中見てます?」
「み、見てねぇし。衝撃で唖然としてただけだし。」
言い訳をしながら起き上がり、制服をはたいて汚れを落とす仕草を見せる。
「……それで、どういうことだ。なんで生きてる?」
「生きてるっていうか、実質転生したみたいな感じです。天使ですから、死ぬことは無いですが……。というか、随分と落ち着いてるんですね。」
そう。俺はあまりにも落ちついているのだ。いくら転生したからとはいえ、俺は一介の高校生だ。16歳の男子が向こうではありえない 惨い死に様の家族を見て、無事であるはずがない。病んで、或は狂って当然と言える。
━━━だが事実、俺は狂人にも廃人にもなっていない。
「俺、一度忘れたんだ。ショックすぎてさ。」
「記憶喪失ってやつですか?」
「そうそう。防衛本能、ってやつなのかな。多分、あのままあの光景を目の当たりにし続けてたら、狂ってたと思う。」
「じゃあ、なんで思い出したんです?」
スィアリが首を傾げる。天界かどっかで見てたんじゃないかとも思ったが、知らないんだな。
「俺、それから無意識に家を避けてたみたいなんだ。朝早くに家を出て、いつもの森で魔術をして夜が明けるぐらいに帰ってきて、二、三時間ぐらい寝たらすぐ出る。そんな生活を二週間近く続けてた。」
口に出せば出すほど鮮明に思い出してくる。正直、今思えば地獄みたいな過ごし方だったと思う。
「で、ある日森から出たらレファさんって女の人に会ってさ。血だらけでボロボロだったのが目に余ったらしくて、家に泊めてもらったんだ。」
「は?」
「え?」
すると、スィアリが腑抜けた声を出す。え?何?
「え?あなた女性の家に上がり込んだんですか?しかも一泊?」
「いや、今は同居……」
「は?見た目は小学生とはいえ精神年齢は十六歳オーバーですよ?単純に足し算したら二十三のいい歳したおっさんですからね?」
二十三はおっさんじゃないだろ。全人類の二十三歳に謝れ。
「はああああ……まさか貴方が貞操ゆるゆるおじさんだとは思いませんでしたよ。一線は超えないチキンだと思ってたのに……。」
やめて!ナメクジを見るような目で見ないでくださいお願いします何でもしますから!
「はあ、で、続きは?いい歳したおっさんが女性の家に転がり込んで、ナニしでかしたんですか?」
「なにもしでかしてねえよ!ただ、夜寝てる時にな、魔術を掛けられたんだ。」
「はああああ!夜這いですか!夜の魔術に掛けられちゃったんですか!」
「だから違ぇっつってんだろ!……多分だけど、〈再生術〉だ。俺が失ったあの時の記憶を、レファが再生したんだ。」
確かに、俺はあの時記憶を取り戻した。……だが、遅かれ早かれ、記憶を取り戻した訳だから、狂ったっておかしくないのではないか?
そうだ。本来、〈再生術〉は、対象者が失ったものを再生させ、元の状態に戻す魔術。その点を考えれば、レファさんが使った〈再生術〉は、完成されたものではなかったと言える。
ど先も言った通り、〈再生術〉は元の状態に戻す魔術だ。しかし、俺が元通り記憶を保持すれば、狂人や廃人に近づいてしまう可能性が高い。しかし、俺は元通り記憶を取り戻した訳ではなく、まるで|読んだ本の内容のように《・・・・・・・・・・・》、記憶を保持し直した。どういうことか。
例えば、他人の日記を読んだところで、当たり前だがその日記の内容が実際に経験として記憶されることは無い。そういうことだ。俺は確かにあの時、スィアリと父を失った。失ったが、俺はそれを他人のそれとしか思えないのだ。誤解を恐れず表現するならば、「両親が死んだ?へー、ふーん……(無関心)」と、そう感じてしまっている。俺は真の意味で、記憶を取り戻した訳では無いのだ。その旨をスィアリに伝えると、
「……まあ、貴方が女性の家に転がり込んだのはさておき、無事でよかったです。」
「こっちの台詞だ……二回も床に打ち付けられておかしくなってないならそれだけ丈夫な頭ってことでしょ。」
「それもそうですね。」
反省しろよ。ともあれ、姿が変わったとはいえ、スィアリは帰ってきたのだ。これを喜ばずして何を喜ぶっていうんだ。
「───また会えたな、スィアリ。」
「そうですね。これからよろしくお願いします。」
天使は、静かにはにかんだ。
……。
…………。
退屈だ。
何が退屈かって?授業に決まってるだろ。いくら異世界、いくら剣と魔法の世界だとしても、たかが小学校。たかが義務教育。少し考えれば、こうなることは予想出来たはずだ。どうして考えなかったんだ。考えるのを辞めるなと受験の時言われたじゃないか。
「はいみんな、1+1は?」
「「「「に〜!!」」」」
うーん……小学生探偵にでもなった気分だ。怪しげな取引に夢中になっていた俺は、背後から迫り来るもう一人の男には気づけなかったよ。高校生がこれは、流石に無理がある。スィアリも似たような心境のようで、ちらっと覗いてみると顔が引き攣っていた。そらそうよ。
「はぁ〜……。」
「退屈そうね。」
「まぁね……」
でかい溜息をつくと、隣の席の子が話しかけてきた。
「確かに、こんな初歩的な算術、私ももう飽き飽きよ。加法減法なんて、二年前には終わってるのに。」
まあ俺は九年前ですけどね(クソイキリ)。
とはいえ、隣のこの少女も授業に退屈しているようだった。えーと、確か名前は……
「私はルナ。ルナ=レグホーンよ。ルーちゃんって呼んでもいいのよ?」
「おん、よろしくルナ。」
「……。」
ルナのお誘いを華麗にスルー。女の子をちゃん付けで呼ぶなんて心臓が持たないので却下だ。
「次は魔術の授業だから、それまでの辛抱だけどね。」
「座学なんて飽き飽きよ。魔術は実習に限る。」
俺は座学でも万歳だが、やはり純異世界性の方は魔術に関しても座学はつまらないらしい。俺はロマン溢れる話が聞けて有難いんだけどな。
そんなふうに考えていると、つまらない授業を終わらせる鈴の音が響いた。さあ、魔術の時間だ!