一話 課金の代償
「じゃ、死にましょうか。」
「は!?」
宝石みたいに輝く黒髪をなびかせる眼鏡の少女は、突拍子も無くそう告げた。春。出会いと別れと頭のネジが外れる季節で、この少女はそれを全部突きつけてきた。一体、どうしてこうなった?
じりりとうるさい目覚ましを叩き落とし、がばっと掛け布団を弾くように体を起こす。カーテンを開けると、光と一緒に暖かい陽気までもが部屋に染み込んでいくようだ。床に儚く転がった目覚まし時計を拾い上げ元の位置に戻すと、まだ眠気が離れない身体を無理やりベッドから引きずり出す。いつもなら二度寝するところだが、今日はそうにも行かないのだ。自室のドアノブを引き、階段から一階に降りていく。何度もここで転んだ成果か、もう目をつむっても降りることが出来る。足を踏み外すような初歩的なミスは──
「おわぁ!?」
ガタンゴトンドッタンバタン。
「……なにしてんだか。小説的雰囲気が台無しだ。」
寝癖で固まった髪が気持ち悪いのでわしゃわしゃと掻き混ぜる。
腰が痛い。まあ家を出る頃には引いてるだろうが。
「早く朝ごはん食べなさいよ。今日から高校生なんだから、いつまでも馬鹿なことやってないでよ。」
「うぃ〜……」
このやり取りは何回目だか。肩書きが変わってもそれ以外が大層に変わることなんてないからな。まあ、そのうち直すさ。うん、そのうち。
「いただきます。」
黄身が皿に零れている目玉焼きトースト。ほら、やっぱり変わらないじゃないか。でもこれ若干食いにくいから変えて欲しいなあ……
眠気もすっかり無くなり、腰の痛みと目玉焼きトーストの食いにくさと格闘していると、気づけば皿は空になっていた。歯を磨いて顔を洗い……昨日おろしたばかりの制服に身を包む。こないだまでとは違うネクタイを服の上から締め、鏡の前で身なりを確かめる。うん。おっけ。女子に笑われたり陰口を言われたりいじめの対象にはならなさそうだ。
履きなれない革靴に足を入れ、まだ型崩れしていない鞄を肩にかける。
「行ってきます。」
「はい、いってらっしゃい。」
このやり取りだって、去年とは何も変わらないはずだが、でもどこか新鮮味が生まれている。やっぱ着てる服が違うからか?
外はまだ少し肌寒く、日は出ているが風が吹けば寒気が肌を撫でる。まだ朝早いからか車も人通りも少なく、見かければ凡そスーツや制服を身につけた通勤通学の方々だ。
まあ、学校に着けば騒がしくなるだろうし、静かなのも今のう「ぐぇっ」
唐突に襟首を捕まれる。進行方向と真逆に引っ張られ、首が締められて変な声が出た。
「あだっ!」
そのまま倒れて硬〜いコンクリに頭をうちつけた。いってぇ。俺じゃなきゃ泡吹いて倒れてたぞ。俺も倒れてるが。
「あ……?」
「……まさか、そんな盛大に倒れるとは思わなかったです。」
聞き覚えのない声が上から降ってくる。ほぼ反射的に声の主を追うと、そこには、宝石みたいに輝く黒髪をなびかせる眼鏡の少女が立っていた。
「こほん、……えーと、20XX年、5月24日生まれの15歳、黒沢拓希くんですね。」
「ん?あ、ハイ。そうです。」
おぼつかない返事をすると、眼鏡少女は身につけていた制服のポケットにがさごそと手を突っ込み、一枚の紙を読み始めた。
「えー……と、あなたは、残念ながら、「人口調整プログラム」?の、被験者に選ばれました。この世界から去ることとなりますが、産んでくださった御両親に感謝して、安心して転移しやがれください。」
「……は?」
何言ってんだこいつ。いきなりとっ捕まえて、この世界から去る?
「……なにがなんだか分からない、って顔ですね。大丈夫です、私もわからな……じゃなくて、あなたが気負うことはなにもないですから。」
「……家族には心配かけないのか?」
「安心してください。家族や友人、あなたと関わった記憶を消されて、自動的に補完されるようになってますから。」
「……わかった。安心して転移しやがるよ。」
悲しむやつがいないなら別に構わない。俺だって寂しいし、こんな胡散臭いやつのことを聴くわけない、なんて思ってたんだが、なんでか信用できる気がする。
「ご協力感謝します。そう言えば自己紹介がまだでしたね。私の名前 はスィアリです。気軽にシリって呼んでください。」
「アッハイ。」
なんでも答えてくれそうな名前してんな。
「じゃ、この紙に名前書いてください。」
眼鏡少女から差し出された紙には、明朝体で「契約書」と書かれていた。なになに……転移後、転移先にて生命又は人権に対する侵害行為に遭遇した場合も、当社は一切責任を……怖いからやめとこ……。
とりあえず、一番下に「黒沢拓希」と書いて、少女に返した。
「ありがと。じゃ……」
「?」
「じゃ、死にましょうか。」
「は!?」
とまぁ、こんな感じで最初に戻るわけだ。
「いや、なんで!?転移っつったろ転移って!」
「いや、転移代って結構馬鹿にならないんですよ?その点転生なら理には反しない分値段がぐっとリーズナブルになるわけでして。」
訪問販売の人みたいな言い方をするスィアリ。
「嫌だよ!勝手に殺すな!……ちなみにおいくらで?」
「60万円です。」
「マジで馬鹿にならないじゃん……え、それ自腹なの?」
「そんなわけないじゃないですか。ちゃんと上から支給されます。」
「え、じゃあ別に殺さなくて良くない?」
「そこは、ほら……私課金したいので」
受け取った契約書で口元を隠し、恥じらう乙女のような仕草を見せる。
「ざっけんなお前が〇ね!私利私欲塗れじゃねえか!」
「いや大丈夫ですって。生き返ることは保証されてますので。」
契約書をピラピラと煽りながらケラケラ笑う。ムカつくなこいつ……
「……ちなみにどうお殺しになるので?」
「え?普通に刺し殺します。」
「いや普通に苦痛じゃねえか!尚更やだよ!」
首をぶんぶんと振り拒絶すると、スィアリはやれやれと呆れたポーズをする。
「もうそんな時間ないんですよね……じゃ、逝きますよ〜」
「や、やめろ!来るなああああああ──」
ブスリ。
「あっ──」
黒沢拓希、5月24日、双子座。
一人の学生の人生は、平均寿命のおおよそ18%で幕を閉じた。