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ショートショートシリーズ

願い坂と暴走自転車

作者: 夕月 悠里

 カリカリカリ……


 いつもは騒がしい教室だが、テスト中は筆記具の動く音のみが聞こえる。普段、不真面目に授業を受ける生徒も真面目にテストに向かう。


 相田純(あいだじゅん)もほかの生徒と同じように、カリカリとテスト用紙を埋めていく。そして一枚目の問題を全て解き終わり、二枚目の問題用紙に進む。そこで飛び込んでくる一文。


『精神的に向上心のない者はバカだ』


 純がプリント用紙に書かれたその台詞を読んだとき、それまで勢いよく動いていた鉛筆が止まった。


 やっぱり私はバカなのかな、そう純は心の中で呟いた。


◆ ◆ ◆


 それはまだ、二人が仲良しだった頃――



 純は教室の窓から外の風景を眺めている。地面が桜色に染まっている。昨夜の雨で散ってしまったんだ、と純が儚さを感じている。


「ねぇ、純。わたし好きな人ができちゃった」

「えっ! ほんと!? 誰? 誰?」


 前の席から声をかけきたのは仲良しの相川心(あいかわこころ)。その発言に純は驚いた。驚きのまま声に出したため、休憩中のクラスメイトの注目を浴びる。


「声おっきいって。えーっと。ちょっとここじゃ言えないよ」

「あっ、ごめん」

「あとでね」


 そう言ってはにかむ友人の顔はどこからどう見ても恋する乙女だった。ほっぺたが桜色に染まっていた。



◆ ◆ ◆


「あと10分だ、もう終わったやつもちゃんと見直せよ。ケアレスミスをなくす癖を付けとくと受験時に役立つぞ」


 静かな教室に国語の先生の声が聞こえる。


 その声を聞いて純は我に返る。目の前には半分しか埋まっていない解答用紙。


 残り時間は10分。純は必死に埋めていった。



 今日は期末テスト最終日。


 夏休みまであと少し。


 そして、友人が純の好きな人に告白するまでもう少し。



「おーし、時間だ、悪足掻きせずに鉛筆を置くんだ。席が一番後ろのやつプリント回収してくれ」



 コロコロコロ。


 机の上で鉛筆が転がる。


 学校が終わるまであとちょっと。



◆ ◆ ◆


 それはまだ、二人で一緒に遊んでいた頃――


 学校の帰り道、公園に寄り道した二人。ピンクから緑に模様替えをした公園。そこのベンチに座り純は心に尋ねる。


「で、誰を好きになったの?」

「う~んとね。……凪くん」


 心はそう言って、顔を赤くさせながら、もじもじしていた。そんな様子とは対照的に純は一瞬真顔になり、動揺を顔に出さずに苦笑いをしながら。


「……えっ、そうなんだ。彼のこと好きなんだ」

「うん」


 うれしそうに、恥ずかしそうに答える心は、そのときの純の変化に気がつかなかった。血の気が引いて赤から青へ。笑顔から無表情へ。心は気付かなかった。



◆ ◆ ◆



「今日でテストは終わりだ。それで来週にテスト返しが終わったら夏休みだ。くれぐれも羽目を外すんじゃないぞ」


 金曜日。夏休みまであと一週間。


 担任から長期休みの注意説明が入る。ほとんどの生徒は、夏休みのことで頭がいっぱいで聞き流しているようである。


「……それと、事故には注意しろよ。この間も長坂でガードレールを突き破る事故があったからな。くれぐれも無茶なことはしないように。じゃぁ、解散」


 担任がホームルームの終わり宣言をし、教室から出ていく。それに歓喜する人、テストから解放されて遊びに行く約束をする人。教室は再び無秩序になる。


 そんなクラスメイトの姿を横目に帰り支度をする純。帰宅部なので学校に残る理由もない。また、さっさと帰りたかった。


 純はちらりと教室の扉を見る。すると幼なじみと女の子が仲良さそうに話しているのが見えた。


 どきり、とする。心臓を捕まれている感覚だった。反射的に目をそらし、もう一方の扉をみる。


 もう一つの扉付近ではスクールカーストの上位陣が集まって夏休みの計画立てをしている。派手な格好と髪。きゃはは、と馬鹿笑いをしている彼ら。スクールカースト下位の純には彼らを押し退けて出て行く勇気はない。


 はぁ、とため息をつき。さっさと、帰ろうと決意する。すぐ出て行けば大丈夫。そう純は思って鞄を持って幼なじみが談笑する扉へ向かう。


 うつむき加減で、気配を消しさりげなくすり抜けようとする。


「あっ、純。一緒に帰ろうぜ」


 だけど、空気を読まない幼なじみに声をかけられる。


 めまいがする。傍観者で居たかった。それなのにいきなり舞台に引き上げられたような感覚だ。役者はそろっている。純は観客で居たかった。


 純がなにも言わないことを肯定と見なしたのか、「鞄を取ってくるから」といってその場から離脱する幼なじみ。その場にいた女の子が口を開く。


「私、来週、告白するから」


 そう言って去っていく。かつての友人の姿を、純は見れなかった。


「おし、帰ろうぜ」


 幼なじみの、凪のようなのんきな声がその場に溶けていった。



◆ ◆ ◆


 それはまだ、二人が友人だった頃――


「ねぇ、彼って絶対っ! 私に気があるって。よく目が合うの」

「……それはよかったわね」


 学校の屋上でお弁当を食べながら純と心が話している。もうすぐ梅雨入りのためか空には雲が広がっている。まるで純の内心を映し出しているようだった。


「もう、テンション低いよ。どうしたの。低気圧のせい? あぁ、そう言えば知ってる? 願い坂って最近話題になってるみたい」

「へぇ、そうなんだ」


 純は適当に相づちを返す。


「きゃ」


 強い風が吹き、心のお弁当に入っていたバラン(緑色のギザギザ)が飛んでいった。このまま私も飛んでいきたい、そう純は思った。


◆ ◆ ◆


 キーキー、キーキー。


「なぁ、自転車が悲鳴を上げてるぞ」


 幼なじみと帰宅する。その途中。ペダルに力を入れる度、死にかけの猫の悲鳴のような音が自転車から発せられる。


 ジジジジジ


 蝉の大合唱が降り注ぎ、自転車の悲鳴と交わって暑さがさらに増すようだった。


「中学の時から乗ってるからね」

「全然メンテナンスもしてないだろ。まったく純は相変わらずだな」


 そう言って、凪はさわやかな笑顔を見せる。凪という名前を表すかのような穏やかさ。


 純達が住んでるところは島。海に囲まれている。だからか金属は錆びやすい。構わないとすぐに錆びる。整備を怠ればすぐにお釈迦。人の心と同じように整備しないとすぐに動きが悪くなる。今の純の心のように。心を見て見ぬ振りをして、無視して、錆びていく。


「ちょっと俺んちによってけよ。錆止め貸してやるよ」

「……ありがと」


 島特有の生ぬるい風が吹く。湿っぽく塩気を含んだ風。二人の間に抜けていった。


◆ ◆ ◆


 それは二人が一緒に宿題をする仲だった頃――


 ざぁざぁ、と窓の外ではバケツをひっくり返したかのような勢いで雨が降っている。ゲリラ豪雨だった。


「ねぇ、純って凪くんの事好きなの?」

「……えっ?」


 雨がやむまで、教室に残って宿題を片づけていた純と心。不意に投げかけられた言葉。


「凪くんと同じ中学の人に聞いたんだけど、すごく仲良しだったんだってね。つき合ってるって噂がよくあったんだって?」


 一瞬空がフラッシュをたいたかのように光る。雷の音が響く。


 外はタライの水をぶちまけたかのような荒れ模様。


「……ただの幼なじみだよ。つき合ってはいないよ」


 雨の音にかき消されるように純が呟く。


「……そう、で、好きなの?」


 心の問いかけに純は答えられないで居た。雨が全てを洗い流すように。この問答も流されてくれれば。そう純は思った。


◆ ◆ ◆


 純は凪の家のガレージにいた。工具や木材が所狭しとならんでいる。昔はここでよく遊んだな、純が昔を振り返っている。凪は錆止めを捜していた。


「あぁ、あったあった。これでちょっとはましになるぞ」


 投げられた錆止めのスプレー缶。それをキャッチする。


「それにしても熱いなぁ。俺、なんか冷たいものでも取ってくる」


 そう言って、ガレージから出ていく凪。一人残された純は自転車に錆止めをスプレーしていく。


 錆止めが吹きかけられたとこに、光沢がでる。心の錆止めがあればいいのに……。



 シューシュー


「きゃっ」


 夢中で錆止めスプレーをかけていた純の首筋にひんやりとした感触があった。その冷たさに驚いて声をあげる。振り返ると棒アイスとラムネ瓶をもった凪が穏やかな笑みを浮かべていた。


「ほら」


 そう言って渡されるアイスとラムネ。純はそれを受け取る。


「ありがと……」


 少し溶け始めたアイスを食べる凪の横顔を見ながら。


「ねぇ、好き」


 そう、純は呟いた。



◆ ◆ ◆


 それはまだ、二人が友人だった頃――


 ジージージー


 梅雨も明け、蝉の演奏会もあちこちで開かれるようになった。むしむしとする教室の黒板には大きく「自習」という文字が書かれている。


 期末テストも近づき、普段は不真面目な生徒もこのときばかりは真面目に勉強をしている。


「精神的に向上心のない者はバカだ」


 国語の教科書を開いて勉強をしていた心から、唐突に投げつけられた言葉は純に突き刺さる。恐らく本来の意味ではないその言葉を純は噛み締める。


「ねぇ。なんで告白しないの? 好きなんでしょ? 関係性が変わるのがいやなの? 私が告白してもいいの?」


 窓際に止まった蝉が、甲高い声で鳴き始める。


 ジージージージージージージージージージージージージージージー

 ジージージージージージージージージージージージージージージー

 ジージージージージージージージージージージージージージージー


 あぁ、うるさい。全てを聞かなかったことにできないのかなぁ。まっすぐに見つめてくる心の目を純は見れないでいた。


 期末テストまであとすこし。


◆ ◆ ◆



「えっ? あぁ、そうだな俺も好きだよ」


 凪の声にどきり、とした。聞こえてた? そして、その返事は、えっと。


「――このアイス。好きだったよな。俺ら昔からよく食っていたな」



 ……あぁ、純はこころのなかでため息をつく。そうだよね。


 純と凪は子供の頃はよく一緒にいた。家も近かったから、学校の帰りもよく遊んだ。でもいつしか、性別を感じ始めるころに疎遠になり始めていった。


「それじゃ、錆止めとアイスありがと」

「おう、またな」


 凪と昔の話をして、アイスを食べ終え、ラムネを飲み終わって純はガレージから出て行く。



 家に帰り、荷物をおき、ベッドに倒れ込む純。そこで友人だった彼女の言葉を思い出す。



◆ ◆ ◆


 それはまだ、二人が友人だった頃――


 じめじめとした天気も少なくなり、からっとして暑い日が続く。炎天下の学校の屋上。純と心以外に生徒の姿は見えない。


「私、夏休み前に告白するから」


 じりじりと照りつける太陽。


「で、純はどうするの? このままでいいの。本当に現状維持でいいの?」


 じりじりと迫ってくる、心。


 よくない、心に聞こえるか聞こえないかくらいの声量で純が呟く。



 夏休みまであと二週間。


◆ ◆ ◆


 ベッドから純は飛び起き、出かける準備をする。



 容赦なく照りつける太陽の下、純はあるところに向かっていた。錆止めの効果か、幾分スムーズになった自転車を押し、純は坂を上っていく。


 緩やかな長い坂を上っていく。最初は自転車に乗っていたが、途中から押して歩いていった。


 ここは長坂。願い坂とも呼ばれる。純達の住む町では有名な度胸試しのスポット。ブレーキなしで駆け下りると願いが叶うといわれている。


 坂の頂上にたどり着いた純から滝のような汗が流れている。炎天下の中、他に出歩いている人の姿は見えない。 


 純は汗を拭い深呼吸して、自転車にまたがる。


 目を閉じて、なにやら呟く。


 覚悟を決め、走り始める。


 自転車は速度を上げ、純の見ている風景が流れていく。



 どんどんスピードが上がる。


 車輪がシャー、という音を立てて勢いよく回転する。


 めまぐるしく変わっていく風景、風の抵抗を受けて。



「ヤッパリ無理!」



 純は恐怖からブレーキに手をかける。やっぱ無理だ、怖いとブレーキを握りしめる。


 しかし、自転車はスピードを落とさず坂を下る。


「えっ、なんで!」


 スピードを上げて下っていく、自転車。無我夢中でブレーキハンドルを握りしめる。純。


 全く効かない、()()()()()()()()()()()ブレーキ。上がるスピード。その状態で坂を下る。


 何度か緩いカーブを、何とか曲がった純だったが、最後のカーブは急で曲がり切れずに突っ込む。


「ちょ、」


 坂から飛び出す純。空に投げ出されていた。そのまま空中を漂って。



 ばっしゃーん。



 海につっこんだ。


 波の音と、海に突き刺さった自転車。


「ぷ、ははははっ」


 純は波に揺られながら拳を突き上げた。何か、吹っ切れたかのような顔は、夏の始まりを感じさせる晴れ晴れとした天気にどこか似ていた。


 純が告白するまであと2時間。

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