Prologue
<prologue>
--箱と聞けば人は何を思い浮かべるのだろうか。
12本の線と8つの頂点で構成された立体形を思い浮かべる人もいれば、手紙を入れるポストのようなものを思い浮かべるのかもしれない。
ある意味特定の形にとらわれない概念も存在する。球体の形や動物を模した貯金"箱"がその例だ。
周りを見渡してみれば箱と呼べる代物は溢れている。本を入れる本棚だって言いようによっては本箱になるし箪笥や押し入れだって見方を変えれば箱だ。
少しこじつけに聞こえなくはないが。
ここで、箱とは一つの恐怖的アイテムとして存在することを話さなければならない。ここから先は私の持論も含まれる。
孤独、孤立、閉塞、暗闇。箱には恐怖的価値観が潜んでいる。
西洋の人間は命を落とせば棺桶に入ることが殆どだ。
多くの国で古くから行われている文化とも呼べる。
西洋では、ドラキュラが棺桶に入っているイメージがよく描かれている。
土葬の文化、宗教的価値観が生んだ西洋的な恐怖の産物とも呼べる。
エジプトでは屍の腐敗を防ぐため内臓を取り出し香草を詰め保存する"ミイラ"という文化を生み出した。
ピラミッドは王の墓であるという学説が存在するが私は墓も一つの箱の形と考える。
死者は墓や、棺桶という名のついた箱に収められ埋葬されている。そう考えてしまう。
日本では、火葬の文化が根強い。屍は燃やされ骨壺と呼ばれる箱に収められる。
西洋とエジプト、日本で死者の埋葬方法が違うのは宗教的価値観の相違によるものだ。
しかし私はこう考える。死者は箱に収まることで生と死を分つことに変わりはない。
死者たちはどのような思いで棺桶や骨壺に入るのだろうか。
実際に入ってみればわかるのだろうか。暗く、狭く、息も詰まるような孤独感は我々にどのような感情を与えるのだろうか。
私は別に箱について議論したいわけでも、箱が好きであるわけでも、思い入れがあるわけでもない。
訂正。思い入れはあるにはある...と思う。強い"思い"が、いや"想い"が。
私にあるのは少女と、少女が収まる"箱"、そして少女に対する強い想い、渦巻く感情。
/*箱とともに海に流れたあの少女は何を思うのだろうか。*/
はっきりとした記憶があるわけではない、ただ思い、想っているだけなのだ。
理由は分からない。想いが、想いだけは強くはっきりと残っている。
しかし私は何もわからない、何も知らない。
一種の恐怖にさえ思えるこの現象は日に日に強まる。
ここ数年は白昼夢にすらでてくるほどだ。
だから私は探ることにした。箱に収まる少女は何者で、彼女に対する想いの理由は何なのか。
身内も親類もいない私に成し遂げることができるかはわからない。
どれだけの歳月がかかるのだろうか、どれだけの時間を代償にしても私は突き止めて見せる。
この想いの正体を。
これから語るのは私という----
/*見届けてほしい私と彼女の......*/
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初めまして。水澤 沙月といいます。
小説を書いてこのような形で投稿するのははじめてです。
不定期の更新になりますが読んでいただけたらとてもうれしいです。